新編 辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス 前編 20話
第九章【捕虜作戦】①
戦場ではシュロス月光軍団による掃討作戦が続いていた。
月光軍団のフィデス・ステンマルクは指揮官のエルダを追っていた。いったんはエルダを捕虜にしたものの、空飛ぶ雲の騒動で逃げられてしまった。もう一度この手でエルダを、美しいエルダを捕まえたい。
探し回るうちにエルダを発見した。しかも一人だ。なんという幸運だろう、胸が高鳴った。エルダは足を痛めたらしく左足を庇うようにしていた。難なく追い付き、服を引っ張った。今度こそは逃がさないと力を込める。
「捕まえたわ」
フィデスが腕を掴むとエルダも手を伸ばしてきた。
「キイッ」「なによ」
女同士の取っ組み合いはフィデスの方が断然強かった。服を掴み、腕を引いて体当たりした。エルダはしがみついてるだけだ。両手で抱きついて地面にねじ伏せるとエルダは力を抜いておとなしくなった。
「ふうう、捕まえた、もう逃げられないから」
きれいな顔だ。
間近で見るエルダは肌がスベスベしていて、この世の物とは思えないほどに美しい。フィデスはしばらくエルダの顔に見とれていた。
「あなた・・・捕虜になりなさい」
手を取って指を絡めエルダを引き寄せた。
「・・・」
近くで人声が上がり足音も聞こえた。フィデスはエルダを抱きかかえた。たとえ誰であろうとも、この美しい女を誰にも渡したくはない。それに応えるかのようにエルダがフィデスの背中に手を回してきた。
首筋にエルダの腕が掛かった。
「エルダさん・・・」
その時、ビリリと激痛が走り、フィデスは首を押さえて崩れ落ちた。エルダがフィデスを突き飛ばして立ち上がった。
「ごめん、フィデスさん」
美しき獲物エルダに逃げられてしまった。
カッセル守備隊は三姉妹の綿菓子攻撃、そして地下世界のニーベルが味方してくれたこともあって何度もピンチを切り抜けてきた。しかし、とうとう仄暗い森の中に追い詰められてしまった。偵察に行ったスターチの話では、月光軍団はやや開けた所でテントを張って宿営地にしているとのことだった。
絶望的な雰囲気が漂う中で、つかの間の休息をとった。
攻める方も守る方も食事の時間だけは手を休める。しかし、守備隊は敵に取り囲まれているので緊張感を緩めることができなかった。食べる物はパンと干し肉しかなかった。
「お嬢様、パンをどうぞ」
アンナがパンを渡すとお嬢様は半分にちぎった。カッセルの城砦でパンが硬いと言って嘆いた頃とは大違いだ。お嬢様は敵と戦わずに逃げ回っているだけなのでまだ元気が残っているようだ。
「お嬢様、何だか逞しくなりましたね」
「はい、私も頑張っています」
お嬢様がパンを齧った。
「そろそろパンも残り少なくなってきた。お嬢様のためにあたしがカエルを捕まえてきてあげるよ」
「うっ」
「カエルの足の肉はうまいぞ、ガブっとかぶりつくのさ」
ベルネがカエルの食べ方を指南した。
「カエルはいりません」
マリアお嬢様は背嚢を開けて包みを取り出した。
「もっといいものがありますよ、とっておきのチョコレートです」
お嬢様はチョコレートの一片をペキンと折って輸送隊のカエデに渡した。お嬢様が荷馬車に積み込んだ自分専用のお菓子とはこのことだった。カエデは礼を言ってチョコレートを口に含んだ。
「甘いっ、おいしい」
疲れた身体に糖分が染みわたる。カエデに続いてみんながチョコレートを齧った。甘いお菓子のおかげで疲れも解消するような感じがしてきた。お嬢様はこれまでも隠れてチョコレートを食べていたので元気だったのだ。
「よーし、この勢いで突撃してくるぞ」
チョコレートを食べたベルネが立ち上がった。
「頑張って、ベルネさん」
「チョコレートのお礼にカエルを取りに行ってくる」
「カエルはいりません!」
お嬢様はロッティーにもチョコレートを分け与えた。
「ロッティーさん、あなたもどうぞ」
「私にまでくださるとは・・・」
さんざん虐めてきたお嬢様からチョコレートをもらい、ロッティーはすっかり恐縮した。
「お気に召しましたか」
「こんなおいしいお菓子は生まれて初めてです」
「私は子供の頃から食べてます」
「お嬢様、これまでいろいろと意地悪ばかりして、すみませんでした」
ロッティーはペコリと頭を下げた。
「よろしい、では、私の召使いになりなさい」
「うっ」
とたんに苦いチョコレートになった。
エルダはレイチェルを連れ出した。
「食べていいわ」
チョコレートを差し出すとレイチェルはおいしそうに齧った。よほどチョコレートが好きなようだ。
「斬られたところ大丈夫なの、レイチェル」
エルダを庇ったときに剣で斬り付けられたのだが、レイチェルは相手の剣を撥ね返したのだった。
レイチェルは肩を回して「痛くもなんともありません」と答えた。
鍛え上げられた強い肉体だ。
「不思議な力を持っているのね・・・レイチェル? 」
エルダは一瞬びっくりした。顔を向けたレイチェルの口の端に血が付いているように見えたのだ。それがチョコレートだと分ったが、剣で斬り付けられた時にどこか負傷したのではないかと思った。
気を取り直してエルダがレイチェルに言う。
「いいこと、レイチェル。このままでは私たちは皆殺しにされる。この状況を打ち破り、月光軍団に勝つためにはあなたの力が必要だわ」
「エルダさん」
「その力で、剣で斬られても怪我をしない身体で敵を倒すのよ。レイチェルの強靭な肉体ならば、どんな武器も怖くはないはず」
エルダがレイチェルを見た。
「敵陣に突撃して欲しい」
しかし、レイチェルは首を横に振った。
「あたしの力は・・・身を守るだけです。攻撃を受けたときに、それを撥ねのけるためにしか使えません」
レイチェルの能力は身を守るためのものだった。
「攻撃を受けたときだけ、この身体は変化するんです。それで攻撃を防ぐことができます。でも、激しい攻撃でないと変身しません」
「激しい攻撃か・・・」
レイチェルの変身能力は、強力な攻撃で身体を痛め付けられないと発揮できないのだった。だが、この戦い、絶対に負けるわけにはいかない。勝つためには手段を選んでいる場合ではなかった。身体が変化するのに相手の攻撃が必要ならば、捕虜にして月光軍団に攻撃させればいいのだ。
敵に殴られ蹴られるレイチェルの姿が浮かんだが、エルダはすぐにそれを消し去った。
「レイチェル、指揮官として命令します。あなたの力を使って月光軍団を倒しなさい。わざと捕虜になって敵陣に送り込むことにするわ。狙いは敵の隊長だけ、隊長を倒せば戦況は覆せる。勝つにはこの方法しかないの」
エルダは、狙うは月光軍団の隊長だけと繰り返した。
レイチェルは目を閉じた。
呪われた身体を使わなくてはならない・・・呪われた身体を見られてしまうのか・・・
<作者より>
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