五月になると、私の過去で苦労した年の事を思い出します。
この年、バブルの最盛期、株価は三万円台に青函トンネルが開通、
営業を開始。世の中は少し浮かれて居ました。
そんな年1988年。
深緑夏代は、宝塚少女歌劇団で14歳で初舞台を踏み
五十年が経過して居ました。
記念コンサートを、全国で行う企画を深緑夏代さんに快諾を頂き
皮切りは、まず東京で、画期的なレコーディングライブを考えました。
ライブを録音するのは当たり前ですが、録音スタジオへ、
お客さんに来て頂き、レコーディングの緊張感を共に経験して
頂こうと云うのが、私の企画の趣旨でした。
(写真は1988.5.17.FM東京ホールにて撮影)
この年、バブルの最盛期、株価は三万円台に青函トンネルが開通、
営業を開始。世の中は少し浮かれて居ました。
そんな年1988年。
深緑夏代は、宝塚少女歌劇団で14歳で初舞台を踏み
五十年が経過して居ました。
記念コンサートを、全国で行う企画を深緑夏代さんに快諾を頂き
皮切りは、まず東京で、画期的なレコーディングライブを考えました。
ライブを録音するのは当たり前ですが、録音スタジオへ、
お客さんに来て頂き、レコーディングの緊張感を共に経験して
頂こうと云うのが、私の企画の趣旨でした。
(写真は1988.5.17.FM東京ホールにて撮影)