今回は、東日本大震災(2011.3.11)の被災地で暮らす人々の苦悩と前向きに生きようとする姿を、女性麻酔科医の視点から描いた『救いたい』(2014)。以下そのプロフィール。
川島隆子(鈴木京香)は仙台の医療センターで麻酔科医長を務めている。夫・貞一(三浦友和)は仙台から離れて地域医療に従事している。震災から3年、町は前向きな笑顔であふれているかのように見える。しかし、悲しい記憶が消えることはない。肉親を亡くしたショックから、好きな人の優しさを受け入れることができない部下の麻酔科医(貫地谷しほり)。決して涙は見せまいと、誰に対しても明るく接する看護師(中越典子)。そんな彼女を見て胸を痛める義理の母。祭りを復活させようとする奔走する漁港の男たちもまた、逞しく振る舞う裏で苦しさや悔しさを噛みしめていた。隣人として、医師として、隆子と貞一は彼らにどうに向き合うのか。本当のやさしさ、強さを知る人々の再生の物語が今、始まる。(アマゾンより)
東日本大震災の被害状況は以下のとおり。
発生:2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒
被害原因:地震(マグニチュード9.0 日本観測史上最大)
→ 津波(10m以上)+余震+福島第一原子力発電所事故
被害状況:死者 15,893 (90%が津波による溺死)
行方不明 2,553
負傷者 6,152 (2017.3.10現在)
震災関連死 3,523
その他:原子力発電所の事故により、今もなお、福島県では県外避難者が5万人以上いるといわれる。
自分は今でもその揺れを思い出す。
1995(平成7)年1月17日早朝、自分は阪神大震災の揺れを大阪市福島区で経験した。冬の明け方、突き上げるような激しい揺れで「えっ、これは現実か?」と我に返りひたすら揺れが止まるのを待った。自宅各所で家具が倒れたり、ガラスが割れる音がした。いまでもたまに地震の揺れを感じると、年甲斐もなく「ビクッ」としてあの時を思い出し、しばらく動悸が続く。
義理の姉は神戸市内中央部で阪神大震災を経験した。マンションは全壊(倒壊はしていないが)、すぐ近くの商店街から火の手が上がり、両側が燃え盛るなかを奇跡的に遭遇したタクシーに乗車して、人工透析患者であった義父のためにひたすら病院を目指した。
全壊したマンションの部屋に入って今後の生活に必要なものを取りに行ったとき、ことごとくタンスの扉が外れていたが、姉によると、地震の激しい横揺れで蝶番(ちょうつがい)で固定されていた扉が飛んできたとのこと。激震地から離れていた自分は家具が倒れただけで済んだが、激震地にいた姉はタンスの扉が飛んできたのを目撃したのである。おそらく生きた心地がしなかっただろう。
人工透析患者であった義父は、環境の激変が原因で体調を崩し、約1か月後に他界した。「もしこの地震がなければ」という思いは、残された義母や義姉の心の中に今もあるだろう。
この映画は、地震や津波で肉親や友人の死に直面し、そして自宅や仕事をなくしたり、原子力発電所の事故で今もなお避難生活を強いられた多くの人々の心の傷みを、地震を直接経験しなかった我々に教えてくれる。
中でも「三浦友和」の診療所で看護師として働く「中越典子」が亡き夫を思い出して泣き崩れるシーンでは、普段の明るい振る舞いの裏に隠された彼女の「トラウマ(精神的外傷)」がいかに重いものかを知ることができた。
原子力発電所の事故で日本各所に避難した子供が学校でいじめられたり復興大臣の失言がニュースを賑わせているが、地震を経験した人が今もなお抱える心の痛みは、遠く離れたところで経験した人には絶対に分からない。分かるはずがない。
そんな「分からない」「分かるはずがない」を少しでもカバーしてくれるのが、映画でありテレビ報道であることをこの映画で再確認できた。
無知は誤解や偏見につながる。