東海道一里塚跡 2007年04月11日 | 静岡散策 蒲原宿の一里塚は江戸日本橋から数えて、三十八番目のもの。 最初の一里塚は、元禄十二年の大津波で流出して、宿の移転にともなってここに移されたそうです。 民家の敷地の真ん中あたりにどっかんとあります。 « 北條新三郎の碑 | トップ | 旅籠「和泉屋」(鈴木家) »
7 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (ヨウイチ) 2007-04-11 09:46:12 キャンペーンをやってるので応募してくださいね。 返信する ホントにど真ん中 (うーたま) 2007-04-11 15:28:46 こんにちは。角ケシみたいに凸凹した敷地なのかな。権利が複雑ですね 返信する >うーたまさん (くろ) 2007-04-11 16:09:18 権利はどうなっているのでしょうね?屋根がせり出しているので、民家の方が敷地の権利は所有しているけれど提供しているのかもしれませんね。でこぼこした家を造るには費用がかかります。それだけ壁も屋根も材料が多く必要になります。 返信する 一里塚 (横浜のおーちゃん) 2007-04-12 09:59:02 静岡ではあちこちに残っているのでしょうね。保存に協力されている民家の方に頭が下がります。 返信する 2枚目が衝撃 (Nasbon) 2007-04-12 14:03:27 2枚目の写真はインパクトがありますね。一里塚の持ち主は誰だろう?などと下衆なことを考えてしまいます。文化遺産を残すのは大変だなぁと思います。 返信する >おーちゃん (くろ) 2007-04-12 15:12:51 一里塚は道路が新しくなって異動させられたり新しく造り直されたりしていますが、あちこちにあります。道路にある場合はよいのですが、民家の敷地に入っている場合、とても大事にされている物と、邪魔者扱いされているのではないかと思われる物があります。 返信する >Nasbonさん (くろ) 2007-04-12 15:16:20 敷地の持ち主はどうやら民家の方だと思われますが、一里塚は町で製作されたのでは?古い家はたぶん不便なことが多いと思います。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
応募してくださいね。
角ケシみたいに
凸凹した敷地なのかな。
権利が複雑ですね
でこぼこした家を造るには費用がかかります。それだけ壁も屋根も材料が多く必要になります。
保存に協力されている民家の方に頭が下がります。
一里塚の持ち主は誰だろう?などと下衆なことを考えてしまいます。
文化遺産を残すのは大変だなぁと思います。
道路にある場合はよいのですが、民家の敷地に入っている場合、とても大事にされている物と、邪魔者扱いされているのではないかと思われる物があります。
古い家はたぶん不便なことが多いと思います。