■こならの森56号■1992.12発行
表紙 「秋山川=水道橋」
C・o・n・t・e・n・t・s
3p… 結婚しました 真家さん夫妻
4p-19p…まちづくり最後の提案
20p…カラムコラム・街角の肖像
21p…きれい瞬間・圭吾の歳時記
22…ミステリーワールド
23…モータースポーツ
24-26p…情報
27…書評・絵本紹介
28-29p…文化会館情報
30こならの森から~
31…協賛店MAP
【本文抜粋記事】
まちづくり最後の提案
夢構想 第1回
司会 このシンポジュームを実りある形で進めていきたいと思いますがここでお話しして頂くことは、あくまで個人の夢の意見であって、団体の代表としての見解ではないということを最初にお断りしておきます。
それでは、最初に太田様お願い致します。
■佐野
両毛五市構想というのは復活、ルネッサンスだ。
■佐野商工会議所 青年経営者懇談会 会長 太田哲夫さん
地元代表ということでトップバッターのご指名を頂いております。 佐野市は来年市政五〇周年を迎えます。改めて五一年に向かっての町づくりをどうするのか行政サイドだけでなく市民のみなさんも真剣に取り組むべきときだと思っています。
先日佐野へ日本新党の寺沢良男さんと出雲市の岩国市長さんがおみえになりました。お二人は、「中央集権の枠組により地域が発展したが、逆に言えば中央集権が地方の自立や活性化を阻害している。国民はもっと豊かな生活や、ゆとりを持つためにこうした面を改革して行かなければいけない」。また「国が変わらないならば地方から変わって行く、そう地方行政に当たるべきだ」とも言っておりました。そんなことから、これからの地方での町づくりは大事な道を選択しなければいけないと感じます。 私共、青年経営者懇談会も「みんなで未来の夢を語ろう」をサブタイルとして「残すべきもの、創るべきもの」と表現しています。ものといっても固形のものを意味している訳ではありませんで、心とか文化、情報の問題等が含まれると思います。そして来年三月にはシンポジュームを計画しています。主旨としては環境保護の高まりやゆとりのある生活、歴史文化を見直すこと。ミニ東京化でない個性的な暮らしやすいまち、そういったことを具体的に手探りしながら、佐野の個性、まちのアイデンティティというものをきっちりと追求していきたい。そして、それをベースにして街のビジョンを持うじゃないか、ということで進めています。 佐野は県内外から厄除大師やラーメンなどに大変多くのお客さんが来て頂いています。これはやはり手づくりの味わいや、何か心に触れるものがあるのではないかと、ある方から聞きました。佐野はその他にも地酒、雛人形、天命鋳物とか繊維関係の手仕事が脈々と受け継がれ、これが大事な資産だと思います。しかし、うっかりしているとそういう地方の良さが、首都圏の拡大と東京文化の流入によってなくなってしまう危険性がある。だから大事な所はしっかり守って行かなければいけない。
当会は会員が百名近く、もっかのところ総務・経営研究・地域開発・情報ネットワークの四つの委員会に分かれ、各委員会ごとにテーマを絞り込んでいます。
総務委員会は、祭りを切り口にしています。祭りはそのまちの個性や文化、経済力を反映するものである、そういったことから祭りの歴史を追いながら佐野のスピリットや今後の方向を探って行こうと試みています。
経営研究委員会は地域の工芸品とか商工業を切り口に「創るもの、残すもの」という観点で研究をしています。
地域開発委員会は、新都市整備開発と既存の街のかかわりについて研究する。この新都市整備計画は、国土庁の地域振興整備公団事業の前段階で、佐野のインター付近一五〇ヘクタールに及ぶ大規模な開発計画です。これは創るべきものに入ると思います。一方で、旧市街地は歴史と伝統に根差した町並みが残っていますから、いい意味で残すべきものだと思います。けれどもリフレッシュを図らなければならない面もある。暮らしの面からも新都市計画との関連を探って行きたいと考えます。 最後に情報ネットワーク委員会なんですが、これはテーマというより手法かも知れません。佐野市の新旧の写真あるいは8ミリ映像などを集め佐野の変遷をたどっていく。失ったものも多いかも知れませんが、ちゃんと残って輝いているものもあるでしょうし、創るべきものの方向性も探れると期待しております。
以上四委員会の活動ですが、まだ作業中であり活動を報告するという形で町づくりの基本となる考え方を述べました。来年の三月にはシンポジュームという形で一般公開したいと思います。
