いろいろなご縁でつながりができ、東山いきいき市民活動センターのスタッフさんからワタ(綿)の苗の提供のお話をいただいたのが今年の3月。私自身は種子の持ち合わせがなかったので、大学時代の恩師にお願いして茶綿と緑綿の苗を分けていただきました……が、今春の緊急事態宣言の影響でお渡しできたのが6月の下旬。
引き渡し後すぐにセンターの中庭の花壇に植え付け、1週間ほど前の8月下旬時点で、ここまで成長しました。
そして、よく見ると……
赤い丸印のところですが、花が咲き始めていました。
通常は淡黄色やクリーム色が多く、アオイ科であるワタは同科のフヨウ(芙蓉)などと同様に一日花で、時間が経つにつれ赤みを帯びていきますが、この花は咲き始めから赤いです。茶綿か緑綿かわからずに植えつけてしまったものもあり、3年前に一度だけ育てたことのある茶綿は淡黄色の花だったので、ひょっとしたら緑綿かもしれません。
また、この株はすでに何個か花が咲いていたようで、小さな実も結び始めていました。
うっかり植えつけ時の写真を撮り忘れていたのですが、2か月ほどでこの投稿記事1枚目の写真にある大きさまで育ってくれました。
ただ今年は、と言うか「今年も」かな、植えつけ時期として最適な5月に新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言が発出中でセンターに行くことができず、植えつけが1か月ほど遅くなったこと、そして8月中旬の戻り梅雨のような長雨による日照不足の影響が出ると実を結んでも開絮(弾けて綿が飛び出てくること)しないものが出てくるかもしれません。
たとえ数個だけであったとしても茶綿と緑綿、両方が開絮してくれるとうれしいのですが……
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そうそう、ちょっと脱線話をひとつ。ワタのこと、特にワタから取れる繊維のことを「木綿」とも書きますが、どう読みますか。おそらく大半の方は「もめん」と読まれると思います。でも、この読み方だけではなく、名前にも使われる「ゆう」という読み方もあります。
この「ゆう」と読む「木綿」とはコウゾ(楮)のことで、古くは「木綿」というとこちらのことを指していました。ワタは日本には8世紀末の延暦18(799)年に三河国に漂着した崑崙人が伝えたとされ、持っていたワタの種子を翌年には紀伊国等に配って試植させたそうですが、このときのワタは定着せず途絶えてしまいます。
日本でワタが普及し始めたのはそれから遅れること500年から600年ほど後の戦国時代以降で、15世紀末から16世紀中旬が日本での綿作、綿業の開始期とされるそうです。そして東北の一部を除いて全国に広がり、江戸時代に入って庶民の生活に深く浸透していったそうです。
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ついでながら、ワタには「綿」の他に「棉」という字もありますが、こちらの違いはどうでしょうか?
よく使う「綿」は種子を取り除いて繊維だけにした状態のもの、そして「棉」は摘み取った状態、つまりコットンボールの状態を指します。ちなみに、先述のとおり果実が弾けて繊維が露出すること(つまりコットンボールになること)を「開絮(かいじょ)」と言いますが、この開絮という言葉にある「絮」もワタと読み、ワタも含めて草木から取れる繊維のことや絹糸の元となるカイコ(蚕)の繭からできた綿状の真綿のことも指します。
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最後は、ワタに関する脱線話になりましたが、東山いきセンのワタは弾けるまで見守り続けたいと思います。
若い人たちは全く知らないでしょうね。
たまに鉢植えで栽培されているのを見かけることがありますが、少ないですね。
知らない方にとっては、それがワタであることに気づかないこともあるかもしれませんね。
和綿栽培は、明治期以降の近代化による機械紡績に和綿が合わなかったこともあり、衰退の一途をたどるようになったそうです。
でも近年、和綿が再び注目されているそうで、栽培を復活させるプロジェクトが各地で立ち上がっているそうですよ。