新編 辺境の物語 第二巻 カッセルとシュロス 中編 15話
第九章【監禁】①
ローズ騎士団副団長ビビアン・ローラは祝杯のワインを飲み干した。
月光軍団参謀のコーリアスはすでに騎士団の配下になり、副隊長のミレイも従順を誓った。敗戦の責任は部隊長のナンリに押し付け監獄に放り込んである。下っ端の隊員にはカッセル守備隊との戦いで騎士団を守る盾になってもらう役目を与えた。
文官のフラーベルも言いなりだった。歓迎のつもりで「脚比べ」をしたらあっけなく気絶した。これでは召使いなど務まるものではない。フラーベルには文官として接待をさせる方が賢明だ。代わりの召使いが必要だったので、事務を取り仕切るニコレットに、シュロスの城砦のメイドを引き抜けと命じた。
参謀も副隊長もそして事務方の文官も服従させたので、これで月光軍団を手中に収めたのである。
気になることといえば、東部州都の軍務部から調査のための人員が来ていることだった。月光軍団の取調べだそうだが、それにしてはシュロスに来るのが早過ぎる。月光軍団が出陣した時点で、すでに州都には情報が届いていたのだろう。そうでもなければ、こんなに早く駆けつけられるものではない。
そのうちナンリに会わせろと言ってくるかもしれないが、その時は一緒に監獄に入れてやろう。牢屋でゆっくり調査すればいいのだ。
そして次は、カッセル守備隊との戦いだ。守備隊を叩き潰して壊滅させ、バロンギア帝国ローズ騎士団の名を辺境に轟かせるのだ。いっそのことルーラント公国との国境線を大幅に拡張してもいい。そのために、強力な爆弾兵器を大量に届けるよう手配した。カッセル守備隊など威力のある爆弾で木っ端微塵だ。
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月光軍団のナンリは薄暗い牢獄に監禁されていた。縛られた両手が壁に鎖で固定されているので身動きがままならない。
まさか、地下牢に監禁されようとは思ってもみなかった。
ローズ騎士団から告げられた罪状は、戦場で敵の隊員を見逃した『規律違反』だった。見習い隊員を見逃したのは事実だ。あのお嬢様を思い出す。あれを殺せと言うのか、あれを殺して何の手柄になるというのだ。
満足に寝ていないので頭がボンヤリしてきた・・・
ここはどこだ・・・戦場か・・・
指揮官のエルダがレイチェルを探していた。あの時、レイチェルはどこにいたのか。ああ、そうだった、崖から落とされたのだった。レイチェルが姿を消して、その後で怪物が現れた。レイチェルと入れ替わるようにして・・・まるで、レイチェルが怪物に変身したかのようにさえ思える・・・
ガチャリ
鉄格子を開けてローラが入ってきた。副団長のビビアン・ローラ様御一行である。参謀のマイヤール、文官のニコレットたちが前後を守るように固めている。後ろには召使いのレモンがパンを乗せたトレイを持ち、さらにもう一人メイドが付き従っていた。
「生きていてよかった。死んだら虐められないからね」
ローラはナンリの背中を蹴った。
最初に見た時は戦場帰りのオーラにたじたじとなったものだが、かなり弱ってきたとみえる。そろそろ月光軍団の隊員を集めて公開処刑にしてもいい頃だ。
「レモン、パンを・・・パンをやりなさい」
ローラに言われてレモンが床にパンを置いた。
「王宮と違ってここのパンはカチンカチンでマズいわ。だから、私が美味しくしてあげる」
靴でパンを踏み潰した。潰れたパンが床に練り込まれローラの靴の底にこびりついた。
「さあ、食べなさい」
ナンリは犬のように四つん這いになって靴に付いたパンを齧った。ローラは靴の底をナンリの顔に擦りつけ、こびりついたパンを削ぎ落とそうとした。ナンリは言われるままに、潰れたパンを靴底から剝がすようにして口に入れている。
気がすんだのか、ローラは後始末しておけと命じて出て行った。
副団長のビビアン・ローラがいなくなるのを見届け、召使いのレモンがナンリの傍らに屈みこんだ。エプロンでナンリの顔を拭い、顔に付いたパンを拭き取った。
「ああ、ありがとう」
ナンリは人心地ついた。
レモンというメイドは昨日も干し肉や果物を持ってきてくれた。騎士団の専属らしいが、レモンの助けがなかったら、もっと弱っていたかもしれない。今日はもう一人メイドがいた。初めて見る顔だった。
