NINAの物語 Ⅱ

思いついたままに物語を書いています

季節の花も載せていきたいと思っています。

仮想の狭間(1)

2010-04-14 13:01:20 | 仮想の狭間
 百合子は今日も慌ただしい朝を迎えた。
夫と息子を送り出すとホッと一息ついて、ゆっくりコーヒーを飲みながらテレビを見るのが日常である。
庭に目をやると、去年球根を植えたチューリップやアネモネの色鮮やかな花が朝日を浴びて輝いて見える。

 6年前までは夫の勤める大阪にある会社近くのアパートに住んでいたが、一人息子の亮太が通う公立小学校でもいじめが取りざたされ、6年生になった折にもっと自然豊かな環境の中で、伸び伸びとスポーツも勉強もさせてやりたいと、郊外の庭付き一戸住宅を購入して移ってきた。
近くの駅までは徒歩15分ほどで、夫の壮介の通勤時間は一時間余りになる。
しかし緑が多く空気の澄んだこの環境に夫婦とも満足している。
 亮太は小学生の頃からサッカーをやっていたので、越した先の中学校でも、高校でもサッカーに夢中になっている。
通っている高校は県内屈指の進学校で、大学受験のため勉学に力を入れなければならず、三年生なった今はそろそろ部活を止めなければならない。
しかしまだ早朝練習もあり、壮介も亮太も6時半には家を出る。
百合子は朝食の準備と亮太の弁当を作るために、平日の朝は忙しい時間を過ごす。

 今日は午後から手芸の集まりがある。
この地域にある文化センターが催している手芸の教室で知り合った仲間が5人ほどで、月に一回一番先輩格の真理の家に集まって、各自思い思いの手芸をしながら、お茶を飲んだり、持ち寄った菓子を食べたりして会話を楽しんでいる。
百合子は昨日準備しておいたバタークッキーの生地を冷蔵庫から取り出してオーブンに入れた。

仮想の狭間(2)

2010-04-14 12:02:49 | 仮想の狭間
 手芸の集まりは2時から始まる。
百合子の家から真理の家までは徒歩で10分ほどで行ける。
この住宅地は千戸ほどの注文住宅が建っていて、どの家の庭にも木が植えられ緑が多く、道幅も広い閑静なところである。
 百合子は午前中に焼いておいたクッキーを花柄のナプキンを敷いた小さな篭に並べて、その上にもナプキンを被せ、赤いリボンで結んだ。
2時15分前に刺しゅう用具の入ったトートバッグとクッキーの篭を持って家を出た。
真理の家の門のチャイムを押すと、「どうぞ。」と声がしたので、門扉を開けて中に入った。
ここの庭は広い。
家は薄茶色のレンガ風のタイル壁の二階建てで、家近くに背丈の高い落葉樹が数本植えてあり、その下はよく手入れをされた美しい芝生が敷いてある。
道路側は花壇になっていて、パンジーなど数種類の花が咲いている。
玄関アプローチを進んでいくと、ドアが開いて真理が顔を出した。
「いらっしゃい。」
中から手芸仲間の笑い声が聞こえる。
玄関右横が広いリビングになっていて、入ると秋絵と美代子がソファーにかけていた。
テーブルには彼女たちの差し入れと思われるシフォンケーキと苺が中央に置かれていたので、百合子もクッキーの篭を傍に置いた。
 真理の夫は大手電機メーカーを定年退職して、週に2日その子会社に勤めている。
大阪の町中にあった古い家を売って、その売却代金と退職金でこの土地と家を手に入れた。
「今日はめぐみさん遅いわね。いつも一番早いのに。」
秋絵が言うと、
「めぐみさんは今日お休みですって。今朝 連絡があったわ。」
真理が答えた。
「ねえねえ めぐみさんのこと知っている?
あの人 彼が出来たそうよ。」
美代子が言うと、皆 身を乗り出して美代子の顔を見つめ興味津々の様子。
めぐみは二年前に夫をがんで亡くした50歳前後の未亡人で、息子が一人いるが、東京の大学を出て、そのまま東京で就職しているので一人暮らしだ。
「それで? その彼ってどんな人なの。」
秋絵が次を促す。
「あの人エアロビだかジャズダンスだか知らないけど、土曜日の夜に習いに行っているでしょう。
そこで知り合ったそうよ。
何でも7つも年下だそうよ。」
「7つも・・・・」
皆ため息ともつかない声を出す。
「そのこと めぐみさんが美代子さんに話したの?」
真理が疑い深そうな目をして、年長者らしく訊ねた。
「直接は聞いていないけど、私の友達が同じ所で習っていて、教室では大変な噂になっているって話していたわ。」
「めぐみさんは独り者だから、丁度いいのでは?。」
百合子が口をはさんで、秋絵も頷いた。
「それがね、相手には奥さんも子供もあるらしいのよ。」
「それじゃ不倫じゃないの。」
真理があきれた顔をしてお茶を入れに立った。
「7つも年下だなんていいわね。」
秋絵がまだ興味ありげに百合子に囁いた。
美代子がハッと我に返ったように
「あら!私たちまだ手芸の材料も出していないわね。」
とカバンを開けてゴソゴソと中の物を取り出した。

仮想の狭間(3)

