NINAの物語 Ⅱ

思いついたままに物語を書いています

季節の花も載せていきたいと思っています。

愛の行方1. 暑い夜

2010-03-24 16:45:09 | 愛の行方
あの日も蒸し暑い夜だった。
物足りない気持ちのまま自宅に帰った麻衣は、家族に顔を合わせないまま風呂場へ行き、シャワーを浴びた。
今別れたばかりの和也の匂いを消すかのように、ボディーシャンプーの泡を体中に付けて擦っていた。
バスタオル一枚を体に巻きつけて二階の自室に上がり、灯りを点けないままクーラーのボタンを押した。
クーラーはなかなか冷たい風を送ってくれない。
閉め切った部屋は息が詰まりそうに暑い。
窓を開けて、前庭に植わっているケヤキの枝ごしに向こうを見ると、麻衣が勤めている銀行のある街一帯の空が薄いオレンジ色をして明るい。
麻衣の勤めている銀行は地方都市の中心にあり、自宅はそこから少し外れた郊外にあった。そこは500戸余りの集落で、家々はそれぞれに植木のある庭を持っていた。

麻衣は先ほどまでいた和也のアパートでのことを思い出していた。
あの熱い息使い、激しく気持ちを高揚させる和也の体の下で、以前の彼、修司の顔を思い浮かべていた。
年下の和也に心が添って行かないもどかしさのある中で、愛の行為は終わっていた。
「いつまで修二を想っているのよ。」
自分に言い聞かせるように呟いた。

愛の行方2. 幼い日(父の死)

2010-03-24 16:43:50 | 愛の行方
麻衣は窓辺に横になり、空を見上げると流れ星が一つ右から左へと流れていった。
その先を見ると、ひと際大きく強い光を放つ星が煌めいている。
修司のことが頭の中で整理できないまま、ぼんやりとその星を眺めていると、5歳の頃の記憶が不意に甦ってきた。

3月も終わりのまだ肌寒い朝であった。
麻衣は庭の苔の上に落ちた赤い椿を拾い集めて遊んでいた。
家の中から父の苦しそうな呻き声が聞こえてきたので中に入り、少し開かれた襖の間から父の寝室を覗くと、父の周りを囲んでいる叔父や叔母たちが、
「苦しいね。」「よく頑張ったね。」と 口々に慰めていた。
それを見て麻衣は、父の命がもう消えようとしていることを幼いながら悟っていた。
しかしその苦しみまでは理解できていなかった。

呻き声は暫くしてなくなり、昼になったので、皆食事をするために他の部屋に移動していった。
ほんの10分か15分ほどして皆が戻ってくると、父の息は絶えていた。
麻衣は珍しいものでも見るように、父の臥している布団の周りを回りながら父の顔を見ていた。
父の眼は、誰かが瞼を静かに押さえて閉じるまで、大きく開いたままで、麻衣がどの方向から見ても、自分を見つめているように見えた。
そんな麻衣を見て、親戚の人たちは、
「この子はまだなにも分っていないんだねぇ。」と涙を流していた。
しかし麻衣は心の中で思っていた。
「私はお父さんが死んだこと分かっているのに。」
死についても、もう二度とこの世に帰ってこないことは分かっていた。

その時も、その後も母の涙は見たことが無かった。
母の父への愛、父の母への愛はどんなものであったのだろうと、両親の顔を交互に思い浮かべながら麻衣は考えていた。

「麻衣。麻衣。」階下で呼ぶ母の声に、追想の世界から目覚めた。
冷房がよく効いていて、バスタオルから出ている肩が冷たくなっている。
慌てて服を着ると、食事をするために階下へ降りていった。

愛の行方3. 麻衣の父母

2010-03-24 16:42:20 | 愛の行方
麻衣が生まれた頃、父雅彦は織物工場を営んでいた。
工場の隣に従業員の宿舎があって、母美佐は毎日家事の他に従業員の食事なども作っていた。
子どもは麻衣の上に男の子と女の子がいた。
雅彦は病弱で、何度も入退院を繰り返し、最後は胃癌であった。

