サカつくEUでどうしても欲しいイタリア人選手がいます。それはトッティでもデル・ピエーロでもピルロでもありません。名前はロベルトですが、バッジョでもカルロスでもありません。その選手の名は”ロベルト・バローニオ”。僕の中では世界最高のMFの一人です。
ちなみに”ロベルト・バローニオ”はほとんど写真ぐらいしか見たことありません。一度だけ試合を見たことがありますが、”将来有望なレジスタ”という噂ほどのインパクトはなかったと思います。しかし、WCCFでは噂以上のプレイを披露してくれました。
今はもうやってませんが、SS以降のサカつくにあまり面白味を感じなかった僕がサカつくの代わりにハマッていたのがまだ出始めのWCCFでした。当時はまだセリエAのみで、人とはずれたことが好きな僕は”白カード最低3枚枠”という自分内ルールを作ってました。
「一番うまい選手はウィングに置け。」というヨハン・クライフに影響され、90年代中盤のセリエAをリアルタイムで見た僕が選択したシステムは4-3-3。また、古本屋で300円で売ってた’82年W杯のイタリアvsブラジルのビデオを見て、20年前のアズーリを再現しようとした僕がが採った戦術は右サイドアタック。右ウィングにトッティ、CFにヴィエリ、セカンドトップにロナウドとキラカードで構成された3トップをトップ下よりも若干下がり目、ボランチよりも若干上がり目の位置(今で言うバルサのデコやチェルシーのランパードといったところ)でレジスタ(司令塔)として操ったのが当時フィオレンティーナに所属していた白カードの”ロベルト・バローニオ”でした(偶然にも20年前のアズーリで右ウィングを務めたASローマのコンティの役をトッティが、レジスタを務めたフィオレンティーナのアントニーニョの役を”ロベルト・バローニオ”が担った)。
ミランのアルベルティーニ(当時)やローマのエメルソン(当時)、ラツィオのリベラーニといったカルチョを代表するレジスタも起用しましたが、”ロベルト・バローニオ”ほどの活躍は見せてくれませんでした。それこそランパードのように前線へも飛び出し、ゴールも決めてました。
近所のゲーセンで優勝した時、決勝で下したお兄さんが僕に聞いてきました。「なんで(トッティじゃなくて)白カードがこの位置なんだい?」僕はこう答えました。「レジスタだから。」
実際の”ロベルト・バローニオ”はそこまでゴール数の多い選手ではないが、17歳?の時ブレシアでセリエAにデビュー。2000年にはレッジーナをA残留に導き、U-21ではユーロ2000で優勝。しかし、その後ラツィオを経て移籍したフィオレンティーナはB降格に倒産。シドニーオリンピックではU-23の主力として参加するもベスト8敗退。その後ラツィオに復帰するもペルージャ、キエーボ、昨シーズンはウディネーゼとレンタル移籍のシーズンが続く。皮肉にもU-21&U-23、レッジーナのチームメイトでトップ下を務めたピルロはレジスタとして’06W杯でアズーリを優勝に導いている。
ちなみにサカつくEUでは31歳で引退しちゃいました。若返って出てこないかなぁ、、、。