「アルハンブラ宮殿は入場制限があり、当日チケットの入手は至難」という旅行者向けHPの書き込みを読んだ。それほどの人気を呼ぶ宮殿の魅力は何だろう。
その情報を得たのは、先週のバレンシア滞在時だった。銀行が運営するチケット販売サイトでアルハンブラ宮殿のチケットを検索すると、確かに5日先まで完売となっており、ページを更新するたびに刻々とチケット販売数が減っていく。しかもチケットは、30分毎の入場時間が指定されるので、夜8時まで開城しているとは言え、遅い時間に入場時間を指定されると滞在時間が限定されるということになる。アルハンブラ宮殿に直接行っても、現地で入場時間まで待っていなければならないことも少なくないという。
そういうわけで、事前にネットで購入できたのは幸運だったかもしれない。「すべて見学するなら、最低2時間はほしい」というアドバイスもあり、午後の部の入場開始時間14時ちょうどのチケットをネット決済で買えたのだ。
アルハンブラ宮殿は予想以上に広く、また居心地の良い丘の上の緑溢れる大公園だった。14時に入場し、宮殿の丘を下りて時計を見たら19時。実際、5時間近く城内に居たことになる。
アルハンブラ宮殿の紹介写真によく出る「獅子のパティオ」。繊細な彫刻と124本の大理石柱がライオンの泉を囲むイスラム建築のこの庭は、アルハンブラ宮殿の中の王宮の一部にすぎない。入場制限をしているのはこの王宮への入場のことで、それゆえ、王宮内はコントロールされた人数で堪能できるというわけだった。
「赤い丘」と呼ばれる高台一帯が高い塀に囲まれた宮殿で、宮殿の中心に14世紀に建立された王宮、カトリック支配後に建立された宮殿、王家の夏の別荘、9世紀以降の要塞、と4つのパーツに分けられるほどの広い敷地に広がる。
15世紀にイスラム教徒が無血開城してからも、各カトリック支配者が変わるたびに保護や放置を繰り返された宮殿というが、現在は城内の余りある噴水も緑地も丁寧に手入れされており、宮殿全盛期の贅沢な生活を思い浮かべるに十分な雰囲気を保っている。
王宮の贅沢な彫刻や建造物にはため息を止めることはできないが、それ以上に、シエラ・ネバダ山脈から引いているという豊富な水に潤う庭園の美しさと情緒を今に残す歴史の衰勢に動かされるものがある。
各地に残る多くの歴史的建造物を見てきた。が、慄然と立ち尽くすローマの大理石の遺跡と何かが違う。今も当時と同じように庭園を流れ落ちる水、湧き上がる噴水、丁寧に刈り込まれれた生垣、むせるほど強い花の香り・・・「生きている宮殿」のそこかしこに、当時の人々の会話が、足音が聞こえてくるような錯覚を起こさせるという意味で、栄華の衰勢を実感する空間なのだ。
W.アービングが1832年に書いた『アルハンブラ物語(The Alhambra)』の日本語版を入場口脇のミュージアムショップで買い、宮殿内のベンチで時々広げながら、この地を通り過ぎて行った歴史の風を感じていた。
↑グラナダの中心部から歩いて宮殿の丘に登る道筋に噴水がいくつも登場する
↑王宮内部の各部屋を囲む柱には上部まで繊細な彫刻が施されている
↑大理石の壁に彫刻されたイスラム文字と唐草模様。イスラム教は偶像崇拝を禁じるため、建築でも線、形、色で表現した抽象的な文様が発達したといわれる。
↑緑に囲まれた王家の別荘。遠目に見えるのは宮殿の要塞。
↑王家の別荘の渡り廊下にある噴水は、双方から噴出した水が交差するように角度付けされている
↑宮殿内部の歩道を飾る丸石の石畳。グラナダ街中も同様の形態の石畳が多い。
↑大理石に着色した壁の彫刻
↑噴水と緑と花で潤う王宮内部の中庭
↑王宮、別荘内部の各所から下界の風景を楽しむことができる
↑別荘から王宮に向かう道を飾る花のアーチ
↑「獅子のパティオ」を囲む124本の華奢な大理石柱
↑起伏ある宮殿内部を潤す贅沢な水の流れ。三段に造られた庭園上部から、階段手すり上に彫られた川道を爽やかな音を立ててシエラ・ネバダ山脈からの水が流れる
↑9世紀頃には要塞として使われていたアルハンブラの丘には、当時の要塞と遺跡も多く残る
↑アルハンブラ宮殿入場口の城内図。赤色が建造物。緑の庭園地域が広がる。
その情報を得たのは、先週のバレンシア滞在時だった。銀行が運営するチケット販売サイトでアルハンブラ宮殿のチケットを検索すると、確かに5日先まで完売となっており、ページを更新するたびに刻々とチケット販売数が減っていく。しかもチケットは、30分毎の入場時間が指定されるので、夜8時まで開城しているとは言え、遅い時間に入場時間を指定されると滞在時間が限定されるということになる。アルハンブラ宮殿に直接行っても、現地で入場時間まで待っていなければならないことも少なくないという。
そういうわけで、事前にネットで購入できたのは幸運だったかもしれない。「すべて見学するなら、最低2時間はほしい」というアドバイスもあり、午後の部の入場開始時間14時ちょうどのチケットをネット決済で買えたのだ。
