歴史と緑の散歩道は
鶴見区の北西部、駒岡町の兜塚から獅子ケ谷市民の森にかけて、
緑多い丘陵の尾根をたどる全長約4.5kmの散策ルートとなっています。
今日は、かぶと塚近辺だけ歩いてみました。
夢見ヶ崎 の伝承によると、
矢上川下流の広い沖積低地の中に、標高30mほどの細長く突出した加瀬山と呼ばれる台地があり
その加瀬山に太田道灌が城を築こうとしたが、
鷲に兜を取られる縁起の悪い夢を見たために築城をあきらめたという話が残っています。
そして、その兜が落ちた場所が、かぶと塚なのです。
川崎に住んでいたころ、最寄のバス停が夢見ヶ崎公園前だったので、
この話は興味深かったのです。
そして、今日、初めてかぶと塚を訪れたのです。
ここが、かぶと塚で入り口は左側の上末吉小学校との間を入ります。
昔はこの石垣はなかったような記憶があり、
断層が見えていて
そこから土器のかけらが普通に出てきていたと思いました。
歩道橋をわたったところに歴史と緑の散歩道の掲示が。
ここが起点となっているようです。
地図がないので、
写真に撮ったこの画像だけが頼りです。
駒岡八幡、正行寺はバス通りから行ったほうがよさそうです。
右手に歴史と緑の散歩道の道標が見えます。
石段を十数段上ったところで......
もう兜塚の入り口です。
駒岡に伝えられている兜塚伝説とは。。。。
川崎同様こちらも 鷲 になっているようです。
もしかしたら、統一したのでしょうか。
どこかに白鷺と書いてあるのを見たような気もしたのですが。
加瀬山の天照皇太神には、
太田道灌が、東北の空に縁起のよい丹頂鶴が舞ったという夢をみて、
江戸城を築城したという言い伝えも残っているそうです。
石段を上るとベンチもある広場になっていました。
中央の棕櫚の木の根元に石が見えます。
かぶと塚の石碑を後方から見たところです。
この下はバス通りです。
棕櫚の木の下の石からは、小御嶽大神 駒岡村の文字が読み取れました。
かぶと塚と浅間神社は繋がっていないようなので、
元来た石段を降りました。
かぶと塚を後にして、進んでいくとかなり急な階段がありました
浅間神社に到着です。
御祭神は木花開耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと )
駒岡下村の鎮守様。
新編武蔵風土記稿には
「浅間社、是も中村の内北にあり、背後に甲山と云ふあり、高さ十間許り、所謂を伝へず」
とあるそうです。
お社に向かって左側にもまた急な石段が続いていました。
こちらが太陽が沈む方角です。
浅間神社ですからね~、
下りの階段は、一段一段が高くて、
半分飛び降りてる感じがしました。
こちらから上らなくて良かったですね。
かなりキツイです。
参考までに詳しくはこちらから かぶと塚ふれあいの樹林散策マップ
浅間神社からもう一度歴史と緑の散歩道へ戻り、
そのあと階段を上り、ふれあいの樹林へと向かうことにしました。
太い線が歴史と緑の散歩道です。
横浜市のサイトによると、
鶴見区の北西部、駒岡町の兜塚から
獅子ケ谷市民の森にかけて、緑多い丘陵の尾根をたどる全長約4.5kmの散策ルートで、
かつての「鎌倉街道下の道(しもの みち)」ともいわれていた。とあります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます