人生煮詰まってるなぁ・・・

なんていうか行き止まりなところで壁伝いに彷徨ってる感じ。
右も左も上も下も・・・ どこにも行けない。
たとえば、なにかやるのにお金が必要とかあるじゃん?
その何かやるってことが無い。
だから、お金も出番無しってところです。

年配の人に聞くと、孫にいろいろと買ってあげることが多くて、お金なんていくらあっても足りないそうな。
まー、それはだいたい想像がつくよな。
ある年齢になるとゲームのカートリッジとか、ねだったりするんだろ?
クリスマスだの誕生日だの、その他いろいろw
そうやって孫との会話なんかも楽しいわけだから、ついつい無理してでも買ってあげちゃうわけです。
「もう、あと数年もしたら、中学高校生になってジジババのところになんて来なくなっちゃうから、いまのうちだけでも・・・」
って感じなのかねー。

俺には子供いないから、そういうのよくわからないし、自分自身だって残り人生が長くないのに余計なものを買っても意味がないだろうな。とか、飲食するのもほどほどにしなくちゃとか。
そんなことばかりですよ。
つまり、なにをどうすれば楽しめるのかがイマイチわからなくなってる。
旅行なんかも結構行ったしね。

うーん・・・・

旅行に行く年齢や相手によっても全然違うんだろうなってことはわからなくもないけど・・・
たとえば能登半島の恋路海岸って、もう15回は行ってると思うんですよ。
23歳くらいの時に初めて行ってから、数年前に行ったときまでで。
当然、一緒に行く人も違ったり俺の年齢も違ったりするわけ。
ウチから、そこに行くまでだって一般道路を使うからフンゲー長時間一緒にいるわけですよ。
そうすると、いろいろと見えたりするわけです。
普段見えない性格とか。

同じ場所に行っても相手によって寄っていく場所や食事する場所も違うし、現地での出来事も違う。
でも、なんか違うんだよなぁ・・・
俺の求めてる刺激と。
それだったら、隣町だろうが知らない店にでも入って電化製品を見たり、食事しても大して変わらない気がします。
早い話が、見たことも行ったこともないところに行くってことが刺激があって、そこに行くまでの出来事もひっくるめてって感じですかね。

ちょっとわかりづらいかもしれないんですが、いろいろと経験しすぎたせいで「楽しいなー!」って気持ちが薄れてしまってるってことなんですよ。
それは、旅行してみる以外に物を買うとかでも同じことで、服も靴もアクセサリーも車も家も、どれもこれも買って少しの時間が経過したら
「あー、やっぱりこんなものなんだ」
って飽きてしまうと思います。

だから、俺自身が楽しむというよりも、H美や恵美里、小豆など周りの人たちが楽しんでくれる方向に関心が行ってしまう。
その人たちが、どのくらい喜んでくれるのか?どのように楽しんでくれるのかを見てる方が楽しいってことなんです。
まー、そういうことしてる時がおじいちゃんが孫に物を買ってあげてニコニコしてる感じなんでしょうかね。

俺が現在思い残すことって、動物たちの事だけだな。
みんな旅立った後だったら、俺も安心して眠ることができますよ。
それまでに、みんなの喜ぶところなんかを見て、もう少し楽しみたいなー。
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