2010-04-14 11:04:36 | 仮想の狭間
秋絵につられて百合子も美代子も手芸の材料をテーブルの上に出した。
三人ともお互いの作品を見て、「みんなあまり進んでないわね。」と
安心している。
「あらあら みなさんお話が進んでいるようなので、先にお茶でもと思って入れてきたのよ。」
真理が盆に紅茶ポットとカップを載せて運んできた。
「そうよね。今日は先にお菓子を食べてお喋りしましょうよ。」
美代子が真っ先に手芸の材料を片付けて、百合子の方をまじまじと見た。
「百合子さんの服 素敵ね。
さっきから気になっていたの。どこで買ったの?」
「これネットの通販で買ったんですよ。
この頃、何でも通販で買う癖が付いてしまって。」
「パソコンは便利よね。
欲しいものを探したり、何でも調べることが出来るんですもの。」
と秋絵が大きくうなずいて言った。
「でも直接現金を払って買うわけじゃないので、つい買い過ぎたり、高いものにも平気で手が出てしまうわ。
自重しなければ、と最近思っているの。」
「そうよね。請求書を見てびっくりなんて嫌だものね。
みんなパソコンを利用しているようだけど、私はあまり使ったことないの。」
美代子が珍しく沈んだ声になった。
そして訊ねた。
「真理さんは?」
「うふふ 私も使ってるわよ。
この前 秋絵さんに紹介してもらったコミュニティーサイトはまだ友達が少ないので楽しむところまではいっていないけど、秋絵さんは結構楽しんでいるようね。」
急に話題が自分に振られた秋絵は、口に入れたクッキーを紅茶で飲み込んだ・
「ええ、毎日楽しませてもらってるわ。
うちの主人は出張が多いし、娘も勤めに出たら夜まで帰ってこないし、とにかく暇なのよ。
手芸に精を出せばいいのでしょうけど、こればかりやっていてもつまらなくてね。」
秋絵の家は電子機器メーカにへ勤める夫と娘の三人暮らしである。
「ふう~ん、そんなに楽しいの。」
美代子が興味を示してきた。
菓子やお茶を堪能すると、やっと各々が手芸に取り掛かった。
真理はクロスステッチ刺しゅうといって、小さく糸をクロスさせながら絵を描いていく刺しゅうをしている。
時間がかかるので常に嘆いている。
リビングの壁には真理が作ったタペストリーが品良く掛けられている。
真理の夫は今日は出勤日らしく姿が見えない。
夫がいる日は皆 気を使って大声で話をしないし、話も当たりさわりのない話題になる。
真理も夫のいない日は表情も明るく話も弾む。
夫が退職した当時は、二人であちこち旅行をして、その土産話を手芸仲間はさんざん聞かされたものだ。
しかし、あれからまだ二年ほどしか経っていないのに、最近は「旅行に行くのなら友達と行く。」などと夫と行きたがらない。
毎日顔を突き合わせていると、少しでも離れていたいのだろうか。
百合子にはこの夫婦の気持ちが理解できない。

仮想の狭間(4)

2010-04-13 11:32:25 | 仮想の狭間
 百合子は真理の家からの帰り道、亮太の中学時代の同級生二人の母親が、道で立ち話をしているところに通りかかった。
「お久し振り、お元気ですか。」
「あらホント、近くなのにお久し振りね。
亮ちゃん、サッカー頑張っているんだって?
頭も良いし、もう大学決めているんでしょ。」
「いえいえ まだですよ。
お互いに子供には頑張ってもらわないとね。
それじゃ また。失礼します。」
 息子が中学生の頃は同じ部活の親達と、一緒にサッカーの応援に行ったり、バーベキューをしたりと親しく付き合っていたが、高校に入ると親もライバル意識を持つのか、付き合いがギクシャクして疎遠になっている。
この地域で、亮太と同じ高校へ通っている子供は一人もいなくて、百合子が親しくしている同級生の親がいない。
最近は手芸の仲間と付き合うことが多くなっている。
年齢がバラバラで何を話していても気楽に感じる。

 家に着いて、先ずパソコンの前に座った。
いつも見ているホームページやブログを読んだり、書き込んだりして、気が付くともう6時になっている。
慌てて食事の用意に取り掛かるために立ち上がろうとしたが体が重い。
そういえば最近パソコンの前に座っていることが多くて、体を動かしていない。
運動不足で体重がかなり増えているように思う。
今日出会った秋絵や真理もパソコンの世界に嵌りつつあるようだ。
彼女たちもふっくらしてきたように思う。
先日、夫に内緒で通販を利用して買った価格の高い服や化粧品が、受取指定日にうっかり留守をしていて、夫のいる時間に商品を受け取る羽目になってしまった。
「どこで買っているんだ?」
「うん、ちょっと 通販よ。」
(おお~ 危なかった)
価格まで追求されなかったことに百合子は胸をなで下ろした。
この家のローンがあり、亮太の大学進学もあって、贅沢は出来ないと思いながらも、ついネットの商品に手が出てしまう自分がなさけないと思う。

仮想の狭間(5)

2010-04-13 11:31:05 | 仮想の狭間
真理は朝遅い時間に出勤する夫を送り出すと、掃除をして、手芸の集まりのためにリビングのテーブルの周りにイスを並べた。
庭の花を切ってガラスの花瓶に挿し、その置き場所に迷った。
玄関には真理の作ったクロスステッチのスミレの刺繍が額に入れられて掛けてある。
真理は満足げにその刺しゅうを見て、下の靴箱の上に先程の花瓶を置いた。
一人だけの簡単な昼食を済ませると、今日の集まりに出す紅茶の用意を始めた。
食器棚から紅茶カップを人数分だけ出していたが、「めぐみさんは来るかしら。」と出したカップとソーサーを一人分また戻した。

午後2時前に、いつもの明るい笑顔で美代子がやってきた。
色とりどりのキャンディーの入った小さなバスケットを持っている。
続いて秋絵と百合子が二人で転げるように玄関に入って来て、花瓶の花が美しいと褒めている。
差し入れは秋絵がケーキ類で、百合子がクッキー、美代子は近くの店で買ってきたものと大体決まってきた。
真理は部屋を提供しているので、紅茶かコーヒーを出している。
「めぐみさん、今日も来ないのかしら。」
秋絵が心配顔で誰にともなく言うと、
「今日は何も連絡なかったわ。」
と真理が答えた。
すると美代子がいつもの得意げな顔をして話し出した。
「あら! みんな知らなかったの?
この前話したダンスに通っている私の友達、めぐみさんと同じ教室で習っているって言ってたでしょう。
その人の話では、めぐみさんも 7つ年下の彼も二人とも最近はダンスに顔を見せていないそうよ。
二人で何処かへ行ってしまったのではと、もっぱらの噂らしいわ。」
「かけ落ち?」
百合子が遠慮がちに美代子に訊ねた。
「そうかもしれないわね。
彼女の家の雨戸が閉まったままなのよ。
彼女はそれで良いかもしれないけれど、彼の方には奥さんや二人の子供がいるんだから、夫がいなくなったら大変よ。」
「もし駈け落ちなら、彼は無責任すぎるわね。
ただの浮気では済まされないでしょう。
親としての責任をどう思っているのかしら。」
真理は本気で怒っている。
みんな めぐみの恋の行方に興味が向かって、趣味の手は動いていいない。
秋絵が突然言い出した。
「私たちは本当の恋にならないように気を付けましょうね。」
「ふふ そうね。」と
真理が応えたので、百合子も美代子も怪訝そうな顔で秋絵と真理を見つめた。
「いえ、何でもないのよ。
ほら、この前コミュニティーサイトに入っているって話したでしょう。
あそこのメンバーの男性の中には、冗談で甘いメールをしてくる人がいるのよ。」
真理が誤解されては大変と弁解したが、美代子に対しては逆効果であった。
「えっ! 甘いメールってどんなメール?
それであなた達は返信メールをどう書いているの?」
と矢継ぎ早に質問してきた。
「だって相手はどんな人か分からないし、本当に男性なのかも分からないから、こちらも冗談で甘いメールを返したり、無視したりで。
単なる言葉遊びなのよ。」
美代子にどこで誰に伝えられるか分からないと、秋絵はつまらない話を出したと後悔した。

