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“Every day is a new day.”

これまでの話(安全地帯) 3

2008-09-18 00:58:20 | 安全地帯・玉置浩二
安全地帯のこれまでの話、その3です。

1990年に活動を再開した安全地帯は、アルバムを発表しコンサートツアーも再開しました。

しかし、これまでの音楽との違いに、戸惑いを覚えるファンもあったようで…。



デビュー10周年にあたる1992年末のコンサート(アンプラグドライブに収録)の後、既にレコーディング済み

のシングル『ひとりぼっちのエール』を1993年2月10日にリリースしました。その後しばらくはバンドとして

あまり目立った活動はなく、1994年、武沢さんの脱退が発表されました。安全地帯は2度目の活動休止

に入ります。この頃に、安全地帯の所属会社がキティレコードからソニー・ミュージックエンタテインメントに

移っています。



メンバーはこの間それぞれに活動されていました。

玉置さんはソロアーティストや俳優としても活動し、武沢さんと矢萩さんは他の人への楽曲提供やプロデュ

ース、演奏など。六土さんは、楽曲提供や玉置さんのツアーでの演奏、田中さんはカフェのオーナーをしな

がら玉置さんのツアーで演奏しておられました。

矢萩さんは一時期体調を崩されていましたが、『CAFE JAPAN 』ツアーから玉置さんのツアーに参加。

これで武沢さん以外の4人のメンバーが揃いました。

この頃の玉置ソロDVD『SHALL I MAKE T FOR YOU 』や『WE CAN BELIEVE IN OUR “ JUNK LAND ”』は、メン

バーが和気あいあいとしていて楽しそうです。

武沢さん以外の4人+サポートメンバーでのステージは、その後しばらく続きます。



1999年玉置さんがセルフカバーアルバム『ワインレッドの心』を発表。この時のレコーディングも上記のメン

バーで。そしてその勢いのまま安全地帯としてオリジナルアルバムのレコーディングに入ります。

しかし、レコーディング後、玉置さん曰く「思うところにいかなかった」そうで、リズムセクションを全て自らの

演奏と入れ換え、2000年、玉置さんのソロアルバムとして発表します。それが『ニセモノ』です。

安全地帯の『ニセモノ』という意味だそうです。


これがきっかけで、田中さんと六土さんはしばらく玉置さんの側を離れることになります。

タイトル曲『ニセモノ』を聞くと切ない気持ちになります。


この後、玉置さんは、安藤さと子さん(この当時は奥様)と矢萩さんの3人で新しいアルバムを制作します。

ブルースばかりを集めた『スペード』。矢萩さんは元々ブルースがお得意でしたね。



『ニセモノ』以来、田中さんと六土さんは玉置ソロのツアーメンバーから離脱。そこへ武沢さんが加入しまし

た。これは、当時玉置さんのプロデューサーだった須藤晃さんの推薦だそうです。武沢さんは、この少し前

(1998年)に玉置さんのステージにゲストとして参加されていたそうです。

2000年と2001年のツアーでは、武沢さんと矢萩さんのツインギターが見られたそうで…。

この時のツアーDVDを発売して欲しいですねぇ。

この辺りから、安全地帯復活への動きが始まります。

この続きは次回へ。
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