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米津玄師ファン時代としての記録

「愛情ってなんだろう」

2024-12-06 09:04:24 | 米津玄師

愛情ってなんだろう “変化の中にある連続”を見つめて

https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi29

 

「恋愛はしくじり」

真理を突いた金言だなと思いましたね。

恋愛の「愛」の部分は普遍的な人間の心そのものですので否定の余地はない。これこそが人間を人間たらしめる本質の部分。ところがここに「恋」がチラつくことで厄介になる。

「恋」の方ですね問題なのは、恋というのは一定の人物を自分にとって都合の良い方に変換して観てしまうことをいうんではないかと思う。その人物の真の姿を見ていないわけですから関係性は成り立ちません。その時点で一緒にいたとしても破局は確定しているわけです。

この記事の中で米津さんが言うところの、“変わっていく部分”なのでそこに付き合うと振り回されてしまう。それは外見です。恋した相手が一生懸命取り繕っている部分。なので恋愛は恋が先にきて愛が後に書かれている。恋から入って愛に到達できるのかどうか、外見がどうであれ相手を愛していけるのかどうかそれが恋愛。

あ、私のクソ恋愛観はどうでもいい?はい。

 

米津さんのこのインタビューで興味を惹かれたところはここです。

https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi29/page/3の中の

 


──ちなみに、アザレアの花をタイトルにした由来は?

心臓を移植した相手にその面影を感じてしまうという物語からの連想ですね。「これってドッペルゲンガーみたいだな」と思ったところから始まって、そこからクローンを連想して。アザレアは挿し木で増えるんですけれど、挿し木も個体としては別だけれど遺伝子的には同一なので、いわばクローンである。そうやって連想ゲーム的にたどり着いたのが挿し木の花だったので、そこからアザレアをモチーフにして、関係性を表現できないかということを考えました。


 

心臓移植した人が、いただいた心臓の元の人のような行動や言動になるという「記憶転移」が起こることが、症例としては世界中に沢山あるようなんです。(もちろん「学会」なる場で認められてるかどうかは知りません。科学者達は「エビデンス」を重要視するらしいので。)

それを米津さんは「ドッペルゲンガーみたい」と、サーっとそちらにシナプスが繋がるのが面白いなと思いました。

言われれてみれば確かにそうなのかも・・・と考えを巡らしました。

ドッペルゲンガーは周知の通り、世界に自分を含め3人自分と同じ人物が存在する現象やそれらを指す言葉です。あと2人どこかにいるってことかな。

一説によると、ドッペルゲンガーは宇宙人によるアブダクションされた人物がその遺伝子を採取され、それを培養して新たな人間を作りだされているらしいというもの、なのでその説で言えばドッペルゲンガーとはいわゆるクローン人間ということになります。

 

現実に医学で心臓移植がクローン人間製造という見方をされているわけでは当然ない、にしても。しかし心臓に込められた遺伝子が、移植された人に、まるでいたずらするかのような現象は起きていると。

 

米津さんはダイレクトに心臓移植を挿し木に例えました。

その理数的なインスピの速さと、その挿し木をアザレアにした芸術的な美しさ。だから天才アーティストなのよ。

 

 

 

 


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