仮想の狭間(6)

2010-04-13 11:29:47 | 仮想の狭間
 仲間が帰って、真理は部屋の片づけをしながら めぐみのことを考えていた。
よく似たことが過去にあったように思う。

 真理の高校時代の親友に加奈という生徒がいた。
彼女とは何故か気が合い、休憩時間も遊びに行くときもいつも一緒だった。
小柄ではあったが色白で青味をおびた大きな目をした可愛い子で、男子生徒にはよくもてた。
彼女は高校を卒業すると機械メーカーに就職して、3年ほどしたら町の有力者の息子と結婚した。
結婚相手は父親と食品店やレストラン、カフェショップなどを数店経営していた。
結婚後、加奈はそれらのレジを暫く手伝っていたが、子供を儲けると主婦業に専念するようになった。
二人子供があったように記憶している。
30歳の半ば過ぎ、どんな心境の変化か自分の店としてスナックを開店して、そこでママとして自ら出ていた。
そのうち、店に通ってくる同い年くらいの客と親しくなり、店を持って一年足らずでその客と駈け落ちをしてしまった。
その男性にも幼い子供が何人かいて、妻は必死で夫の行方を探していると聞いた。
それから5~6年経ったある日、真理がH百貨店の婦人服売り場で適当な服を探していると、偶然加奈もその売り場で買い物をしていた。
良く似合うモノトーンのワンピースに、赤茶色の長い髪をしていて歳より若く見えた。
その生活振りが苦しいものではないのが一見して分かった。
久し振りの出会いであったので、百貨店内のドリンクショップへ入って話をした。
彼女の言うには
「駆け落ちしたした当時は、彼のことが好きでどうしようもなかったの。
とにかく一緒にいたくて後先のことを考えずに飛び出してしまった。
今は彼に対してあの時ほどの情熱はないけれど、元に戻る気もないわ。
ただ自分の子供のことが気になって仕方ないのよ。」
とフルーツティーのカップを手にして話していた。
その後彼女がどうしているのかは、真理には分からない。

めぐみも彼のことが、この加奈と同じように、それほど好きになってしまったのだろうか。
相手の妻子のことなど気に掛ける余裕も失って、激しい感情の赴くままに行動したのだろうか。
突然夫に去られた妻は幼子を抱えて、どんなにショックを受け、生活にも困ったことであろうと気の毒でならない。
真理がネットで付き合っている人達は、メールの中ではどんなに親しく付き合っていても、本名も知らないし会うこともない。
例え甘いメールのやり取りがあったとしても、理性をもった付き合い方をしたいと真理は思っている。
しかし好意を持つ男性も現れて、デートに誘うメールが来ると心が揺れる。

仮想の狭間(7)

2010-04-13 11:28:38 | 仮想の狭間
スーパーの食品売り場で苺を選んでいた真理は、粒の美しいパックを取ろうとして、同時に手を出した隣の人と手が当たってしまった。
「ごめんなさい。」
謝って横を見ると、なんと秋絵ではないか。
二人で笑い転げて、4階にある喫茶店でお茶にすることにした。
コーヒーを注文して秋絵を見ると、いつもとは何となく感じが違うように見える。
「秋絵さん、今日は若く見えるわね。」
後ろで一つに括っていた長い髪を肩までに切って、ストレートのボブスタイルにしている。
普段は化粧っけのない顔だが、今日はファンデーションも口紅も付けて薄化粧までしている。
「今日はどこかへお出かけだったの?」
「うーうん、ここへお買い物に来ただけよ。どうして?」
「だってキレイにしているもの。」
「うふふ、貴女だけに本当のこと話すわね。
誰にも言っちゃだめよ。」
秋絵は運ばれてきたコーヒーのカップを肉付きのよい指で持ち上げ、口に運ぶと嬉しそうに曰くありげな笑顔を真理に見せた。
(この人こんなに美しかったかしら)
真理は急に綺麗になった秋絵に内心驚いていた。
「誰にも言わないから話して。」
「実はね、ネットのコミュで知り合った人と明日会うことになっているの。
それで今日、美容院へ行って来たってわけ。
ついでに化粧もしてみたのよ。」
「ふう~ん。相手は男性なの?」
「そうよ。彼は45歳なの。
私は50歳なので、5歳も年上は嫌でしょう。
だからネット上では40歳にしているの。
10歳もサバを読んでいるなんて可笑しいでしょう。
それで少しでも若く見えるように、髪を切って化粧して、彼に会いに行こうと涙ぐましい努力をしているってわけ。
どう? 40歳に見えるかしら。」
「そうね、40歳でも老けて見える人もいるから。
でもこれまでより、ずっと若く見えるわよ。」
真理は言ったが、40歳にはとても見えないと思う。
笑うと出来る目じりの皺や、頬齢線が少し出てきた秋絵の顔をまじまじと見た。

 次の日、真理は秋絵のことが気にかかって仕事が手に付かない。
歳がバレないで上手く行ったのだろうか。
掃除をしていても、料理を作っていても手が疎かになっている。
夜に電話をしたかったが、興味を持ち過ぎている自分に気付かれるのが嫌だった。
次の手芸仲間の集まりまで待ち切れず、一週間ほどたったある日、秋絵を自宅でのお茶に誘った。
 やって来た秋絵は、遠目にはこの前会った時よりまだ若く見える。
それまではモノトーンの服装に凝っていたのに、今日は薄いパープルの若い子が着るようなヒラヒラした長いブラウスにレギンス姿である。
太めの脚がレギンスを思いきり横へ広げているようだ。
真理がコーヒーとショートケーキを出すと、
「コーヒーだけ頂くわ。
この頃 太ってきて困っているの。」
いつもはコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れていたのに、今日はブラックで飲んでいる。
先日のデートの話を訊きたいが、話を切り出しかねていると、秋絵の方から話し出した。
「この前のデートの話ね。
こっちの歳がバレないかとヒヤヒヤして行ってみたら、それがお笑いなの。」
目尻に皺を寄せながら大きな口を開けて笑いだした。

