こもれびの日記

日々の暮らしをつづります。コモちゃんは夫です。コメントは管理人の判断で削除する場合があります。ご了承下さい。

河西回廊を行く ①毎日三食中華料理

2024-11-26 | 2024年11月中国

<コモちゃんのシルクロード記>

学生時代の1966年、単独バックパッカーとしてローマ(イタリア)を出発しギリシャ、トルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタン、インドのカルタゴ(カルカッタ)を旅した。

その後時代は変わり中国に入れるようになり、1991年パキスタンのイスラマバードから国境を越え中国のカシュガルに入った。1992年モンゴル、1994年天山南路、1995年西域南道(カシュガルから敦煌)と次々に行ったが、一番東の敦煌から西安のルートが残ってしまった。今回の旅はこれが目的。私のシルクロード最終章だ。

 

11月7日~14日西遊旅行の「蘭州・敦煌・西安 河西回廊を行く」ツアーに参加。河西回廊は黄土高原の西端にある蘭州から1000km離れた敦煌までの帯状の地域。標高1500m。黄河の西にあって南側はゴビ砂漠。

 

11月7日13時、中国東方航空で成田から上海へ。2時間50分の旅。18時30分発の国内便で蘭州へ。3時間半。蘭州泊。

 

11月8日、ホテル出発。

専用バスで黄土高原をひた走る。

 

 

峠でトイレ休憩。黒い姿の人は警察。

 

武威に着き昼食。

 

午後は武威の観光。

「雷台」ここは1969年に防空壕を作ろうとして掘ったところ、後漢時代の墳墓が発見され、副葬品の最高傑作といわれる青銅製の「奔馬」(ほんば)が出てきた。馬のモデルは「汗血馬」、一日に千里を走る「天馬」と言われている。

 

出土した物のレプリカ。

 

 

 

 

 

「大雲寺」入り口。

 

「大雲寺」地震でほとんど崩壊したが、鐘楼は日本の浄土宗僧志満が浄財を集めて修復。

鐘楼には天女、龍、天王などのレリーフ。

 

 

「文廟」1439年創建の孔子廟。中国三大廟の一つ。文革後に再建。

西夏国は11世紀から200年続いたが、ジンギスカンに滅ぼされ文字だけが残っている。

中国のロゼッタストーン「西夏碑」(表が西夏文字、裏がその漢訳)

 

本殿へ

孔子立像は台湾からの寄贈。

 

赤い布は希望を書いているおみくじみたいなもの。

 

武漢から張腋までバス移動。延々ゴビ砂漠。時に万里の長城の一部が見える。(象に見えるが土塁)

 

張腋のレストランで夕食。

 

少し残さないと満足してないかと思われるので・・・

とりあえずビールはやめておいた。腹八分も心掛けて。

バスタブは無いホテル。

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 菓葉絆ーka.ha.na@東京 | トップ | 河西回廊を行く ②ゴビ砂漠 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