新町通に用事があったので、そのまま歩いてみることにしました。
この通りは、平安京の頃は「町小路」と呼ばれていて、新町通に名前が変わったのは、およそ1570年代前半の頃のようです。
丸太町通を渡ると、左側に「京都赤十字病院」が下立売通まで続いています。それを渡ると、「京都府庁・京都県警」等が並んでいて官庁道りの様です。京都府庁の旧本館は、明治の頃の洋風建築で、なかなか趣のある雰囲気です。
その先、中長者通との角に、澤井醤油本店があります。
創業明治十二年で、国産の原料と昔ながらの手法・道具を使った醤油造りを続けているお店です。
正面と新町通り側の倉です→
中立売通の手前には、京都ブライトンホテルがあります。格式を感じる正面です。
一条通を過ぎ、武者小路通を渡って直ぐに「霊光殿天満宮」があります。ここは、菅原道真と徳川家康を祀っているとのことです。謂われを調べましたら「蒙古来週の時に後宇多天皇が当社にて夷賊退治の祈祷を行わせたところ元の船がことごとく沈んでしまったので『天下無敵必勝利運』の額を天皇より賜った。徳川家康は当社を深く崇敬し、元亀元年(1570年)に天下太平の祈願をした」とありました。
その額は、新町通側の鳥居の上にあります。境内は小さいですが、舞殿もある立派な神社です。
霊光殿天満宮です→
家に帰って気がついたのですが、武者小路通には、通りの名前からも分かるように、茶道の三千家の一つ「武者小路千家」がありました。次の機会に寄りたいと思います。
今出川通を渡った先に「同志社大学新町校舎」があります。
新町通を挟んだ右に「三時知恩寺」がありました。「三時」とは面白い名前でしたので、門前にある表示板を読んでみると「入江御所と呼ばれる浄土宗知恩院派の門跡尼寺で、後柏原天皇が宮中での昼夜六時勤行のうち昼の三時は、この寺にて修するように定められたので三時知恩寺と改めた」と言うようなことが書いてありました。
三時知恩寺です→
そこで引き返してきましたが、家で調べてみるとその先には「尾形光琳」の墓がある妙顕寺等、寄ってみたい所が結構あったので、戻ってしまったことを大変残念に思いました。しかし、お昼に新町キャンパスの横にある食堂で「唐そば」(韓国麺を和風スープで仕立てたもの)というものを食べたので「良し」としました。
今日の歩数は、9,400歩
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