仮想の狭間(8)

2010-04-13 11:27:33 | 仮想の狭間
「何がそんなに可笑しいの?」
「うふふふ・・ 彼がなかなか現れなかったのよ。」
「どこで待ち合わせをしたの?」
「京都駅地下のコーヒーショップ[I]でなの。」
「ああ、あそこね。」
「午後2時に待ち合わせをして、その時点でどちらかが携帯で知らせることにしていたの。顔の写真を送るのも嫌だったしね。
私は2時10分前に着いて、そのお店に入ろうとしたら、入口に背の高い男性が立っていたので避けて中に入り、客を見回したけれど皆カップルか女性グループの客で、それらしき男性はいなかったわ。
仕方なく空いた席に着いて、入口付近を見ながら待っていたの。
だけどなかなか現れないのよ。
先程入口のところに立っていたゴマ塩頭の男性が出たり入ったりしているだけなの。
2時になっても中の客が出て行くだけで誰も入って来ないので、彼に携帯を入れようかと思ったけれど、何かの都合で遅れているのかもしれないと思い、もう少し待つことにしたわ。
入ってくるのは営業マンらしき二人連れの男性とかカップルだけ。」
「貴女、待ち合わせ場所を間違えたんじゃないの?」
「そう、私もそれに気が付いて、慌てて携帯を入れたの。
直ぐに応答があたので、
『待ち合わせ場所はコーヒーショップ[I]ですよね。』って訊ねたら、
『そうですよ。京都駅地下の・・・ 先程から待っていますが、都合が悪くなりましたか?』そう言うじゃない。
『私もずっと待っています。』
『ええっ! どこにいるんですか?』
こっちこそ『ええっ!』よねえ。
キョロキョロ見まわしてもいないし、するとまた携帯で、
『入口の所にいます。貴女は?』
何ですって! 入口のところにはあのゴマ塩頭の初老の男性しかいないではありませんか。
近寄って行って、『失礼ですが、Tさんですか?』
『もしかして秋絵さんですか?』向こうも驚いた表情で言ったの。」
「まあ、相手はそんなに老けて見えたの?
貴女は10歳も歳を誤魔化していたのだから、彼が分からなかったのは仕方がないけど。」
「そうじゃないのよ。」
秋絵はまた笑いが止まらなくなった。
やっと落ち着いて、先程はいらないと言っていたショウートケーキをパクパクと口に入れている。
そして話したところによると、相手も歳を偽っていて年齢が65歳という。
Yは秋絵をもっと若くてほっそりとした女性をイメージしていたらしい。
「酷いでしょう。
20歳もサバを読むなんて。」
「貴女だってサバ読んでいるじゃない。」
「だって私は10歳よ。だけど彼は20歳もよ。」
「五十歩百歩、相手を騙したことには変わらないと思うわ。
ところで その人はどんな人だったの?」
秋絵の目が急に輝きだした。
「65歳だけど、とても整った目鼻立ちをしていて、スタイルもいいし、歳よりはずっと若く見えたわ。」
「ふ~ん」
「それにインテリでね。話題が豊富で聞いていても飽きないのよ。
2時間があっという間だったわ。」
「それでまた会うつもり?」
「ええ、お茶をしたり、美術館へ一緒に行く約束をしてきたわ。」
「そんなお付き合いは、ご主人に悪いんじゃないの?」
「そんなことはないと思うわ。
ただの茶飲み友達じゃないの。」
茶飲み友達とはそんな間柄を言うのかしら。
真理は割り切れない気持ちであった。

仮想の狭間(9)

2010-04-13 11:22:45 | 仮想の狭間
 亮太が夏休みに入って、百合子は早朝の弁当作りの仕事がなくなった。
朝が楽になり、夫を送り出すと庭の花の手入れをしたり、テレビをし見たりしてゆっくりした時間を過ごしていた。
亮太の高三の夏は部活もなく、受験勉強に励んでくれるものと期待していた。
しかし先日から亮太の様子を見ていると、机に向かって勉強をしている姿をほとんど見かけない。
彼の部屋の前を通ると、ベッドに座りこんで携帯に向かって左の指を忙しく動かしている姿を見ることが多い。
夜に夫の壮介が帰ってきたら、それとなく注意をしてもらうつもりでいた。
しかし最近会社の景気が悪く、リストラで大勢の社員が整理され、残っている社員につけが回って来るらしく毎日帰りが遅い。
疲れきった顔で帰宅する壮介に亮太のことは話し難く、自分で言うしかないと諦める百合子であった。
 翌朝8時になっても、9時になっても亮太は自分の部屋から出てこない。
食卓の上が片付かないのに しびれを切らした百合子は亮太の部屋のドアをノックした。
「亮太、まだ寝ているの。
早く起きて食事をしなさい。」
返事がないので中に入ると、昨日の服を着たままぐっすりと眠りこけている。
無理やり揺り起こして食卓につかせた。
亮太は眠そうな顔をして、パンを口に運んでいる。
「亮太、この夏休みにしっかりと受験勉強をしないと、目的の大学に入れないわよ。いつも携帯ばかりいじっているように母さんには見えるんだけど。
もう少し勉強に本腰を入れたらどうなの。」
「煩せえなあ。 ひとのことは放っといてくれよ。」
亮太は横を向いてサラダに付いている茹で卵を口に入れ、牛乳で流し込むとプイッとまた自分の部屋に戻ってしまった。
こんな口のきき方を以前はしなかったのにと、百合子は悲しくなってくる。
洗濯物を取りに亮太の部屋へ入ろうとしても、ドアが開かない。
昨日まではドアを開けたままだったのに、今日は中から紐で縛って開けられなくしているのだ。
この家を建てたとき、建築業者から教育上よくないと言われて、どの部屋にも鍵を付けていない。
中学時代からこれまで、反抗期らしきものはなかったように思う。
それはサッカーに打ち込んでいる息子に、あまり口を出さなかったので反抗をしなかったのか。
今頃反抗期がやってきたのだろうか。
最近の亮太をどう扱っていいのか思いあぐねていた。

