6月23日、専用車にてタブリーズ郊外へ。
<キャンドヴァーン村>はイラン人にも人気の観光地。標高3712mサハンド山のふもとにある。
ここは標高2200m。昔は1500人くらい住んでいたが現在は680人ほど。
凝灰岩の塊りが浸食によってそそり立つような景観を生み出している。
ミニカッパドキアというべきか。住居は2階建てから4階建てまである。
昼食。ナンはちぎって勝手に食べる。
アーブグーシュド。
郷土料理でスープを作ってくれてるところ。
イラン最大の湖、ウルミエ湖。カスピ海に続く巨大な塩湖。
白いのは塩。塩分20%で魚は住めない。この何年かで何割か干上がっている。
国立公園に指定され、1975年にはラムサール条約、1976年にはユネスコの生物圏保護区に登録された。
アッシリア正教の<マリア教会>へ。
紀元前1世紀頃から遺体を埋める場所として使用されていたといわれている。
イエスが生まれる時イラン人のゾロアスター教徒の宗教指導者たちが夜空に流れ星を見た。これを預言者の誕生として認め、彼らは急いでエルサレムに向かった。彼らが戻った時にゾロアスター教のこの神殿を壊してキリスト教会にしたと言われている。
現在残っている建物は、ササン朝時代(紀元後226年~651年)に再築されたもの。
ウルミエのホテル。
ホテルからの景色。
ホテルで夕食。
ハチミツが豊富。
6月24日、出発の前にホテルで。
世界専用バスにてジョルファーへ。
世界遺産「イランのアルメニア人修道院建造物群」のひとつ<ステファノス修道院>
ステファノスはユダヤ人キリスト教徒で、信仰のために自分を犠牲にした初めての殉教者と言われている。
9Cの建設で複数回発生した地震の後、15C~18Cに再建された。
教会内部。
昼食。白ご飯とナスの炒め物。
世界遺産 「イランのアルメニア修道院群」の一つ、<聖タデウス教会>。典型的なアルメニア建築の様式美を伝えている。侵略や1319年の地震で被害をこうむり、当時の修道院の原型はほぼなく、再建されたもの。
タデウス(タダイ、タデオ、ファディともいう)は新約聖書に現れるイエス・キリストの弟子(使徒)で、イエスの出身地と同じガラリアのパネアス生まれとされる。
伝承ではアルメニアに宣教したとされ、この地方では篤く敬われている。
この地方の王はゾロアスター教だったが聖タデウスによってキリスト教に改宗している。
通称「黒の教会」と呼ばれている。黒い火成岩で作られている。
専用車で移動。
トルコとの国境の町、マクーに着く。
水パイプのお店。
大統領選挙中。あまり盛り上がってない。
マクーのホテル(前回と同じホテル)にて宿泊。
6月25日、イラン最終日、トルコへ向かう日。いい天気だ。
標高5137mのアララト山が見えた。トルコとの国境にある山。小生は4回目だが何回見ても感動する。
旧約聖書に出てくるノアの方舟が大洪水の末に流れ着いたとされる山である。
世界遺産「イランのアルメニア人修道院建造物群」のひとつ<ゾルゾル教会>。
西暦14世紀にアルメニア系イラン人のザカリア神父によって建てられた教会。別名<生神女マリア聖堂>
ダム建設で水中に沈むことになって現在の高台に移されたもの。
アララット山を望みながらトルコに入国。国境越えはトルコ側が国境を開けてないとのことで2時間ほどかかった。
ノアの箱舟の跡といわれるヌフン・ゲミシ。
昼食。
骨付きラム肉。
スイカも瓜もおいしい。
山腹にあるイサクバシャ宮殿。
オスマン帝国時代、知事イサク・バシャによって1685年に建てられた。
建築には99年かかり、完成したのは孫の時代。
会議室、裁判所、ハーレム、ジャーミー、浴場、イサクバシャの墓、牢獄などがある。
7600㎡もある。
アララット山をトルコ側から見る。1966年11月にここを通った時のことがよみがえってくる。乗り合いバスで夕日に照らされたアララット山を見て感動した。
右肩に見えるのは小アララット山。3896m。
ズームで。
アルメニアとの国境の町、カルスに着く。
久しぶりのビール。イランで飲めなかったアルコール、トルコでは解禁だが、外人が泊まるホテルでないと売ってない。
イランは見所いっぱいですよね。
国境付近以外は渡航危険度2に下がってますので又いらしてください。
最高指導者と民衆の気持ちはだいぶ離れているような気がしました。