■ ■■■■■ ■ 日刊 こならの森 ■ ■■■■■ ■

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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森148号

2008-05-20 | 101号~200号
       ■こならの森148号■2000.8発行
表紙 「群馬の森 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森9月号■

3p としこの巻頭詩
4p やんばる
5p 結婚 古橋さん夫妻
6p-9p JC通信
10-13p 不透明な街
14-17p ドライブガイド 「群馬の森」
18p 風の独り言
19p 現代国語辞典
20p (新)やぶいしゃのひとりごと
21p 書評・絵本紹介
22-25pインフォメーション98
26-27pクイズ/タウン情報
28-29p 協賛店・MAP
30p こならの森から

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【本文抜粋記事】

森シリーズ
「群馬の森」
 
 こならの森はやはり「森」にはこだわりたい。
 旅の途中によく21世紀の森とか、○○の森というのを聞くようになった。こならの森以前にも、もちろん森がつく名前はあったのだが、気のせいか、こならの森創刊以後からその数が顕著に増加したような気がする。テレビでお馴染みのニュースの森はもちろん、こなら以後である。
 そこで、群馬の森である。今まで、いろいろ群馬を紹介してきたが、この「森」は佐野からも道のりでキロ圏内、かなり、思いもがけないほど近い身近な距離にあるのである。
 栃木県は日光の自然そのものを自然博物館として位置づけているが、群馬の森も自然と、博物館や美術館とをうまくアレンジしている。
 そこにはアミューズメントあり、美術館あり、フィールド、博物館etc とても一言ではかたり尽くせない施設が隣接している。それだけならいいのだが、そこを自然に利用している人々の暮し方にも個性を見つけられる。

 水のオブジェは圧巻だ、猛暑のこの季節、涼みにいくだけでもかなり有効である。それも美しい「涼」であるからすごい。
 芝の緑と、ともかくなにもない広場がまたいい。欧米の美術館、博物館を彷佛させる。あちらは、ほんとうに敷地が広く、なにもない。おおむね、美術や博物に興味がなくても「遊べる」場所として市民権を得ている、あるいは『公園』的な役目を担っていて、どうぞご自由にというシステムがまたいい。本来、美術とか芸術は………などという権威的な押し付けがいらないのである。   
 バトミントンやフリスビーをして、そして博物館を見学して。これがいい。と、編者だけは思っていたりする。
 何か日本では、決まりきった箱がこうした施設にはつきまとう気がしてならないが、そうではないと、来訪者が示している点が評価できるのだが皆様はどうであろうか。これは、訪れてみなければ分からないその場の雰囲気というものだろうか。その辺が『森』という、お題目にあっていると思える。
 ………とそこまでヨイショしてきて残念なのは、日本的なものが、たったひとつの日本庭園だけですまされているという点だろう。
 米国の美術館や博物館はその施設とは別に、広大な緑地を確保している。日本の神社も、鬱蒼と茂った林や森にまた別な思いを得るのだという。
群馬への道のりはきつい。なぜかというと安佐からそこへ行く距離そのものは短くても、太田や伊勢崎、桐生、前橋、その他の衛星都市を含めると、栃木県の宇都宮みたいに、そこへ向かうまでの迂回路が全くない状態であり、裏道が使いづらい。群馬県の人ならある程度の心得はあるのであろうと聞いてみても、答えは、『混めばどこも同じ』ということであった。
 ともかく狭い地域に大きな人口を抱えた都市が密集していて、どこを通っても混雑するという図式になっていると思う。われら安佐人は、このエリアをうまく抜けだせれば、その後の、新潟(関越道)方面、上信越方面へのアクセスが飛躍的に向上するということを実感している。北関東道でもできない限りこの悩みは続く。都市化と、インフラのバランスシートは専門家に任せるとしても、本題にかえって、近くでいろいろな『術』に自然にふれらるというのも貴重な体験かと感じる。
 芸術は全くあってもなくてもいいものです。であるからこそ総てから解き放されて、もっとも自由であるべきだ。そんな思いが森全体に感じられます。また、そんな器など感じ取れないほどに自然であることが、本来の『自然』を体感できるようです。




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