 
その日以来、亮太は母親の百合子にほとんど口を利かなくなった。
腹の減るのは我慢が出来ないのか、食事時にはダイニングにやって来る。
しかし百合子が話しかけても、
「別に。」とか
「煩せえ。」と言うだけで、会話をしないのだ。
夏休み前までは、帰ると学校であった事などを楽しそうに話してくれていたのに。
どうして変わってしまったのだろう。
時々自転車で出かけるが、行き先を訊いても応えない。
不安と腹立たしさにむしゃくしゃした気分でパソコンを開けた。
他人のブログやホームページを見ていても、気分が落ち込むばかりで面白くない。
ふと窓に目を向けると、白いレースのカーテンの内側に引き寄せてある暗い色の厚手のカーテンが気になった。
この家を建てた際、落ち着いた雰囲気のある家にしたいと、暗い茶系統のカーテンで家中を統一したのである。
しかし今はこの暗い色が、余計に気分を暗くさせているように感じる。
ネットの通販でカーテンを見てみた。
すぐに気に入った明るい色のカーテンを見つけることが出来た。
クリームがかったベージュの地に、薄緑色の小さな花の模様が織り込まれている。
家中のカーテンの枚数を数え、計算すると30万円ほどするが迷いなく注文した。
今の百合子はこれで憂さ晴らしをしたいのだ。
二日ほどしたら、通販会社から振込用紙が送られてきた。
壮介の給料が振り込まれる預金口座から、その代金を引き出すわけにはいかない。
この口座は住宅ローンや公共料金、税金や生活費など毎月必要な費用を払うと、あとは余裕がない。
カーテンの代金を、さてどこから出そうかと百合子は考えた。
亮太の進学の費用として、ボーナスの一部を預金している分がかなり貯まっているので、そこから引き出そうと思い付いた。

仮想の狭間(10)

2010-04-13 11:21:04 | 仮想の狭間
 四日後に大きな段ボールに入ったカーテンが届いた。
厚手のカーテン全てを取り替えると、見違えるように家の中が明るくなった。
やっぱりこのカーテンに変えて良かったと、百合子は亮太のことを忘れさせるほど心が晴れ晴れとしていた。
土曜日も出勤し、毎晩遅くに帰り、朝慌ただしく家を出て行く壮介は、まだカーテンに気付いていない。
日曜日に壮介は遅く起きてきた。
リビングの窓際で庭のヒマワリを見ながら、手を上げて大きく深呼吸をした。
そのとき新しいカーテンが壮介の目に入った。
ダイニングにも行って窓を見るとここのも新しくなっている。
「いつカーテンを替えたんだ?」
「あら、もう三日も前よ。
前のカーテンは暗いし、もう汚れていたから、家中のを替えたの。」
「家中だって!
そんなに汚れているようには見えなかったけど。
それでいくら掛かったんだ?」
「30万円よ。」
「なんだってそんな無駄遣いをするんだ。
汚れていればクリーニングをすればいいだろう。
亮太の進学の費用も要ることだし。」
「30万円くらいかまわないでしょう。
それで家の中が綺麗になれば、何も無駄遣いじゃないわ。」
「俺の勤めている会社が今、大変なのは分かっているだろう。
この冬のボーナスもグンと減るだろうし、給料だって減るかもしれないのに。」
せっかく晴れ晴れとした気分になっていた百合子は、また気が滅入ってしまった。
 
 翌日は手芸の集まりの日だが、クッキーを焼く気力もない。
気晴らしに思いっきり派手な服を着て行こうと、昨年ネットのオークションで買って派手過ぎて着ていなかった、ハワイアン風の白地に赤と緑の大きなハイビスカス柄のミニワンピースを着て、その下に細いジーンズをはき、差し入れも持たずに真理の家に向かった。
途中で出会った人が振り返って見ているような気がする。
真理の家にはもう秋絵も美代子も来ていた。
自分の服装が派手な柄なのを気にしていた百合子は皆の服装を見て驚いた。
美代子は何時も派手だが、モノトーンの服に拘っていた秋絵が、今日はどうしたことかショッキングピンクのTシャツに、黒地に黄色い柄のあるパンツをはいている。
おまけに厚化粧をしていて、パープルのアイシャドウをしっかり塗ってアイラインまで引いているではないか。
目を丸くしている百合子に、
「秋絵さんには驚いたでしょう。」
そう言う真理まで、胸の大きく開いたフリルのついた真っ赤なブラウスを着ている。
「ここは姥桜の狂い咲きが満開ね。」
そう言って美代子が大口を開いて笑いだした。
それにつられて皆もお互いの服を批評しながら笑った。
秋絵も真理も何か心の変化があったのだろうか、とそっと二人の顔をうかがった。
しかし彼女たちは自分のように、抱えている心の辛さの裏返しではなく、二人とも普段より饒舌で本当に楽しいことがあるように思える。
「百合子さん、冴えない顔をしているけど、何か悩みでもあるの?」
真理が百合子の顔の表情を読み取った。
「息子が携帯ばかりして、勉強に身が入らないようなので、少し注意をしたら反抗して何も話さなくなってしまったんです。」
「その年頃は大抵の男の子がそうじゃないかしら。亮ちゃんは少し遅い方よ。
うちの息子なんか中学から高校まで、『別に。』とか『うるさい。関係ねえだろう。』としか言わなかったわよ。
でも大学生になったら、急に優しくなったわ。男の子って扱い難いわね。」
「真理さんの息子さんもそうでしたか。」
「うちの息子の時代は、まだそれほど携帯電話が流行っていなかったから、そちらの心配はなかったけど、お友達に変な人がいなければ大丈夫だと思うわ。
もう少しそっと様子を見守ってあげては?」
とりとめのない話題に花を咲かせるこの集まりは、百合子にとって家での鬱憤を晴らす場にもなっている。
幾分軽くなった気持ちで家に帰った百合子は、いつものようにパソコンの前に座った。
ブログに書き込みをしていたが、気が付けばいつのまにか通販の画面を出していた。
昨日夫にカーテンのことで叱られたので、腹いせに値段の高い靴でも買いたいところだが気持ちを抑えた。
壮介の帰りが遅いので、夕飯は亮太と二人でとることが多い。
今日も食事中に亮太の携帯が何度も鳴っている。
その度に食事を中断してメールを返す息子に注意をしたいが、これ以上悪い関係になるのが怖くて何も言えない。

