12:59 全否定

就職するために履歴書を送ったりしても返事が来なかったり、単に「お祈り」だけが来る。
もし面接になっても自分をアピールできずに軽くあしらわれて面接終了。

そうなったときに面接官からは言われずとも、おのずから
「自分の経験の無さ」
とか、社会での必要性の否定を感じ取る。

自分が社会から必要とされるとき、人々に相手にされるときは
「人の養分になるため」
ってことだけ。
早い話が、他の人の財布ってことですな。

だいたいさ、人が人と関わるってのは
「自分にとっての利益がある」
ってことじゃん?
それは単に楽しいからとか、金銭的に有利とか。
なんにメリットも無かったら人と人との関係はないよ。

だから俺みたいに仕事をしていない人間は、会社での作業で会社に利益をもたらすわけでもなく、効率を考える必要もない。
だからそういう意味では不必要ってわけ。
もしこれで仕事ができる人だったら他の人も自分の利益を考えて放っておかないだろうけどね。

ところが俺みたいに、これと言って何ができるというわけでも無かったら、結局は「必要なし。どっか行って!」ってなってしまう。

人間、どこかに心のよりどころを求めるわけで、家の中では必要とされてないような立場でも、会社では上司に認められたり部下から慕われたり、同僚と仲が良かったりして身の置き場があるとか。
会社の中では役立たず扱いされても家の中では奥さんや旦那から慕われたり、子供から頼られたり・・・

そういうのが無い人。たとえば独身で親と暮らしている人などは犬猫などのペットを飼って心のよりどころにしてるのかもね。

人間なんて弱いもので、だれかとか何かに支えてもらわないと心なんて簡単にくじけてしまう。
だから支えあうために何歳になっても相手を求めたりするわけだ。
それは男の方が顕著で、理論的に物事を考えられる分、その能力を誰かに生かしたい。何かに生かしたいと思う心が「孤独から脱出」したいって気持ちと重なって結婚詐欺とかに引っかかってしまうのかもね。

いっぽう、女の方はどうかと言えば、高齢になればなるほどパートナーというものが必要なくなる傾向がある。
これは単純に「煩わしい」から。
自分の生活が自分で成り立たせることができるのだったら他人に左右されたくないでしょう。
決まった時間にご飯の用意をして、掃除洗濯。あげくに旦那の収入によっては働きに行かなくてはならない。
それだったら気楽に自分の食べる分だけ働いてノンビリ過ごした方が楽。
そう考えて当然かもね。

ところがここで問題があって、男の場合には女に頼った生活ってできないわけじゃん?
普通に考えて自分が働いて生計を成り立たせる必要があるわけ。
そういう圧力の中、就職しようとしての人格全否定攻撃。

そりゃー、苦しくもなるでしょうよ。
年金の支給年齢は上がるし、物価や税が上がって生活費は苦しくなる。
自分さえも食べていくのがやっと・・・
いや、その食べることさえもたいへん。

いままで学校で勉強やスポーツ、クラブ活動などでがんばってきたこと。
1点でも多くの点を取るために遅くまで勉強したり、理解できるまで図形や文法などとにらめっこしていたことなど・・・
そういうすべては「そんなのカンケーねー」って相手から言われる。

なんのために努力してきたのか?

そういうことを単純に社会では
「養分にならないやつは不必要」
とかたつけてしまいます。

いや、痛いです。痛い。激痛です。

俺は過去の自分を思い出すだけで大変に息苦しくなります。
そして、もうあんな生活には戻りたくない!!!!
って本気で思いますよ。

現在でも普通に生活してる人々のなかにも、大勢の人が苦しんでいると想像できます。
それって結局は周りから見えない事ですからねぇ。

にしてもさ、仕事を探すって大変。
本気でそう思う。
そしてお金をもらうのも大変だよな。
そんな風に考えると工場で働く若い人たちっていいかもね。
再就職もできるし、生活も掛かってないし。
うらやましいですなぁ。

俺なんて棺桶に少し足を入れてる感じなポジションだもん。
そのうえ、社会では不必要だしね。

そんな俺の心のよりどころはハトたちとウサギかな。
俺がいなかったら本気で困っちゃうもんね。
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