京都ではソメイヨシノ(染井吉野)の花は散り終わって完全に葉桜となり、サトザクラ(里桜)へとバトンタッチしました。そして、他の春の花々もあちこちで咲き誇るようになり、さらに春爛漫の風景が楽しめます。
こちらのヤエヤマブキ(八重山吹)も春を彩る花のひとつと言えるでしょうか。
2年前の春から、この花を見ると、ある和歌が頭に思い浮かぶようになりました。といってもそらんじられるほど覚えているわけではなく、うろ覚えでつっかえつっかえ出てくるといった感じですが……
その和歌とは、
七重八重
花は咲けども山吹の
みのひとつだに
なきぞ悲しき
というものです。
後拾遺和歌集に収載されている兼明親王が詠んだ和歌で、ある雨の降る日に兼明親王を住まう小倉(小倉山付近)の別荘に蓑を借りにおとないを入れる来客があり、兼明親王は黙して別荘に咲き誇るヤエヤマブキの花の枝を持たせたそうです。来客は事情を飲み込めないまま枝を持ってそのまま帰り、翌日その真意を訪ねる便りが届いたので兼明親王がこの和歌が詠んで返信したそうです。
意訳すると「ヤエヤマブキの花が咲き誇る屋敷ですが、八重のヤマブキは実のないように、蓑ひとつなくお貸しすることができないことが悲しいのです」というように『実の』と『蓑』を掛詞にして、前日に差し出したヤエヤマブキの枝のなぞかけの答えになるというものです。
この和歌を教えていただいたのは、3年前の夏に下鴨西通近くの白川疏水通でシロヤマブキ(白山吹)の実の写真を撮影しているときに「何の実ですか?」と声をかけてくださったご夫婦からでした。そのときの記事はこちら。
じつはこのとき、この実がシロヤマブキの実かヤマブキの実か区別がついておらず、どちらかの実だと思いますと伝えたら、さらっとこの和歌をそらんじられ、自分自身の浅学菲才を思い知るとともに真の教養とはこういうものかと感心したことを昨日のことのように覚えています。和歌はいまだにしっかりと覚えていませんが(笑)
この和歌にちなんだ出来事としては太田道灌の逸話のほうがよく知られているかもしれませんが、太田道灌の逸話の内容は上記リンクの過去記事に譲るとして、この逸話は江戸時代に岡山藩士である湯浅常山が著した『常山紀談』に掲載されているそうで、江戸時代の教訓説話として広く人々に知れ渡っていたようです。さらに「太田道灌借蓑図」という名で絵画にもされており、浮世絵の題材にもなっているのだそうです。
なお、この絵画には、漢学者の大槻磐渓が詠んだと伝わる(他に遠山雲如、新井白石、愛敬四山が詠んだという説もあります)以下のような漢詩(七言絶句)が添えられているのだそうですよ。
弧鞍衝雨叩茅茨 (孤鞍雨を衝いて茅茨を叩く)
少女為遣花一枝 (少女為に遺る花一枝)
少女不言花不言 (少女は言わず花語らず)
英雄心緒亂如絲 (英雄の心緒乱れて糸の如し)
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さて、私めは、お貸しできる雨具(傘)は持ち合わせておりますが、このブログの投稿が、京都園芸倶楽部という看板を笠に着て、なんだか取り留めのない実のない話ばかりになっているのだとしたらちょっと悲しきといったところでしょうか。