5月2日、ペンジケントを後にし、景色のいいところでストップ。雪のザラフシャン山脈。
■奥がザラフシャン山脈。標高5000m以上。東西370kmに及ぶ。
ザラフシャン川。ケシが花盛り。
■ムグ山。アラブ軍との決戦に臨むための砦に使われた。
■中国の借款によって2012年に完成したシャハリスタントンネル。トルキスタン山脈を越える必要が無くなり、2時間の短縮。
■5~8世紀のソグド人の城塞都市があった場所、ブンジカットに着く。小高い丘に登る。このツアー、結構歩く。上ったり下りたり。
ここでローマ神話のロムルスとレムスの壁画が出土され、その記念碑。
城壁の砦に登ると見渡せる。
5つのエリアに分かれている。身分の高い人の居住区、農民や羊飼いの生活区、お墓、軍隊の駐屯地、城壁。
■2500年の歴史を持つ古都イスタラフシャンに着く。北部はウズベキスタンに、東部はキルギスに国境を接している町。大部分の市民は国外で働いてる。アレキサンダー大王と結婚したソグド人ロクサネ、二人はこの町に滞在した。
バザールへ。刃物の職人街。
噛みタバコ。下唇と歯茎の間に入れて楽しむそうだ。
クルトというヨーグルトボール。牧畜をする人の保存食。
■クックグンバースモスクへ。15世紀ティムール朝第5王によって建立。
内部。
■ムグ・テパへ。ムグはゾロアスター教の聖職者の呼び名、テパは丘。
修復されてすっかりきれいにというか姿が変わってしまったようです。
■人口17万人のホシャンドヘ。タジキスタン第2の都市でまた最古の都市といわれています。
紀元前6世紀アケメネス王朝ペルシャのキュロス2世が町を作り、アレキサンダー大王の時代に城壁が作られた。彼は「最果てのアレキサンドリア」と呼び北方のスキタイ族への砦とした。その後シルクロードの中継地として発展し、13世紀にはチンギスハンに占領され破壊されました。14~15世紀はチムール帝国の一部になり、1866年にロシアに統合されたという歴史を持つ町です。
パンジシャンベ・バザール見学。ドライフルーツやナッツ、いろいろな種類がある。
モスクと廟。
この日は270kmの移動。エレベーターのないホテルに宿泊。
■5月3日、午前はホジャンド市内観光。
天山山脈に源を発する川、シルダリヤ川は建都2500年祭で川べりが整備され、まだ動いてないが完成したばかりのゴンドラがある。
2011年には英雄6人像が設置された。もともとあったレーニン像はどこかへ引っ越ししたらしい。
■アレクサンダー・エスハーダの跡地の遺構。紀元前8世紀アケメネス王朝時代から破壊と建設が繰り返され、現在見られるのは1866年にロシアに破壊されて残った要塞。
■ゾグド州立博物館。
内部。
左の青いのがカスピ海。
愛馬プケバロスに乗ったアレキサンダー大王。
アレキサンダー大王は紀元前4世紀に古代ギリシャのマケドニア王国に生まれ、アケメネス朝ペルシャ、エジプト、、今のトルクメニスタンまで広く侵攻し、インドのパンジャブ地方まで進みましたが31歳で亡くなっています。
彼によって東西交通、経済の発展、文化の融合がなされた。
■約60kmのドライブでウズベキスタン国境へ。無事に超えてタシケントへ。
■昼食後、外務省の中にあるウズベキスタン科学アカデミーへ。展示品はすべて本物。普通は入れないが申請して許可があると入れる。入る時にパスポートの検査があった。
外観の撮影は禁止。ガイドの方は加藤九祚博士と一緒に働いてた方で日本語が話せた。
ダヴェルジン・テパで出土した仏像左手。
クシャン朝の王子の供養像。
すべて本物!
■ウズベキスタン国立歴史博物館へ。テルメズのファヤズ・テパから出土した三尊仏や僧坊壁などがあった。
2年前にも来てるので写真は撮らなかった。
(今回のブログ記事は添乗員治部香さんのレポートを参考に書きました。治部さん、ありがとうございました。)
■すべての観光が終わり最後の夕食をとり、タシケント国際空港へ。アシアナ航空でソウルへ。
■5月4日、朝ソウル到着。関空、成田組に分かれて解散。関空からはバスで高松へ。
■9日間といっても前後2日間は飛行機の移動だから、実質7日間。短いなあ。もっといたいシルクロードに。
ただただ尊敬!
グループには女性らしき姿も?
孫だったか娘だったか、今度は何スタンに行くの?と聞かれるくらいコモちゃんはこの辺境の地が好きです~~
勿論若い女性も団塊の世代の女性もいたようですよ。