仮想の狭間(11)

2010-04-13 11:19:47 | 仮想の狭間
 お盆を挟んで一週間、壮介の夏休みに入った。
この一週間は親子三人で一緒に食事をとることが多い。
昼食中に亮太の携帯がいつものように鳴りだした。
「何だって昼食時に何度も掛けてくるんだ。
急用でなければ返信するな。」
父親に注意された亮太は携帯の画面を見ながら、不満そうな顔をしながらも頷いている。
「亮太、勉強の方はどうだ。捗っているか。
焦らないでいいからボチボチやれよ。」
「うん。」
父親に対する亮太の態度は、自分に対する態度よりずっと素直だと百合子は思う。
その日の夕食は外ですることになった。
しかし亮太は行かないという。
親と一緒のところを友達に見られるのは、この年頃の男の子にとっては恥ずかしいことなのだろうか。
「一緒に行かなければ、何も食べるものがないわよ。」
「コンビニの弁当を買ってくるからいいよ。」
「せっかくみんなでレストランへ行こうと思っているのに、亮太が来ないんじゃ、行く意味がないじゃないか。」
壮介が亮太を無理やりに連れ出した。
レストランでは奮発して、ビーフステーキコースを注文した。
ふくれっ面をしているかと思った亮太は、意外に機嫌の良い顔をしてナイフとフォークを動かしている。
壮介もそんな雰囲気に気を良くして、
「明日みんなで、和歌山の実家の墓参りに行こうか。
あの近くの海水浴場で久しぶりに泳いでみたくなったなあ。」
と誘った。
「ああ、あそこだね。小学生の頃、父さんに毎年泳ぎに連れて行ってもらったのを覚えているよ。
お爺ちゃんもお婆ちゃんも一緒だったね。」
「そうだなあ。あの頃はまだ親父もおふくろも元気だった。」
昔を思い出すかのように、壮介は遠いところに虚ろな目をやっている。
それから三人はその頃の思い出話を和やかにしていた。
「亮太が墓参りに行ったら、お爺ちゃんもお婆ちゃんもきっと喜ぶと思うわ。」
「悪いけど、僕はパスする。」
「そうか、亮太は今それどころではないか。」
壮介は無理強いはしなかった。
墓参りは拒否したが、今夜は久し振りに楽しそうにしている息子の顔を見て、百合子自身も心からこの時間を楽しむことが出来た。
しかし翌日からは以前と同様、殆ど口を利かなくなっていた。
壮介の夏休みも終わり、また通常の生活が戻ってきた。
 庭の樫の木でツクツクボウシが忙しく鳴き出し、西の山に日が早く落ちるようになった。
秋が駆け足でやって来る気配がする。
亮太はあと二週間足らずで二学期が始まる。
お盆を過ぎた頃から、慌てて勉強をやりだした。
もう携帯を頻繁に打つ暇もないようだ。
百合子は亮太の夏休み中、彼に携帯を注意した手前、自分がパソコンに長時間向かうわけにもいかずセーブしていた。
そして出来た暇を手芸の刺しゅうに向けていたが、この前、夫がボーナスや給料が減ると言ったことが気になっていた。
秋になれば、パートの仕事にでも出ようかと考え始めた。

仮想の狭間(12)

2010-04-13 11:18:25 | 仮想の狭間
 夏の花から秋の花へと移り変わる9月、真理は花壇の手入れに余念がない。
昨日 園芸店へ花の苗を買いに行った。
夫も付いてきて、あれこれと選んでいる真理の横で、
「適当にしておけ。」だの
「早くしろ。」だのと煩く口を出すのでしっかり選べなかった。
案の定 苗が足りなかったり、配色が上手くいかない。
不満だらけの植え替えを終えて、リビングでお茶を飲みながらパソコンを開いた。
コミュサイトの友達の一人であるYが毎日メールを送ってくる。
彼の年齢ははっきりは分からないが、真理より少し上の定年を迎えたばかりのようだ。
お互いに その日にあった取り留めのない出来事を書いてメールを交換している。
毎日これといった変化のない生活の中で、Yとのメールの交換に真理は新鮮さを感じ、刺激を受けている。
朝パソコンを開いて、彼からのメールが入っていると嬉しさが込み上げてくる。
不思議な感情だと思う。
別に彼に恋をしているのでもなく、彼を好きになったわけでもない。
しかし彼からのメールがない時には、寂しくて何度もメールボックスを開いて見ている。
夫を嫌っているわけでもないが、ただあまり干渉されたくないと思う。
定年になって家にいることの多くなった夫は意識的ではないかもしれないが、妻の行動を監視しているように真理には思える。
何かにつけて口を出してくる夫と少しでも離れて、自由な時間を持ちたいと願うのであった。
そんな心の自由を許してくれるところ、それをコミュニティサイトに求めていた。
 今朝、Yが自分が入っている写真のサークルに入ってみないかと誘ってきた。
彼のフォトアルバムには何時も美しい自然の景色や街並みの写真が載せられている。
このサークルに参加して撮ってきたものであろう。
真理は奈良県に住んでいるが、Yは京都府だという。
サークルに入ると、撮影会に参加してYに会うことになる。
秋絵のように、いそいそと詳しくも知らない男に会いに行くほど気乗りはしない。
しかし彼が実際どんな人間なのか見てみたい気もする。
写真のサークルなので、二人きりではなく、何人かの仲間で行動するようなので安心ではあるが、問題はカメラである。
写真のマニアのサークルなら、皆それなりの立派なカメラを持っていると想像されるが、真理は小さなデジカメしか持っていない。
Yにそれを言うと、
「カメラなどはどうでもよい。写す人の心だ。」
と答える。
これは真理を誘う口実であることは明確だ。
見え透いた言葉でも信じた振りをして、とにかくそのサークルに入ることにした。
9月の撮影会はびわ湖の西だという。
少し遠いが思い切って参加することにした。
久し振りに子供の頃に返ったような遠足気分になり、服装や弁当などあれこれと今から考えてウキウキしている真理であった。
しかし参加するに当たって、夫にどのように話を切り出そうかと悩んだ。
まさか夫に秘密にしているメル友の誘いだともいえず、高校の同級生K子がびわ湖に遊びに行こうと誘ってくれるので、行ってくると嘘をつくことにした。

仮想の狭間(13)