これからは地方の時代だ、北関東横断道路ができれば発展する、水と緑に恵まれている、道がいい、とスローガン的に掲げていただけでは良い町にはならない。開発と自然環境をどうやって調和させていくのか、どこの水と緑を残すのか、また大事にするのか、そういったことも具体的にしなくてはいけないと思います。
佐野は立地が良いといいますが、道路交通の面は良しとしても、鉄道ではJRも私鉄も支線でどちらの駅も遠くへ出る場合乗り換えで、あまり恵まれていないと思います。県庁からも遠いですね。
佐野市の南部は群馬県の館林、板倉町に接しており、行政の区割りですと南部が空白地帯になっています。加えて渡良瀬川で分けられていますから群馬県側へのアクセスは非常に悪く、板倉町などへは直接いけません。情報やビジネスも、中央統制の区割りに沿った営業なり展開にされています。一般市民のレベルではなかなか群馬県側の情報は入って来ないと思います。これが仮に同一の広域都市として形成されたり、同一の市ということになりますと情報や人々の交流がもっと盛んになると思います。
私の子どもころの印象では、この両毛地区は繊維産業が盛んでそれを中心にもっと一体感があったのではないかと思います。江戸時代から、八木節音頭などは両毛地区一帯で歌われていたと思いますし、冬になりますといまだに両毛一帯にからっ風は吹き荒れます。それは健在なのですが……。
ですから、この両毛五市構想というのは私からしてみれば復活というか、ルネッサンスだと思っています。今まで行政の中で分断されていたものが復活するチャンスであり、必然的にたどる道なのだと思っています。
幸い両毛広域都市構想が国の総合開発事業として調査対象区域に指定されましたので我々民間レベルの交流をいっそう高めて、一歩も二歩前進していくことが必要かと考えます。この構想が具体化し、若い人もお年寄りも住み良い町、またそういう動きがあるだけでも若い人はどんどんUターンしてくる、あわよくば他の出身の若い人も両毛地区に集まって来る、そのくらい頑張っていく必要がある。そんなことを思いながら、具体的な提言にはいたりませんでしたが、両毛五市の夢の発表を終わられて頂きたいと思います。
表紙 「秋山川=水道橋」
C・o・n・t・e・n・t・s
3p… 結婚しました 真家さん夫妻
4p-19p…まちづくり最後の提案
20p…カラムコラム・街角の肖像
21p…きれい瞬間・圭吾の歳時記
22…ミステリーワールド
23…モータースポーツ
24-26p…情報
27…書評・絵本紹介
28-29p…文化会館情報
30こならの森から~
31…協賛店MAP
【本文抜粋記事】
まちづくり最後の提案
夢構想 第1回
司会 このシンポジュームを実りある形で進めていきたいと思いますがここでお話しして頂くことは、あくまで個人の夢の意見であって、団体の代表としての見解ではないということを最初にお断りしておきます。
それでは、最初に太田様お願い致します。
■佐野
両毛五市構想というのは復活、ルネッサンスだ。
■佐野商工会議所 青年経営者懇談会 会長 太田哲夫さん
地元代表ということでトップバッターのご指名を頂いております。 佐野市は来年市政五〇周年を迎えます。改めて五一年に向かっての町づくりをどうするのか行政サイドだけでなく市民のみなさんも真剣に取り組むべきときだと思っています。
先日佐野へ日本新党の寺沢良男さんと出雲市の岩国市長さんがおみえになりました。お二人は、「中央集権の枠組により地域が発展したが、逆に言えば中央集権が地方の自立や活性化を阻害している。国民はもっと豊かな生活や、ゆとりを持つためにこうした面を改革して行かなければいけない」。また「国が変わらないならば地方から変わって行く、そう地方行政に当たるべきだ」とも言っておりました。そんなことから、これからの地方での町づくりは大事な道を選択しなければいけないと感じます。 私共、青年経営者懇談会も「みんなで未来の夢を語ろう」をサブタイルとして「残すべきもの、創るべきもの」と表現しています。ものといっても固形のものを意味している訳ではありませんで、心とか文化、情報の問題等が含まれると思います。そして来年三月にはシンポジュームを計画しています。主旨としては環境保護の高まりやゆとりのある生活、歴史文化を見直すこと。ミニ東京化でない個性的な暮らしやすいまち、そういったことを具体的に手探りしながら、佐野の個性、まちのアイデンティティというものをきっちりと追求していきたい。