亡くなる一ヶ月ほど前、雅彦は布団の中から麻衣を呼んで、枕もとの飴を食べるように促した。
麻衣は飴を舐めながら、雅彦の足を擦っている母美佐の傍に座っていた。
「その織物、傷が付いている。誰が付けたんだ。」
「そんなに高く反物を積んだら崩れる。早く降ろしなさい。」
等と、まるで目の前のものを見ながら言っているような口調で、雅彦は美佐に話している。
美佐は困った顔をして、
「ええ、そうですね。」と相槌を打っていた。
麻衣は父の言っていることが現実には無いことなので、可笑しくて声を上げて笑った。
「麻衣はよく分かっているね。」雅彦は言った。
後で考えると、あれは父雅彦の病状がかなり悪くなっていて、脳に支障をきたし幻覚を見ていたのだと理解できた。

雅彦は麻衣が記憶している限り、美佐に対して優しい言葉をかけている姿を見たことがなかった。
いつも命令口調か、叱っている場面だけが思い出される。
雅彦の死に際し、涙しなかった美佐は、夫の余命が短いことを以前から知っていて、覚悟が出来ていたのだろうか。
それにしても気丈な人だと麻衣には思えた。

雅彦の死後、美佐は工場を縮小して細々と経営を続けていたが、繊維業界の不況は情け容赦なく中小企業を叩きのめした。
麻衣の兄と姉が就職したのを機に工場を畳んだ。

そんな父のいない生活の中で、男の存在意義が分からないまま育った麻衣は、男性からの愛の受け方が分からない女性であった。

愛の行方4. 花火

2010-03-24 16:40:00 | 愛の行方
修司は彫りが深く、テニスが得意な浅黒い顔をした、麻衣より2歳年上の28歳の青年だった。

初めて知りあったのは、3年前の夏、同僚の良江に隣県のS市である花火大会に誘われた時だった。
良江には、彼女の婚約者 清と一緒だと聞いていたので、三人で行くものだと思っていた。
仕事を終えて、私服に着替えるのももどかしく、二人は待ち合わせ場所の駅前の広場に急いだ。
約束の場所に停まっていた車の中には、中年の男性が運転席にいて、清ともう一人若い男性が車の外に立っていた。
良江の婚約者清がその若い男性を紹介した。
「この人、僕の同僚で木村修司っていうんだ」
「木村修司です。よろしく。」
修司は健康そうな白い歯を見せて笑顔で麻衣に手を差し出した。
麻衣もおずおずと手を出し握手をした。

車はワゴン車で2列目に良江と麻衣、その後ろに清と修二が座り、運転をしているのはどうやら修司の親戚の人らしい。
花火会場までは大変な渋滞で、ようやく着いた時には既に午後10時を大幅に過ぎていた。
大勢の人混みの中を歩いていて、麻衣は良江達とはぐれてしまっているのに気づいた。近くにいるのは先ほど会ったばかりの修司だけであった。
夜の知らない街で一人になるのは不安で、修司の腕をしっかりと掴んで歩いた。
花火はあまり見ないまま、ほどなく終わってしまい、良江達と合流するために、修司はその町の「バー沙織」へ麻衣を連れていった。

ドアを開けると右手にカウンターがあり、その中に和服を着た40歳代の目鼻立ちのはっきりした女性が笑顔で二人を迎え入れた。
他にホステスが2・3人いるようだ。
カウンター席の他に、左側にボックス席が20席ほどあり、奥の方で清が手を挙げているのが見えた。
そこには運転をしていた男性がウーロン茶を飲んでいて、清と良江がウィスキーの水割りを飲みながら、つまみを口にしていた。

帰りの車の中では麻衣の隣に修司が座り、肩に手を掛けてきて、「今日来て良かった。」と麻衣の耳元で囁いた。
意味は分からなかったが、悪い気はしなくて、先ほどの水割りが効いてきたのか心地よい眠りに陥った。

愛の行方5. お付き合い

2010-03-24 16:38:35 | 愛の行方
次の月曜日、出勤した麻衣は昼休みに、良江に屋上へ呼び出された。
「修司さんが貴方とお付き合いをしたいと言ってるわ。
あの人、この前彼女と別れたばっかりなのに。
彼の気持ちが分からないわ。」
良江は不機嫌そうな顔で言った。
良江の言葉で、麻衣は修司が自動車の中で囁いた、「今日来て良かった。」の言葉の意味が分かった。
そしてあの日は、清が修司のために仕組んだ花火見物であったことも気づき、良江はそれを知らなかったのだ。

