本年度最後の2月議会が始まっている。当局には反問権がないので、数日間の一般質問は、単調な一般的答弁リズムだ。
「民度の高さに感心しました」と議員の一人が堂々とした弁論を展開した。
「民度」という言葉には敏感になる。行政に対する「市民感覚」と同時に市民相手に投げかけられる言葉だ。
「私は当市市民の民度の高さに感心しました。防衛庁が防衛省に昇格した際、市民有志が集まって祝賀会を開催したのです。そうしたお祝いの会は全国的にも珍しいと、自衛隊の方にお褒めの言葉をいただきました」と、年配の議員が誇らしげに弁を揮う。
え!?と隣の理事者の一人と思わず顔を見合わせた。
だから、世の中は面白い。自分が遣っている「民度」と全く別の尺度で「民度」を遣う人がいるという新たな発見である。「眼から鱗」。自分の尺度が世の中のおよその尺度だと信じていることの浅はかさを改めて思い知らされる。
意思の疎通が図れない状況に陥るのも、誤解を重ねてしまうのも、そもそも人は、大きな価値観の違いに立脚しているのだと思えば、気持ちはとても楽になるのだが。
ただ、こうした違いを超えてひとつの社会を共同でつくりあげていくのは、やはりかなりの労力と包容力と妥協が必要になるのだということも同時にわかる場面だった。
↓こちらに、議員さんたちのブログがたくさん
「民度の高さに感心しました」と議員の一人が堂々とした弁論を展開した。
「民度」という言葉には敏感になる。行政に対する「市民感覚」と同時に市民相手に投げかけられる言葉だ。
「私は当市市民の民度の高さに感心しました。防衛庁が防衛省に昇格した際、市民有志が集まって祝賀会を開催したのです。そうしたお祝いの会は全国的にも珍しいと、自衛隊の方にお褒めの言葉をいただきました」と、年配の議員が誇らしげに弁を揮う。
え!?と隣の理事者の一人と思わず顔を見合わせた。
だから、世の中は面白い。自分が遣っている「民度」と全く別の尺度で「民度」を遣う人がいるという新たな発見である。「眼から鱗」。自分の尺度が世の中のおよその尺度だと信じていることの浅はかさを改めて思い知らされる。
意思の疎通が図れない状況に陥るのも、誤解を重ねてしまうのも、そもそも人は、大きな価値観の違いに立脚しているのだと思えば、気持ちはとても楽になるのだが。
ただ、こうした違いを超えてひとつの社会を共同でつくりあげていくのは、やはりかなりの労力と包容力と妥協が必要になるのだということも同時にわかる場面だった。
↓こちらに、議員さんたちのブログがたくさん
次の選挙でなんらかの変化がおこるよう
1票を投じたいと思います。