2010-04-13 11:16:54 | 仮想の狭間
 撮影会の待ち合わせ場所は、JR京都駅の中央改札口前と、Yのメールで連絡があった。
当日、真理は近鉄電車で京都駅まで行き、中央階段を下りていくと、改札付近にそれらしきリュックサックを背負った数人の男女を見つけた。
携帯電話をYに入れると、その中の青いチェックのシャツに黒い野球帽を被った小柄な男が携帯を耳に当てるのが見えた。
「ああMRさんですね。今どこですか?」
「すぐ近くまで来ています。」
真理は手を挙げてその男に近付いた。
「始めまして。
私Yこと山崎です。よろしく。」
「私はMRこと真理です。
今日はお世話になります。
よろしくお願いします。」
お互いにハンドルネームしか知らなかったので、初めて本名を名乗った。
メンバーは男性二人と女性が真理を入れて二人の四人であった。
びわ湖近くの駅で、もう一人の男性が自動車で待っているとのことだ。
電車は山科駅で湖西線に乗り換え、真理が空いている席に掛けたら、すかさず山崎が横に座った。
暫くしてトンネルを抜けると、びわ湖が青い湖面を見せ始め、対岸の山々はまだ紅葉には早く、山の緑と湖の青が絵のように美しい。
そんな景色を眺めながら、真理は昔を思い出していた。
夫の敏之とまだ付き合い始めたころの夏、びわ湖畔の水泳場へ二人で遊びに来たことがあった。
泳いだり、砂浜を走って戯れたことが懐かしく蘇ってくる。
あの頃の敏之はスリムで格好良かったし、真理にいつも気を遣ってくれる優しい人だった。
ぼんやりと車窓から湖に目を向けて、思い出に耽っている真理の顔に、いつの間にか笑みが浮かんでいた。
「真理さんが楽しそうで良かった。」
突然横で声がしたので、驚いて我に返った。
山崎が横にいたのを忘れかけていた。

 目的の小さな駅に着いて改札を出ると、もう一人のメンバーの男性が大きな白いワンボックスカーの横に立って待っていた。
山崎が真理を紹介すると、その男性は満面の笑みを向けて言った。
「加藤と申します。
貴女のような素敵な女性に、このサークルに入って頂いて大変嬉しいです。
これからは撮影会に出てくるのが楽しみです。」
加藤は山崎と大学の同期生だったという。
山崎は色白でふっくらした顔をしていたが、加藤は背が高く痩せ形で、日焼けした精悍な顔付をしている。
二人が並ぶと小柄で童顔の山崎が随分と若く見える。
皆が乗った加藤の車は交通量のまばらな道路を走って行く。
両側に広がる田んぼは黄金色の穂をたわわにしならせて、もう収穫期が来ていることを知らせているようだ。
コンバインによる収穫作業をしているところに出くわした。
加藤は車を停め、メンバーが降りて、近くの景色をカメラにおさめている。
さすがに皆 一眼レフの立派なカメラを持っている。
真理は小さなデジカメを出すのが恥ずかしく、コンバインの作業をじっと見つめていた。
機械の前に付いている刃で刈り取られた稲が機械の中を通ると、上から横に伸びている長い筒から籾が出てきて、筒の先に取り付けられた袋に入って行く。
そしてワラが短く切られて散っていくのだ。
何だか手品を見ているようだ。
 また暫く車で上り坂を走ると小さな集落に付き、その向こうに棚田が見える。
そこが目的地らしい。
それぞれに皆、構図を考えながら位置取りをして、土手や畔に三脚を立ててカメラを覗いている。
山崎が真理のそばに来て、構図の取り方やカメラの構え方などを丁寧に教えてくれる。
初めてで心細かった真理は、親切にしてくれる山崎が頼もしく感じられる。
川のほとりの空き地で、皆が輪になって会話をしながら弁当を食べた。
真理は子供の頃の遠足のように童心に返って楽しく、来て良かったと思った。
 
帰りはまた朝降りた駅から電車に乗ることになり、切符を買うために皆が券売機の前に寄っていたが、真理は山崎が一緒に買うというので一人離れて待っていた。
そこに車を運転していた加藤がやって来て、小声で話しかけてきた。
「真理さん、差支えなかったら今後の連絡のため、携帯電話の番号とメールアドレスを教えてくれませんか。」
急に言われて真理は迷った。
教えてむやみに何度も電話をかけられたり、メールをしてこられては困ると思い、きっぱりと断った。
「わたし、携帯の番号やアドレスは他人にはあまり教えないことにしているんですよ。
ごめんなさい。気を悪くなさらないでくださいね。」
「いえいえ、こちらこそ初めて会った人に失礼なことを言いました。」
真理は加藤が自分に興味を持っているのを何となく察していた。
加藤は明るく好感の持てる素敵な男性だとは思うが、秋絵のように付き合っている男性と特別に近い関係を作りたくはないと思う。
そんな勇気を真理は持ち合わせていなかった。

仮想の狭間(14)

2010-04-12 22:50:11 | 仮想の狭間
真理が撮影会から帰宅して玄関を入ると、リビングから電話のベルが聞こえた。
夫の敏之が受話器を取ったようだ。
何と同級生のK子からだという。
夫の敏之には、今日びわ湖へK子と一緒に行ったことにしているのに。
慌てて受話器を受け取ったが、真理の心臓は張り裂けそうに動悸が打っている。
「お久しぶりね。
今日、貴女の家へ行こうと思っていたのよ。
でもちょっと野暮用が出来て行けなかったの。
最近どこかへ行った?
今日は何をしていたの?
この頃何かやっている?」
たたみかける様に次から次へと話すK子の言葉に、真理は傍にいる夫を気にして、しどろもどろの返事を返していた。
電話を切ると汗が噴き出してきた。
もう少し帰りが遅くなっていたら危ないところだった。
それにK子に野暮用が出来て、来訪されなくて助かったと胸をなで下ろした。
それにしても滅多に真理の家にやって来ることがないし、電話も掛けてこないK子が今日に限ってどうしてそんな気になったのかと恨めしくさえ思う。
夫に嘘をついて出かけたことに罰があたったのだろうか。
今日はグループで撮影会に行ったのだから、何も隠すことはなかったのにとは思うが、写真のサークルに入った経緯を夫に理解させるのは難しい。
 その夜、早速山崎からメールが入っていた。
<加藤君、真理さんが気に入ったらしいね。
さっき電話があったんだけど、「俺には携帯番号を教えてくれなかったのに、どうして君は知っているんだ。」なんて言うんだよ。
待ち合わせするのに必要だよね。
だけど僕だけが真理さんの番号を知っているのって嬉しいよ。>
真理はK子の電話のことで気が動転していて、山崎にお礼のメールを入れていなかった。
急いでお礼の言葉を送った。
自分の携帯番号を知っているだけで、単純に喜んでくれている山崎に対して、温かいものが胸に込み上げてくるのを真理は感じていた。
翌日加藤から、真理のコミュの仲間に入れてほしいと、サイトのメールで依頼があった。
山崎から真理のコミュサイトを聞き出したのであろう。
拒否する理由もないのでOKした。