修司は公務員で、職場はA銀行とは自動車で15分ほどの距離にあった。
退庁時間が麻衣の帰り時間と合わせやすく、二人は毎日のようにデートをした。
麻衣の勤めるA銀行近くの喫茶「ビオラ」で待ち合わせ、夜の公園を散歩するのがお決まりのコースだった。
時には公園の先の海へ行き、二人で岩に腰をおろして夜の海を眺めることもあった。
麻衣は修司の顔を見ない日は、落ち着かない、何か忘れ物をしたような時間を過ごすのであった。

秋に二人は良江たちと一緒に登山をしたり、冬はスキーをしたりして楽しんだ。
車好きな修司は麻衣を度々ドライブに誘い、二人で取り止めのない話をして笑い、二人でいることに酔っていた。
麻衣の心はバラの花びらに包まれて、幸せの雲の上にふわふわと浮いているように喜悦していた。

愛の行方6. 初めて見る彼女

2010-03-24 16:37:31 | 愛の行方
銀行の仕事が引けると、若い同僚たちは数人で近くの喫茶店へ行き、楽しく語り合って時間を過ごすのが常であった。
修司と出会った翌年の5月のある日、麻衣と良江、それに他の同僚も一緒に、いつものところでコーヒーを飲んでいた。

良江が小声で麻衣に耳打ちをした。
「修司さん、貴女と暮らす家を探しているそうね。」
修司と麻衣は結婚の約束をしていた。
「ええ、彼そんなこと言っていたわ。次は私も一緒に見に行くのよ。」
麻衣は嬉しくて堪らないような顔をして答えた。
良江が浮かぬ顔をして前方の席を見ていた。
麻衣が気付いてそちらを見ると、そこには4・5人の男女が笑いながら話をして盛り上がっている様子だ。
「どうしたの。」
「あのブルーの服を着た人ね、あの人がこの前言っていた修司さんの前の彼女、岡崎さんよ。」
と麻衣の問いに良江は答えた。
その女性は長いストレートの髪を背中まで下ろし、色白で鼻筋の通ったかなりの美人である。
薄いブルーのブラウスに、白いプリーツスカートが良く似合っていた。
岡崎はそのグループの中心的な存在のようで、朗らかに笑いながら仲間に話をしていた。
<明るくて、あんなに美しい人と修司はどうして別れたのかしら>
麻衣は複雑な気持ちになり考え込んでしまった。

修司と麻衣のデートは、付き合い始めた頃のように頻繁にではなかったが、それでも週に2回ほどは逢っていた。
夜の海を眺めているそんなとき、修司は麻衣を抱きしめ、自分のものにしたい衝動に駆られることが多かったが、その気持ちを必死で押さえていた。
車で麻衣を送って帰るときも、途中にある公園の駐車場で停まり、何も話さないまま、高まっている気持が治まるのを待っていた。
麻衣は彼の気持ちが分かっていたが、自分から彼の胸に飛び込むことはしなかった。
しかし、いつも自分の気持ちを押さえている修司に、少なからず苛立ちを感じ始めていた。

愛の行方7. 洋子の話

2010-03-24 16:35:55 | 愛の行方
梅雨も明けた日曜日、麻衣は商店街でブラブラ服を見て歩いていた。
ショーウインドーに、麻衣好みのナチュラルな色の服が飾ってある店にふらりと入った。
奥から急に声がした。
「あら、麻衣。」
驚いて声のした奥の方を見ると、ベージュ地に茶色の花柄のあるワンピースを胸の前に持って、鏡の前に立って顔だけをこちらに向けた洋子がいた。
洋子は高校の同級生で、夏休みには海でキャンプをしたり、登山をした遊び仲間であった。
近くでお茶をすることにした。

コーヒーカップを持ったまま洋子は言った。
「わたし今ね、修司さんと同じ職場なの。
彼って、この頃毎日、幸せそうな顔をしているのよ。
それで新しい彼女が出来たらしいと、みんなの噂になっているの。
でも驚いたわ、相手が貴女と聞いて。
克実とはどうなっているの? てっきり今も付き合っているものと思っていたんだけど。」
「克実とは別れたわけではないけど、彼は恋人じゃないし、友達と思っているわ。」
「ふ~ん。でも克実はどう思っているかしらね。」

