『ニセモノ』は、玉置浩二さんのソロアルバムです。【本物】にはなれなかった作品なので、『ニセモノ』と名付けられたそうです。
なんで、そんなことになったのか???
それには、何とも言えないエピソードがありました。
『ニセモノ』は2000年4月に発売されました。
このアルバムの前作は、『ワインレッドの心』という【安全地帯の頃の曲を玉置さん自身がセルフカバーしたアルバム】で、この時のレコーディングメンバーが、武沢さんを除く安全地帯のメンバー4人と安藤さと子さん、カルロス菅野さんでした。
このレコーディングメンバーで、そのまま次のアルバムを【安全地帯のオリジナルアルバムとして】制作されたわけです。
(もしかしたら、コレが『安全地帯Ⅸ』になっていたのかも知れませんね)
ところが、レコーディングが終わり、しばらく経ってから、玉置さんの気が変わり・・・・・。
玉置さん曰く、「思うところにいかなかった。」そうです。
で、こともあろうに、180日間 3200時間 という時間をかけて、矢萩さんのパート以外を全面録り直したそうです。
この話を知ったときの正直な感想は、「なんでそうなるの?????」でした。
「武沢さんを除く4人の作品は、安全地帯の作品じゃないからかしらん???そこまで、武沢さんの存在にこだわった結果???
だとすれば、本来矢萩さんのパートだけ、もしくは、全てを入れ替えるのではないか???」と思ったりもして。
(まぁ、コレは、ファンの勝手な思い(勘繰り)に過ぎないわけで、大きなお世話なんでしょうけど・・・)
結果的に、トータルで元の3倍近くの時間を要して作られました。それが、『ニセモノ』です。
玉置さん曰く、「安全地帯の作品のニセモノだから」ということだそうで。
『ニセモノ』のCDのライナーノートを見てください。実際にレコーディングに携わったスタッフのお名前が載っています。
そして、Special Thanks 欄には、参加したけど、使われなかった音源を提供された方々のお名前が載っています。
つまりは、そういうことです。
この何とも言えない後味の悪いエピソード。メンバーはどう感じたのか。
結果的に、田中さんと六土さんはツアーメンバーを離れることになりました。
志田歩さんの『玉置浩二3万字インタビュー』によれば、残った矢萩さんは、玉置さんに対して「みんなはちょっとガッカリしてたみたいだぞぅ」なんて言ったようですが・・・。その後1年近くは険悪なムードになって、メンバーとは連絡を取れなかったそうで。(そりゃあそうでしょ!!)
でも、このとき、矢萩さんが残ったことと、この後のツアーメンバーに何故か武沢さんが加わったことから、状況は変わります。須藤晃さんの推薦で、武沢さんの参加が実現したみたいですね。
ツアーに武沢さんが加わったために、「もう一度安全地帯をやってもいいか」という雰囲気が出来上がったそうで。そして、2001年に安全地帯が再始動、2002年の復活へとつながるわけです。
こうして見てみると、なんとも不思議なつながりですね。それぞれのメンバーの思いが・・・。
1ファンとしては、最初は素直にこの『ニセモノ』を聞くことは出来ずにいました。ただ、聞いてみて思いました。
「これは、安全地帯の曲じゃない!!玉置さんのソロ作品だ。なんとなくサウンドと作品の世界観が違う。」
ファンにとっては皮肉(この表現でいいのかしら?)なことに、『ニセモノ』はすばらしいアルバムです。
このアルバムには、人間の心の奥をさらけ出すような素直な詞と切なくも人の心にしみる優しいメロディで作られた名曲が詰まっています。
全てが、もう昔の話ですが・・・。
なんで、そんなことになったのか???
それには、何とも言えないエピソードがありました。
『ニセモノ』は2000年4月に発売されました。
このアルバムの前作は、『ワインレッドの心』という【安全地帯の頃の曲を玉置さん自身がセルフカバーしたアルバム】で、この時のレコーディングメンバーが、武沢さんを除く安全地帯のメンバー4人と安藤さと子さん、カルロス菅野さんでした。
このレコーディングメンバーで、そのまま次のアルバムを【安全地帯のオリジナルアルバムとして】制作されたわけです。
(もしかしたら、コレが『安全地帯Ⅸ』になっていたのかも知れませんね)
ところが、レコーディングが終わり、しばらく経ってから、玉置さんの気が変わり・・・・・。
玉置さん曰く、「思うところにいかなかった。」そうです。
で、こともあろうに、180日間 3200時間 という時間をかけて、矢萩さんのパート以外を全面録り直したそうです。
この話を知ったときの正直な感想は、「なんでそうなるの?????」でした。
「武沢さんを除く4人の作品は、安全地帯の作品じゃないからかしらん???そこまで、武沢さんの存在にこだわった結果???
だとすれば、本来矢萩さんのパートだけ、もしくは、全てを入れ替えるのではないか???」と思ったりもして。
(まぁ、コレは、ファンの勝手な思い(勘繰り)に過ぎないわけで、大きなお世話なんでしょうけど・・・)
結果的に、トータルで元の3倍近くの時間を要して作られました。それが、『ニセモノ』です。
玉置さん曰く、「安全地帯の作品のニセモノだから」ということだそうで。
『ニセモノ』のCDのライナーノートを見てください。実際にレコーディングに携わったスタッフのお名前が載っています。
そして、Special Thanks 欄には、参加したけど、使われなかった音源を提供された方々のお名前が載っています。
つまりは、そういうことです。
この何とも言えない後味の悪いエピソード。メンバーはどう感じたのか。
結果的に、田中さんと六土さんはツアーメンバーを離れることになりました。
志田歩さんの『玉置浩二3万字インタビュー』によれば、残った矢萩さんは、玉置さんに対して「みんなはちょっとガッカリしてたみたいだぞぅ」なんて言ったようですが・・・。その後1年近くは険悪なムードになって、メンバーとは連絡を取れなかったそうで。(そりゃあそうでしょ!!)
でも、このとき、矢萩さんが残ったことと、この後のツアーメンバーに何故か武沢さんが加わったことから、状況は変わります。須藤晃さんの推薦で、武沢さんの参加が実現したみたいですね。
ツアーに武沢さんが加わったために、「もう一度安全地帯をやってもいいか」という雰囲気が出来上がったそうで。そして、2001年に安全地帯が再始動、2002年の復活へとつながるわけです。
こうして見てみると、なんとも不思議なつながりですね。それぞれのメンバーの思いが・・・。
1ファンとしては、最初は素直にこの『ニセモノ』を聞くことは出来ずにいました。ただ、聞いてみて思いました。
「これは、安全地帯の曲じゃない!!玉置さんのソロ作品だ。なんとなくサウンドと作品の世界観が違う。」
ファンにとっては皮肉(この表現でいいのかしら?)なことに、『ニセモノ』はすばらしいアルバムです。
このアルバムには、人間の心の奥をさらけ出すような素直な詞と切なくも人の心にしみる優しいメロディで作られた名曲が詰まっています。
全てが、もう昔の話ですが・・・。
でも、『ニセモノ』は名曲揃いなので、また近々、曲についての感想も書きたいと思います。