今日は雨が降り出しそうな曇り空、結構、強い風が吹いている長野です。気温も23度までとの予報で、肌寒く感じます。明日はまだ気温が下がるようです。
12日、「ながの祇園祭」屋台巡行に行って来ました。その後編です。
御開帳と屋台巡行が重なった仲見世通りは大混雑。お店の前も行列が出来ていました。その間を縫うように進み「駒返り橋」まで。そこから先には入れませんでした。山門の手前で屋台が善光寺に舞を奉納する「山門答礼」を行うためです。
迂回をすればけ境内に入ることは出来ますが、大混雑が予想できたので行きませんでした。
大勧進の手前の道を左に入っていくと弥栄(やさか)神社があります。祇園祭はその神社の御祭礼ですので行って来ました。
大勧進の塀に沿って、横沢町の「傘鉾」が展示されていました。明治6年に制作されてものだそうです。鉾の上に魚やタコが乗っているのは、山国の人の海への憧れみたいなものでしょうか。
弥栄神社はその先、南へ下がる道の角にあります。小さな神社ですが 源頼朝により創建と伝えられる古社です。疫病除けのため 京都八坂神社を勧請したのだそうです。祇園祭、納得です。
神社前では屋台の舞が奉納されます。それを境内からは目の高さで見ることが出来ます。
次の屋台がやって来ました。交差点を曲がって来ますので「辻回し」をして入って来ました。屋台は二輪車なので、方向を変えるのはかなりスムーズです。
舞の奉納は上千歳町の屋台でした。
仲見世通りに戻り、中央通りへ向かいました。中央通りは屋台巡行の時間は歩行者天国になります。遠くには善光寺から下がっていく屋台が見えました。
権堂のアーケード街まで戻ると、アーケードの中に入っていく屋台が。この狭い通りにも入るんですね。
ここまではのんびりと歩いて来たのですが、その先に権堂町の「勢獅子」が舞を奉納しているのを発見、慌てました。やっぱり大門で見たのは子供の「勢獅子」で、こっちが「本物」でした。「本物」と言うのも変ですが。
権堂町の屋台は大正2年の制作とのことです。これで巡行する屋台4台を全て見ることが出来ました。ちょっと満足!
帰る途中には「置き屋台」も見て来ました。
セントラルスクエアには新田町の屋台がありました。
この屋台は、平成30年に新調されたようです。
トイーゴ広場には問御所町の屋台が置かれていました。明治6年に完成した屋台で、優れた彫り物で飾られた屋台です。
西光寺にある回向柱の様子も見て来ました。以前、ここに来た時は、まだ回向柱が建っていませんでしたので。
今回の屋台巡行には4台が参加しましたが、善光寺町の屋台巡行加盟は20町 あるのだそうです。全部の巡行は無理だとは思いますが、もっと多くの屋台巡行を見てみたいものだと思いました。
そのためにも地方経済が良くなる必要があります。地方が元気にならなければ、日本は元気になりません!
今日(12日)の歩数は、合計9,662歩。今回、初めて「ながの祇園祭 屋台巡行」を見ることが出来ました。祇園祭と言っても京都のそれと比較するものではないのですが、長野の祇園祭は「踊り屋台」という特色もあって楽しむことが出来ました。
これが終わると、善光寺の御開帳も残り2週間です!