克実は高校の同級生で、麻衣とはよく馬が合い下校時は一緒に帰ったり、図書館で逢って一緒に本を読んだりした。
また洋子たちも交えキャンプに行ったり、サイクリングをしたりして遊んだこともあった。
卒業後、克実は遠くの大学へ進み、そちらで就職をした。
故郷に帰った時には、連絡があって麻衣と会うことも多かった。
しかし麻衣は結婚の相手として、彼を意識したことはなかった。

洋子は話を続けた
「あなた、岡崎さんのこと知ってる?」
「ええ、修司の前の彼女でしょう?」
麻衣は岡崎の話が出てくると緊張して答えた。
「どこまで知っているのかなぁ。
修司さんと彼女は5年ほど付き合っていたのよ。
二人ともテニスが上手くて、ダブルスも組んでいたわ。
バイクに二人乗りをして、岡崎さんが修司さんの体に抱きついて、テニスコートへ行くのをよく見かけたわ。」
洋子は麻衣の気持など気にする様子もなく喋り続けた。
「あの二人の仲は、もう大分進んでいるなんて、みんなが羨ましがって噂をしていたの。本当に仲が良かったもの。
どうして別れたのかしら。」
麻衣は話が進むに従って、胸に重い物を載せられているように気分が塞いできた。
コーヒーが喉の奥につかえて流れていかない。
修司と付き合う前に、良江から岡崎のことは聞かされ、自分も納得した上で交際をOKしたはずなのに、今詳しい話を聞かされると動揺する麻衣であった。

愛の行方8. 心に秋風が

2010-03-24 16:34:35 | 愛の行方
銀行で麻衣は預金の窓口業務をしていた。
入金の場合は、客が書いた伝票の金額と現金を確認して、コンピューターに打ち込んで、通帳の記帳を終えてから出納係に回し、出金の場合は伝票からコンピューターに打ち込み、これも記帳と印鑑確認を終えてから通帳と伝票を出納係に回していた。

夏も終わりのある日、いつものように麻衣はコンピューターのキーを叩いていた。
目の前で、「こんにちは」と声がしたので顔をあげると、何とあの岡崎が美しい笑みを湛えて立っていた。
「これ、新札に替えてくださらない?」
両替票と一万円札を数枚、トレーの上に載せた。
麻衣は札を数えて、
「十万円でございますね。かしこまりました。暫くお待ちください。」
と番号札を渡しながら笑顔で言ったが、心の中では<窓口係りは何人もいるのにどうして私の方に来たのかしら。>などと、岡崎の心の内が分からなくて戸惑っていた。
その日以降岡崎は、麻衣の前に度々現れるようになった。
銀行のドアを開けると、いつものあの弾けるような笑顔で、脇目も振らず麻衣のところにやってきた。
麻衣は、彼女が自分のところにやって来る意図が分からず、いろいろと勘ぐっていた。
 岡崎はまだ修司に未練があるのだろうか。
 いや、私が彼を振ったのよ。と言いたいのだろうか。
 それとも、まだ二人は完全に別れられていないのだろうか。
 等と・・・・・

岡崎が全てにおいて、自分より優れているように思え、自信をなくしていく麻衣であった。
修司に対する熱い感情が、少しずつ冷めていくのを感じ始めていた。
しかし、彼が好きであることには変わりがなかった。
デートの回数も自ずと少なくなり、週2回が1回に、それが2週間に1回になっていった。

修司に岡崎のことを質したかったが、嫌われそうで口に出せなく一人で悶々と悩んでいた。

愛の行方9. 何気ない言葉

2010-03-24 16:33:43 | 愛の行方
秋が過ぎ12月になった。
それまで麻衣は、岡崎に対する劣等感にさいなまれていた。
その日は、北風が強く吹く寒い日であった。
職場で仕事をしていた麻衣のケイタイにメールが入った。
<今日6時にレストラン「マルサート」で待っている>
修司からだった。

