Gift ~与えられるもの、与えられたもの~

ギフテッド
生きにくい子どもたち

広い視野を持つ

2011年08月05日 01時21分06秒 | 気づき

こんばんは。
お久しぶりでございます
すっかり8月に入っておりますね~
みなさまお元気でお過ごしでしょうか?


私は毎日、ドタバタとあっと言う間に過ぎてゆきます。
でも身体は軽く、元気です
でも横になったら、秒単位で、どこかの世界へ行っているようです
のび太くん並みの早さです


勤務先へは、一駅先まで電車に乗っているのですが
朝のラッシュ時ですから、人が多い
大阪ではラッシュ時の満員電車の経験はありますが、
ありがたいことに私は何年も専業主婦をさせていただいてましたので
関東のこの殺人的ラッシュに乗った経験がございません。
毎日こんな電車に乗って会社まで通っているパパさんに
改めて尊敬と感謝とでございます
私、昔から電車が苦手で
すぐにお腹痛くなっちゃうし…
人ごみに押されて、動けなくなっちゃうし、人にぶつかるし…だったんですけど、
今は一駅だけですし、足元や近くばっかり見なくなったので
結構並みに乗れてるんですよ~

足元やすぐ前だけを見ていると
向こうから走ってきた人とおもいっきりぶつかったりしますし、
あと、向こうから来た人と何度も同じ方向に避けようとするのです。

最近はなるべく遠くのほうを見るようにしておりますから、
猛スピードで走って来る人、ちゃんと目視できます。
だからぶつかったりしません。
車の運転中でもそうですが、近い先ばかりを見ていると
自分の走っている車のスピードが速すぎると感じて怖くなってきますが、
遠くの方まで広い視野で見てみると
いろんな危険予知も出来ますし、自分のスピードも
一緒に走っている車のスピードの速さもわかるようになりますので、
車線変更も余裕でできますもんね。

遠くばかりを見て、足元の大事な物を見失ってしまうと
本末転倒って感じですが、
私たちは個であるけれども、大きな視野を持ってみると全でありますものね。

みんな同じ人間です。
目も鼻も口の形も人それぞれですが、それはその人の持っている個性であるだけで
同じ機能を持っています。
この人間も人間という枠にとらわれているのだとしたら、
自然も動物たちも「命」での括りになっているのですかね~。

「命」を辞書で調べてみましたら、息の根とありました。
息という字は、自分の心と書きますね。
自分の心の根を全うすることが、命なのかもしれませんねぇ。

生を受けた時から、誰にも平等に死は必ずやってきます。
未来は自分たちの手によって創造できると、信じておりますが
私がこの世に生を受けて、両親を選んで
今まで歩んできた人生がすべて宿命だとしたら、
そして、今こうやって何かをやっていることが必然であるなら
すべてが宇宙の采配ならば、今やっていることはどうなの?って。
どうせこうなる!! なんて、今を諦めるの?
ちょっと甘えた私の中の、ネガちゃんが
「どうせ〇〇なんだから、いいやん!!」って、囁きかけてくる。
どうせ汚れるから掃除せんでいいやん?
またすぐ使うから片付けんでいいやん?
そんなことを続けてたら家の中、どんなことになる?
だから主婦はやってもやっても終わらない、エンドレスなことをやり続けるんですよね。

やっぱり掃除したら気持ちが良いし、
使ったもを元の場所にしまったら、次に使いたい時にすぐに探せるし、
そこに住む家族が快適に暮らせることが一番大事ですものね。

だから、「どうせ」と想うことはやめにしよう。。。
毎年、季節ごとに咲いてくれるお花たちも
「どうせ、散るし。。。」 なんて、想って咲いてる花はないよね゛