 数日後、秋絵が真理の家にやってきたが、浮かない顔をしている。
「最近彼とはどうなの?」
「ええ・・少し前まではお茶をしたり、美術館巡りをしたりして楽しかったわ。」
「今は楽しくないの?」
「そうじゃないけど・・・・」
秋絵は言い淀んでいる。
「何かあったの?」
「・・・・美術館へ行った帰りに、向こうからキスをしてきたので、キスくらいならいいかなと思って2度ほどしたのよ。
だけどこの頃ホテルへ誘うのよ。
勿論断っているわよ。
それでだんだん会うのがおっくうになってきているの。」
「あら、危ないわね。
もう付き合うのは止めなさいよ。」
「そうね、でも・・・」
まだ未練がありそうな秋絵である。
「男の人って最終的にはそれが目的で近寄ってくるのかしら。」
真理の頭に山崎や加藤の顔が浮かんだ。
彼らもそんな下心があるのだろうか。
いや、あの人たちに限ってそんなことはあり得ない、と否定してみるが自信がない。
「ご主人はまだ出張が多いの?」
「そうなの。
でも来月から暫く出張がないようなので要注意よね。」
「要注意だなんて、まだ彼と会うつもりなの?
コミュサイトの中だけで付き合っていれば安心なのに。」
こんな言葉を秋絵にしている真理も、一歩踏み出してしまっている。
自分も山崎や加藤と今後撮影会で会う機会があれば、秋絵と同じ展開にならないとも限らない。
心がすでに山崎に傾いている真理だが、泥沼に踏み込むような男女の関係を望んでいるわけではない。
秋絵が以前、彼との関係を「ただの茶飲み友達」と言ったが、真理も山崎や加藤とはメールや写真を一緒に楽しむだけの間柄を続けていけたら嬉しいと思う。
秋絵のことが急に心配になってきた。
「やっぱり貴女の付き合っている彼は危険だわ。
もう会っては絶対にダメよ!」
いつになく真理の強い口調に、秋絵は驚いた表情をして真理の顔を見つめた。

仮想の狭間(15)

2010-04-12 20:09:36 | 仮想の狭間
 庭のケヤキやカエデが黄や赤に染まってきた。
手芸の仲間は今月も真理の家に集まっている。
庭の芝生でゴルフのクラブを振っている真理の夫を見ていた百合子がフーと溜め息をついた。
「真理さんのご主人はいいですね。
うちの主人なんか毎日牛馬のように朝から晩まで働いているのに、給料は下がるし、ボーナスも出るかどうか分からないんですよ。
わたしもパートの仕事を探しているんだけど、事務系だと この歳ではなかなか見付からなくてね。」
「うちの主人も勤めでいる頃は、早朝に家を出て、帰りは午前様だったのよ。
あの人が勤めている頃に、バブルの崩壊があって、その時は会社も大変だったようだけど、幸いに辞める前は今のような不景気ではなかったので、給料やボーナスが減るような心配はしないで済んだわ。」
「そう、この不景気で今はどの会社も大変みたいね。
うちの主人もどこへ転勤になるか分からないわ。」
「あら、秋絵さんのご主人も転勤があるのね。
そうなったら引越しになるでしょうし、遠くへ行くようなことがあればいろいろと困ることが出てくるわね。」
真理が秋絵に意味ありげな目を向けた。
「そうよね。働いている人はみんな大変な苦労をしているのだから、贅沢は出来ないわ。」
秋絵の交友関係を知らない美代子が真理の言葉の意味を理解しないまま言った。
外にいる真理の夫を気にして小声で話を続けた。
「この前、例のダンスを習っている友達に会ったら、ちょっと気になることを言っていたのよ。
その友達がスーパーで買い物をしていたら、めぐみさんが駆け落ちをしたという相手の男性が、奥さんや子供を連れて歩いているのを見たと言うの。」
「ええっ、それじゃあ めぐみさんはどうしているのかしら。
捨てられたってこと?
めぐみさんの家は今も雨戸が閉まったままよ。」
と秋絵が首をかしげた。
真理も不思議そうな顔をして言った。
「やっぱりそんな恋は成り立たないのかしら。
それとも もう熱が冷めたのかしら。
恋をしているときには周りのことが見えなくなって、とんでもない行動に出てしまうけど、落ち着いて考えたときに自分の行動が如何に他の人を傷つけているかが分かるものよ。
めぐみさんには悪いけど、その男性が奥さんや子供のところに戻って良かったんじゃないの。」
真理は秋絵にも自分にも言い聞かせている。
山崎と加藤が次の撮影会に誘ってきている。
次回は京都の寺での撮影会だという。
その次はびわ湖の北の夕日を撮りに行くのだそうだ。
夕日はとても美しい景色で写真仲間では大変人気のあるところなので、是非来るようにと加藤がメールを送ってきた。
真理は胸がワクワクする一方で、胸をときめかせている原因が彼らに会うことなので、夫に対して後ろめたい気がしている。

 百合子は仲間のそんな会話に入れないでいた。
夫の壮介が勤める会社がだんだん規模を縮小して、人員削減が進んでいる。
夫は会社に残れるのだろうか。
会社はこの不景気に持ちこたえられるのだろうかと、最近になって不安が募ってきた。
もし壮介が失職するようなことがあれば、亮太の進学も考え直さなくてはならない。
百合子自身も職をあれこれと選んでいる余裕はなくなる。
仲間とこんな悠長な時間を持っていることに罪悪感さえ生まれてくる。
ついこの前までは、この集まりでストレスが解消されていたのに、今日は焦燥感でこの場にいることが辛く感じられる。