「マルサート」は、麻衣の職場から歩いて7~8分の距離にある。
コートの襟を立て、寒さに震えながら小走りに「マルサート」へ急いだ。
ドアを開けると、すでに修司は来ていた。
いつもの笑顔で席を勧めた。
料理は前もって注文をしていたのか、麻衣が席に着くとスープが運ばれてきた。
食事をしながら、二人は清と良江の結婚式の話題に花を咲かせていた。
暫くして、メインのステーキが運ばれてきて、修司はナイフとフォークを取り上げながら言い出した。
「去年、花火の帰りに行った『沙織』って店覚えてる?」
「ええ、覚えているわ}
「あそこのママが今度の日曜日、クリスマスイブなので、僕たちを祝ってくれるって言うんだ。行かない?」
麻衣は躊躇した。岡崎の顔が浮かんで離れない。
<私は岡崎さんの身代わりかもしれない>等と、取り止めのない考えが麻衣の心を乱していた。
「あのう・・・、実は母があなたとの結婚を反対していて・・・、私も・・・
母には逆らえなくて・・・それで・・」
母が修司に良い印象を持っていないのは確かだが、「沙織」へ行くのに気が進まなくて、いい言葉が見つからず、笑い顔でごまかしながら、しどろもどろで麻衣自身何を言っているのか分からない状態のまま話した。
修司は暫く黙ってうつむいて考えていたが、上げた顔は険しかった。
「これって別れ話? 
そんな笑顔で別れ話が出来るとはね」
目の前にあるステーキに口を付けないまま修司は立ち上がり、勘定を済ませてさっさと出て行ってしまった。
あっけに取られて見ていた麻衣は我に返り、慌てて外に出た。
外は小雪が舞っていた。
この冬初めての雪だった。
駐車場を見てみると修司の車はすでに無かった。
修司があんなに早く、中途半端な別れ話に応じるとは思いもよらず、<やはり私を愛してくれていなかったのだろうか>と思うと、涙が麻衣の頬を止めどなく流れ、取り返しのつかないことを言ってしまったと後悔するのであった。

愛の行方10. 新しい出会い

2010-03-24 16:32:56 | 愛の行方
あの「レストラン・マルサート」での別れの後、修司と麻衣は逢うことはなかった。

あの夜、レストランを出た後の修司は涙が出て、車の運転がままにならなかった。
家に帰ると、部屋に飾ってあった麻衣の写真を全部破り捨てた。
信じていた女性に裏切られ、男のメンツもあり、麻衣の気持ちを自分に戻すことも出来ないまま店を出てしまった自分にも腹立たしかった。
麻衣が良江から聞いた話では、修司の母も大変憤っているという。

麻衣は彼のことを好きであることに変わりはなかったが、もう嫌われてしまったかもしれないと思うと、なかなか会う勇気が出なかった。
修司も麻衣が謝ってくるのを待っていたが、彼女からの連絡はなかった。
自分から交際を再開したいとは、彼女の気持ちが分からない以上言い出せないままであった。
お互いが相手を気にしながら意地を張り続けていた。
会わないままで月日だけが経って行った。

麻衣は修司に未練がなかった訳ではないが、いつまでも過去のことに拘るのは止そうと心に決めた頃だった。
麻衣が通勤に利用しているバスの停留所は、家から3分程のところにあった。
彼女の髪形はボブスタイルで、裾を少しカールさせていた。
その朝は、寝ぐせが上手く直らず、髪のブローに手間取っていた。
思わぬ時間を取ってしまった為に、走ってバス停に向かったが、バスが発車するのを50メートル程先に見送る結果となってしまった。
次のバスは15分待たなければならず、ぼんやりと立っていると、黒いスポーツカーが麻衣の前で止まった。
窓が開き、中から色白の若い男性が声をかけてきた。
「バスに乗り遅れたんだろう? 乗りなよ。送って行くから。」
その車はいつも麻衣がバスを待っている時に、目の前を通り過ぎて行く車で、よく見かけるものだった。
ここを通って何処かへ通勤しているのだろうと、前から思っていた。
麻衣は少し迷ったが、送ってもらうことにした。

「俺、いつもここを通るとき、バスを待っている君を見ているんだ。
すごく目立っているものね。」
彼はこの町の大手機械メーカーに勤めていると話した。
これが和也との最初の出会いであった。
その日以降、和也は麻衣がバス停に行く時間には必ず待っていて、勤め先まで送って行った。