アルハンブラ宮殿は予想以上に広く、また居心地の良い丘の上の緑溢れる大公園だった。14時に入場し、宮殿の丘を下りて時計を見たら19時。実際、5時間近く城内に居たことになる。
アルハンブラ宮殿の紹介写真によく出る「獅子のパティオ」。繊細な彫刻と124本の大理石柱がライオンの泉を囲むイスラム建築のこの庭は、アルハンブラ宮殿の中の王宮の一部にすぎない。入場制限をしているのはこの王宮への入場のことで、それゆえ、王宮内はコントロールされた人数で堪能できるというわけだった。
「赤い丘」と呼ばれる高台一帯が高い塀に囲まれた宮殿で、宮殿の中心に14世紀に建立された王宮、カトリック支配後に建立された宮殿、王家の夏の別荘、9世紀以降の要塞、と4つのパーツに分けられるほどの広い敷地に広がる。
15世紀にイスラム教徒が無血開城してからも、各カトリック支配者が変わるたびに保護や放置を繰り返された宮殿というが、現在は城内の余りある噴水も緑地も丁寧に手入れされており、宮殿全盛期の贅沢な生活を思い浮かべるに十分な雰囲気を保っている。
王宮の贅沢な彫刻や建造物にはため息を止めることはできないが、それ以上に、シエラ・ネバダ山脈から引いているという豊富な水に潤う庭園の美しさと情緒を今に残す歴史の衰勢に動かされるものがある。
各地に残る多くの歴史的建造物を見てきた。が、慄然と立ち尽くすローマの大理石の遺跡と何かが違う。今も当時と同じように庭園を流れ落ちる水、湧き上がる噴水、丁寧に刈り込まれれた生垣、むせるほど強い花の香り・・・「生きている宮殿」のそこかしこに、当時の人々の会話が、足音が聞こえてくるような錯覚を起こさせるという意味で、栄華の衰勢を実感する空間なのだ。
W.アービングが1832年に書いた『アルハンブラ物語(The Alhambra)』の日本語版を入場口脇のミュージアムショップで買い、宮殿内のベンチで時々広げながら、この地を通り過ぎて行った歴史の風を感じていた。
↑グラナダの中心部から歩いて宮殿の丘に登る道筋に噴水がいくつも登場する
↑王宮内部の各部屋を囲む柱には上部まで繊細な彫刻が施されている
↑大理石の壁に彫刻されたイスラム文字と唐草模様。イスラム教は偶像崇拝を禁じるため、建築でも線、形、色で表現した抽象的な文様が発達したといわれる。
↑緑に囲まれた王家の別荘。遠目に見えるのは宮殿の要塞。
↑王家の別荘の渡り廊下にある噴水は、双方から噴出した水が交差するように角度付けされている
↑宮殿内部の歩道を飾る丸石の石畳。グラナダ街中も同様の形態の石畳が多い。
↑大理石に着色した壁の彫刻
↑噴水と緑と花で潤う王宮内部の中庭
↑王宮、別荘内部の各所から下界の風景を楽しむことができる
↑別荘から王宮に向かう道を飾る花のアーチ
↑「獅子のパティオ」を囲む124本の華奢な大理石柱
↑起伏ある宮殿内部を潤す贅沢な水の流れ。三段に造られた庭園上部から、階段手すり上に彫られた川道を爽やかな音を立ててシエラ・ネバダ山脈からの水が流れる
↑9世紀頃には要塞として使われていたアルハンブラの丘には、当時の要塞と遺跡も多く残る
↑アルハンブラ宮殿入場口の城内図。赤色が建造物。緑の庭園地域が広がる。
ところで、ベルベル人とムーア人をスペインでどう使い分けしているのか興味あります。
チャールトン・ヘストン主演による映画「エル・シド」は、ムーア人により脅かされていた11世紀のスペインが舞台でしたが、イスラム化したベルベル人をムーア人と呼ぶようなことを聞いたこともありますし、ギリシャ時代にギリシャ語以外をしゃべる民族はみんなバルバロスでペルシャ人もバルバロスだったようです。
ラテン語Barbarus→ 英語Barbarianになったとか。
今のイスラムはイスラム過激派の印象が強烈すぎて、本来持っているはずの高度な文明に思い至らないのですが、今でもムスリムに受け継がれているはずです。アルハンブラ宮殿を筆頭に凛とした秩序ある文明は彼等の祖先の手による訳ですものね。
実は、私もbadboyさんと全く同じ疑問を持ち、未だに解決に至っていません。というのも、訊く人によって答えが変わってくるのです。10/16に書いたバレンシア祭では、「クリスチャンとムーア人との融和のパレード」と表現する人が多くいました。クリスチャンと言うなら相手は「ムスリム(イスラム教徒)」でしょうと聞くと「違う」という答え。じゃあ「アラブ人のこと?」と聞くると「そうだ」と言うので、そこで更に、「ベルベル人」「ムーア人」「アラブ人」の3者の区別がわからなくなりました。「アラビア語を話すのがアラブ人」という考え方もあるそうですが、ベルベル人は北アフリカ土着の民族だか。
今回入ったモロッコでは、「ベルベル人」という表現を各所で聞きました。これについては、11月2日分からのモロッコ紀行の中で書こうと思います。
ところで、グラナダ滞在中に「エル・シド」の中古DVDが手に入り、もう少し余裕ができたら観ようと持ち歩いています。偶然ですね。
イスラム文化とキリスト教文化が混在しているイベリア半島は本当に魅力的で去りがたい土地です。