「・・・ん」
ナンリは新しいメイドの立ち姿が気になった。身体の構えができている。牢獄の中で戦闘態勢を取っていたのだ。同僚のメイドに対して身構えるはずはない、となると、監禁されている自分に対してなのか。
もしかしてカッセル守備隊の偵察員が潜入したのか。
指揮官のエルダならやりそうなことだ。
「どうぞ、これを」
レモンがポケットから別のパンを取り出した。ナンリは新顔のメイドを目の隅で追いながら新しいパンを口にした。パンにはソーセージが挟んであった。ほどよく塩味の効いたソーセージだ。ローラの靴に踏み潰されたパンとは違って、何とおいしいことか。水筒の水を飲ませてもらうと、たちまち身体に生気が蘇ってくるのを感じた。
「ナンリさん、話を聞いてください」
レモンが辺りを憚るように振り返った。もう一人のメイドは何も聞いていないとでもいうようにクルリと背中を向けた。
「州都の軍務部から来ているスミレさんという人に会ったんです。ナンリさんが捕らえられていることを話しておきました」
後ろを向いたメイドの目が鋭く光った。
「それで、スミレは何と」
「この状況に驚いていました。それから・・・フラーベルさんのことですが」
「フラーベル、フラーベルはどうしているんですか」
フラーベルと聞いてナンリは激しくもがいた。今にも鎖を引きちぎらんばかりだ。
「その人は・・・ローラ様に意地悪をされ、今は医務室で休んでいます」
「フラーベルまでも・・・」
ナンリはガックリとうなだれた。
「お気を強く持ってください、ナンリさん」
もう一人のメイドがナンリの耳元で言った。知らぬ間に近づいていたのだ。
「その怪我・・・イサンハルに診てもらいましょうか」
「?」
メイドたちが出て行くと再び錠前が掛けられた。
何と言うことだ、フラーベルが副団長のローラに目を付けられてしまった。それでも、監獄に入れられることだけは免れたようだ。フラーベルに監獄は辛すぎる。
この分では月光軍団が解体されるのは避けられそうにないだろう。州都軍務部のスミレの力を借りたいところだが、それにも限度がある。深入りするとスミレの身にも危険が及んでしまう。
イサンハル・・・ナンリはあのメイドが言った言葉を思い出した。
イサンハルとは士官学校の軍医の名前である。
なぜ知っているのだ、士官学校の軍医の名を・・・あのメイドは密かに協力者だと言ったのかもしれない。そう思うと、少し心強くなった。
これしきの痛みにも、騎士団にも負けてなるものか。何としてもここを脱出したい。
エルダさんはどうしているだろうか。エルダさんなら、この危機的状況を打開してくれるはずだ。それに、正体は不明だが味方とおぼしきメイドもいる。
味方・・・エルダが・・・
いや、そんなことはあり得ないと、すぐに否定した。
「来るはずがない」
月光軍団のナンリの頭を過ったのは、カッセル守備隊のエルダが救出に来てくれることだった。
スミレ・アルタクインは知らせを聞いてトリルとともに医務室へ駆けつけた。
医務室の寝台にフラーベルが寝かされていた。ローズ騎士団の文官ニコレット・モントゥーが見張っているので近づくのを躊躇った。しかし、ニコレットはスミレの姿を見ると側へ来るように手招きした。
フラーベルは目を閉じて眠っているように見えた。暴行を受けて気絶したのだ。だが、騎士団のニコレットのいる前では、その怒りを露わにするのも、そして慰めの言葉を口にするのも憚られる。黙ってフラーベルの手を握りしめた。
トリルは耐え切れずに顔を覆って泣き崩れた。
「・・・ぅつ」
別のすすり泣く声がした。泣いているのは騎士団の文官ニコレットだった。
「ちょっとだけ、外に出ているから・・・」
ニコレットは泣いていたことを見られまいとしてか、席を立って部屋を出て行った。
スミレはニコレットの後ろ姿に頭を下げた。
<作者より>
本日もお読みくださり、ありがとうございます。
投稿してみて手直ししたいところも目につくのですが、その時の勢いに任せた方がいい部分もあるし・・・
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