愛の行方11.和也のアパートで

2010-03-24 16:31:09 | 愛の行方
休日に二人は、よくあちこちへドライブをした。
和也は車が好きらしく、いつも手入れの行き届いたピカピカの車で現れた。
麻衣を横に載せて運転をするのが、楽しくて仕方がない様子であった。
和也は海岸沿いの道路を走るのが好きだった。
窓を開けると潮の香りがして、
「夏になったら泳ぎに来ようね。」と約束を交わしたり、
日暮れの頃には二人の顔が夕陽に染まり、お互いに赤くなっているのを見て子供のように笑った。
楽しい日々であった。
麻衣は休日が待ち遠しく、時間の経つのが遅く感じられた。

ある時、和也が「俺のアパートでコーヒーでも飲もう。」と麻衣を誘った。
彼のアパートは5階建てで、3階にその部屋はあった。
ドアを入ると、中はワンルームになっていて、左手に風呂やトイレがあり、正面にグレーの二人掛けのソファーが置かれていた。
その奥に低いテーブルとテレビ、左には小さな台所と食卓、椅子が2脚あった。
ソファーの右奥にはベッドが置かれていて、男の一人暮らしとしては大変良く片付いていて、綺麗な部屋であった。

「コーヒー、入れようか。」
と言いながら、和也はポットで湯を沸かし始めた。
「インスタントだけどいい?」
コーヒーカップを用意しながら和也が言うと、
「それでいいわよ。」
と麻衣も小さな食卓の上のカップの中へインスタントコーヒーの粉を入れて、和也の顔を見ると、彼は熱い眼差しで麻衣を見ていた。
麻衣の心も熱い燃える思いが込み上げて来て、二人は互いに抱き合いキスをした。
長い、長い口づけだった。
和也が麻衣を抱き上げベッドに運んだ。
体を激しく絡ませながら、麻衣はもう和也以外は愛せないとエクスタシーの世界に入って行くのだった。


愛の行方12. 寂しい少女時代

2010-03-24 16:30:01 | 愛の行方
和也の部屋で至福の時間を過ごした麻衣が遅く帰ると、決まって母の美佐は機嫌が悪かった。
「こんな時間まで何処で何をしていたのよ。若い娘がやることなの。」
「お母さんは古いわよ。みんなこれくらいの時間なら遊んでいるわよ。
友達とお茶して話し込んでいたら遅くなってしまうの。」
いつも麻衣は嘘をつき、母と言い争いになった。
母美佐は一人で子供たちを育ててきた自負があった。
麻衣が横道に逸れない様にすることが一番の願いであった。

麻衣の幼い頃、美佐は家事をしながら、亡夫に代わって工場の仕事を取り仕切っていた。
そのため、早朝から夜遅くまで働いていた。
麻衣は甘えるところのない寂しい日々であった。
近くのどぶ川でヒキガエルの卵を毎日見つめ、オタマジャクシになってカエルになるまで、一人でじっと観察したり、道端の雑草に咲く小さな花を見て回ったりする、自然の中で遊ぶことの好きな少女であった。

小学生の時、授業中に雨が降り出してきたことがあった。
下校時間になり、雨に濡れながら校門を走って出ようとすると、級友の母親たちが、傘を持って我が子が出てくるのを待っていた。
麻衣は母の姿を探したが、居ようはずは無かった。
休日には、父母と遊園地や海へ遊びに行く友達の姿を羨ましく見送る麻衣であった。
そんな中でも母美佐の躾は厳しかった。
友人との約束や時間は必ず守らせた。弱い者への労わりや思いやりも教え、もちろん金銭的にも無駄遣いはさせなかった。

麻衣が修司と交際を始めた頃、姉は既に結婚をして、二人の男の子を持ち遠くで暮らしていた。
兄も結婚をして、美佐や麻衣と同居していたが、子供はまだ無かった。
美佐は手を掛ける相手がいないので、麻衣一人に目が向いていて、帰宅時間にも煩く注意をした。

麻衣が修司達と花火に行った日は、帰宅時間が午前1時をとっくに過ぎていた。
美佐は心配しながら、寝ずに麻衣の帰りを待っていた。
麻衣も帰りの車の中で眠ってしまった為、連絡を入れることが出来なかった。
そんなに遅く帰宅するのは初めてであった。
美佐が修司に対して好感を持てなかったのは、そんなところからでもあった。