そして、それをベースにして街のビジョンを持うじゃないか、ということで進めています。 佐野は県内外から厄除大師やラーメンなどに大変多くのお客さんが来て頂いています。これはやはり手づくりの味わいや、何か心に触れるものがあるのではないかと、ある方から聞きました。佐野はその他にも地酒、雛人形、天命鋳物とか繊維関係の手仕事が脈々と受け継がれ、これが大事な資産だと思います。しかし、うっかりしているとそういう地方の良さが、首都圏の拡大と東京文化の流入によってなくなってしまう危険性がある。だから大事な所はしっかり守って行かなければいけない。
当会は会員が百名近く、もっかのところ総務・経営研究・地域開発・情報ネットワークの四つの委員会に分かれ、各委員会ごとにテーマを絞り込んでいます。
総務委員会は、祭りを切り口にしています。祭りはそのまちの個性や文化、経済力を反映するものである、そういったことから祭りの歴史を追いながら佐野のスピリットや今後の方向を探って行こうと試みています。
経営研究委員会は地域の工芸品とか商工業を切り口に「創るもの、残すもの」という観点で研究をしています。
地域開発委員会は、新都市整備開発と既存の街のかかわりについて研究する。この新都市整備計画は、国土庁の地域振興整備公団事業の前段階で、佐野のインター付近一五〇ヘクタールに及ぶ大規模な開発計画です。これは創るべきものに入ると思います。一方で、旧市街地は歴史と伝統に根差した町並みが残っていますから、いい意味で残すべきものだと思います。けれどもリフレッシュを図らなければならない面もある。暮らしの面からも新都市計画との関連を探って行きたいと考えます。 最後に情報ネットワーク委員会なんですが、これはテーマというより手法かも知れません。佐野市の新旧の写真あるいは8ミリ映像などを集め佐野の変遷をたどっていく。失ったものも多いかも知れませんが、ちゃんと残って輝いているものもあるでしょうし、創るべきものの方向性も探れると期待しております。
以上四委員会の活動ですが、まだ作業中であり活動を報告するという形で町づくりの基本となる考え方を述べました。来年の三月にはシンポジュームという形で一般公開したいと思います。
これからは地方の時代だ、北関東横断道路ができれば発展する、水と緑に恵まれている、道がいい、とスローガン的に掲げていただけでは良い町にはならない。開発と自然環境をどうやって調和させていくのか、どこの水と緑を残すのか、また大事にするのか、そういったことも具体的にしなくてはいけないと思います。
佐野は立地が良いといいますが、道路交通の面は良しとしても、鉄道ではJRも私鉄も支線でどちらの駅も遠くへ出る場合乗り換えで、あまり恵まれていないと思います。県庁からも遠いですね。
佐野市の南部は群馬県の館林、板倉町に接しており、行政の区割りですと南部が空白地帯になっています。加えて渡良瀬川で分けられていますから群馬県側へのアクセスは非常に悪く、板倉町などへは直接いけません。情報やビジネスも、中央統制の区割りに沿った営業なり展開にされています。一般市民のレベルではなかなか群馬県側の情報は入って来ないと思います。これが仮に同一の広域都市として形成されたり、同一の市ということになりますと情報や人々の交流がもっと盛んになると思います。
私の子どもころの印象では、この両毛地区は繊維産業が盛んでそれを中心にもっと一体感があったのではないかと思います。江戸時代から、八木節音頭などは両毛地区一帯で歌われていたと思いますし、冬になりますといまだに両毛一帯にからっ風は吹き荒れます。それは健在なのですが……。
ですから、この両毛五市構想というのは私からしてみれば復活というか、ルネッサンスだと思っています。今まで行政の中で分断されていたものが復活するチャンスであり、必然的にたどる道なのだと思っています。
幸い両毛広域都市構想が国の総合開発事業として調査対象区域に指定されましたので我々民間レベルの交流をいっそう高めて、一歩も二歩前進していくことが必要かと考えます。この構想が具体化し、若い人もお年寄りも住み良い町、またそういう動きがあるだけでも若い人はどんどんUターンしてくる、あわよくば他の出身の若い人も両毛地区に集まって来る、そのくらい頑張っていく必要がある。そんなことを思いながら、具体的な提言にはいたりませんでしたが、両毛五市の夢の発表を終わられて頂きたいと思います。