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どうも、こんにちは。
もう桜の時期はとっくに終わっていることもあり、今季最後の桜の記事、『霊場魔所の桜シリーズ』の記事をやります。
今年はいわゆるコロナ危機、新型肺炎感染拡大にびびったり、騒いだりしているうちに、桜の時期は過ぎ、さらに感染拡大に伴って全国に出されていた緊急事態宣言も一部地域を除いて解除されてしまいましたが。
それでもせめて、今季中にあと1カ所、お気に入りの桜スポットを巡りたいと思いたち、そのひとつである妙満寺を訪れました。
ここは、あの安珍・清姫伝説の鐘が現在でも遺されているという妖怪伝承地でもあります。
ここの桜を、私は‘清姫桜’と勝手に命名して愛でております。
まずはいつもの通り交通アクセスから。
京都市営地下鉄「国際会館」駅から京都産業大学行きの京都バスに乗って、「幡枝(妙満寺)」停留所か「北陵高校前」停留所。
この2つのバス停が最寄りの交通機関になりますが、叡山電車「木野」駅からも歩いて行けます。
もっとも今回は、新型肺炎感染の防止対策として、公共交通機関ではなくバイクで訪れたのですが。
まずは本堂へ礼拝。
信行道場前の桜。
駐車場、本坊前庭の桜が青空に映えています。
やはり本坊前の桜が。
さてここで。
シリーズ第273回などの過去記事の繰り返しになりますが、この古刹に安珍・清姫伝説の鐘がある理由を少し解説しましょう。
大蛇となった清姫が安珍を焼き殺した事件から何百年も経った、正平14年(1359年)の頃。
道成寺では、あの事件以来失われていた鐘を再鋳して、鐘の供養を盛大に営みました。
そこにに一人の白拍子が現われ、舞い終わると鐘は落下しました。その白拍子は、清姫の化身だったのです。その白拍子は最後に大蛇に変わり、日高川へと姿を消してしまいました。
その後鐘は呪われてしまったのか、悪い音しか鳴らず、しかもその度に悪いことばかり起きるようになります。
そのため、鐘は山林にうち捨てられました。
それからさらに200年あまり経った天正年間、豊臣秀吉配下の武将・仙石権兵衛が1585年の根来攻めの時に、鐘を掘り起こし京都に持ち帰りました。
しかしそれでも呪われたままだったので、時の妙満寺貫首・日殷大僧正が供養して、ようやく呪いや怨念が解かれて、音色の美しい霊鐘となったと伝えられています。
毎年春には鐘供養が行われ、「道成寺」ものを演じる役者・芸能関係者がお参りに来たリするそうです。
拝観料を払って本坊内へ。
雪見の庭を眺めて。
本坊内の宝物館に現在もなお、安珍・清姫伝説の鐘が安置されていますが、現在は撮影を禁止されています。
昔は、シリーズ第273回記事を書いた当時はまだ規制は緩く、鐘の撮影も許可されたのですが。鐘の写真が観たいという方は、シリーズ第273回をご覧下さい。
本坊内から観た桜の光景です。
この時、もう既に桜の盛りは過ぎていましたが。
これはこれでまたいいものかな、とも思います。
また来年。
今回はここまで。
また次回。
*妙満寺への地図・アクセスはこちら。
*妙満寺のHP
http://myomanji.jp/
*『京都妖怪探訪』まとめページ
https://kyotoyokai.jp/
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