和也は麻衣と肉体関係を持ってからは、休日のデートの度に麻衣の体を求め、激しく感情を燃やすのであった。
麻衣もそんな和也を愛し、幸せを感じていた。

愛の行方13. 線香花火

2010-03-24 16:28:59 | 愛の行方
ある金曜日の朝、通勤の車の中で和也が言った。
「今晩、友達と花火をするんだ。麻衣も一緒に行こう。」
麻衣は楽しそうに思い、すぐに承諾した。

仕事が終わって、二人は駅近くのハンバーガーショップで食事をした。
周りは若いグループやカップルが食事をしていて賑やかであった。
互いに仕事仲間の話に花が咲いて、時間の経つのを忘れていた。
気が付くと7時を過ぎていて、慌てて店を出た。
和也の車に乗り、着いた所は、麻衣が過って修司と二人でよく歩いたあの海岸であった。
麻衣は気が引けて、足のすくむ思いがしていた。

駐車場を出て、松林の中を砂浜に向かって歩いた。
水平線に太陽は今まさに沈み、夕焼けが空と海を紅く染めていた。
砂浜には和也の友達、男性3人と女性5人がいて、それまで海に入って遊んでいたのか、皆 水着を着けて、夕暮れの波打ち際で戯れていた。
和也たちを見付けると、花火の用意をしだした。
女性たちは皆二十歳前後で、ピチピチとした若さを惜しげもなく出していた。
間もなく暗くなって、線香花火からやりだした。
麻衣は何年振りだろうと、懐かしがって何本かに火を点けているうちに、他の人達は打ち上げ花火に移っていた。
和也たち男性や女性は、大きな声をあげて無邪気にはしゃいでいた。
麻衣は少し離れた場所に腰を下ろし、その光景を眺めていたが、改めてその場にいる人達の若さに、付いていけないものを感じ取っていた。
もう30歳になる自分には、どうしてもこの若者達のように、無邪気に遊ぶことが出来なくなっていると寂寥感を抱いた。

麻衣は思った。
そうだ、高校生の頃、こんなことをして遊んだこともあったと。
夏休みに同級生の洋子や克実たちと隣県の海へキャンプに行ったことがあり、泳いだ後、克実と二人でボートに乗った。
向かい合って乗った克実の、日に焼けた逞しい腕や脚の筋肉が、オールを漕ぐ度に波打つように動いていたのを思い出した。
夜には花火をして、目の前の光景と同じようにはしゃいで遊んだ。
遠い昔のことのように思えた。

「麻衣も来ないかぁ」
和也の声がして、見ると月明かりの中で皆、連発花火を楽しんでいるようだ。
「少し疲れているので、ここで見ているわ」
仲間に入りきれない麻衣はそう言って、ふと横を見ると外灯に照らし出された岩場が見えた。
そこは修司と二人で腰を下ろし、夜の海を見ながら将来を語り合った場所であった。
あの頃、あまりにも紳士過ぎる修司に、物足りなさを感じていたが、それは自分を大切に思っていてくれた彼の愛情であったのかと、今更ながら気付き、彼に対して申し訳なく、つれない別れをしてしまったことに自己嫌悪を抱くのであった。

愛の行方14. 焦り

2010-03-24 16:27:22 | 愛の行方
あの浜辺での花火の夜以来、麻衣はあんなに心身ともに全てを和也に与えたいと思い、自身も全身で喜びを味わっていたにも拘わらず、心に少しずつすきま風が吹きだした。
あの夜、和也が遠い存在に思えたのはなぜだろう。
彼が一緒に戯れていた娘たちの、弾けるような若さに劣等感を持ったのかもしれない。
いや、修司の愛情の表現の仕方に、今更ながら気付き、彼への思慕の気持ちが湧き出してきたのかもしれなかった。

毎朝待ってくれている和也の車に乗ることに、躊躇いが出てきて、「早朝の仕事があるので。」と言い訳を作り、時間の早いバスにに乗って一人で通勤をするようになった。
休日には相変わらず逢っていて、時には和也のアパートで情事を重ねていたが、以前のように激しく燃える想いもなく、修司が頭に浮かぶこともあった。
思い返せば、和也は一度も結婚という言葉を発したことはなく、彼の生い立ちも語ったことはなかった。
彼のことを詳しく知らないまま、ただ遊びを楽しみ、体を重ねて情事に夢中になって、彼との結婚は当然のものと考えて交際をしていた麻衣は、和也の愛は自分だけに向けられていると思っていたが、はたしてそうであろうかと疑念を抱きだした。
30という歳に焦りを感じ、彼の気持ちを確かめたくなった。

いつものように二人はドライブをしていた。
海岸沿いの道路の、銀杏の街路樹がもう黄色く色づき始めていた。
和也はその道路から、狭い道路を入った林の中で車を停めて、麻衣にキスを求めてきた。
麻衣はそれを遮って、
「ねえ、和也は結婚のことどう思っているの?」と訊いた。
「結婚? まだ早いと思うよ。仕事もこれからだしね。
麻衣とは将来結婚してもいいとは考えているけど、今決めるのはちょっと無理。」
確かな返事を待っていた麻衣は、急に突き放されたような虚しい気持ちになった。
目の前の景色が何も見えなくなり、胸に動悸を覚えた。
どのようにして家に帰ってきたのか記憶がない。
和也に対して少し気持ちが離れかけていたにも拘わらず、こんなに衝撃を受けている自分が不思議であった。
人の心とはこんなものだろうか。
相手の心が自分に向いていると思えば負担に思い、離れていくと気付くと未練に思う。
気持ちが沈んでいく中で、あの時の修司が今の自分と同じ悲しみを味わったのだと考えると、やるせなく自責の念に駆られるのであった。

愛の行方15. 分からない気持ち

2010-03-24 16:26:06 | 愛の行方
沈みがちな気持でいる麻衣のケイタイに、いつものように和也からの誘いのメールが入ってくる。
デートをする気分にもならないので、なんだかんだと理由を付けて麻衣は断っていた。

ある日、メールでは断ったが無性に会いたくなって、麻衣は和也のアパートに行ってみた。
麻衣の車は休日だけ利用する赤い軽自動車で、アパートの駐車場横に停めた。
そして和也の車が駐車してあるのを確認して、エレベーターに乗り、3階で降りた。
和也の部屋に向かおうとしたその時だった。彼の部屋のドアが開いて、若い女性と和也が出てきた。
麻衣は隠れようにも隠れる場所がなく、その場に立っていた。
二人はエレベーターの方に向かって歩いてきて、麻衣に気が付き驚いた表情を見せた。
「麻衣、どうしたの。今日は都合が悪かったんじゃなかったの?」
「・・・エレクトーンのレッスンが先生の都合でキャンセルになったもので・・・」
急に思いついた言葉だった。
「それじゃあ、一緒にお茶にでもするか。」
和也は少しも悪びれていない。
横の女性を見ると、どこかで会ったような気がするが思い出せない。
「でもお邪魔するといけないから。」
「どうして邪魔なんだ?」
そう言われると今さら帰る訳にもいかず、二人に付いて喫茶店に入り、コーヒーを注文した。
女性が口を開いた。
「この前、麻衣さん疲れているようだったけど、もう元気になられた?」
「えっ。」思い出した。
あの線香花火の夜に、浜辺ではしゃいでいた5人の女性の一人だった。
あの夜は水着姿で、髪型も濡れた長い髪をそのまま下ろしていたが、今は可愛い白い服を着て、髪も美しくブローして後ろで束ねているので、気が付かなかった。
「これから近所のシネマコンプレックスに行くんだけど、麻衣も一緒に行かない?」と和也が言った。
「そうよ。一緒に行こうよ。」その女性も誘う。
麻衣の頭の中が混乱した。

この二人はどんな関係なのか。
他に行くところがあるので、と断って帰ってきたが、麻衣には二人の気持ちがますます理解できない。
和也はあの女性を部屋に入れて、何をしていたのか。
二人とも自分を見ても、何の拘りもなく自然な振る舞いで映画に誘った。
自分一人が心の狭い人間なのだろうか。
いや、和也にとって自分は、ただの遊び仲間にすぎなかったのだろうか。
などと麻衣の心は考えが入り乱れて整理が付かなかった。