お寿司屋さんの湯飲み茶碗に「春夏冬」と書かれていた。
言わずと知れた「あきない」と読むのだけど、全くの常用外な使い方だと思う。
日本語のこういうトンチを利かせたようなところが堪らない。
漢字って中国大陸からやってきたのだろうが、読み方が違う日本でしか「商い」と「春夏冬」を同じ扱いにはしないだろうと思う。
だが、「南足」と書いて「きたまくら」と読むのは中国人には理解してくれそうだ。
漢字はアルファベットと違って、音だけではなく意味も表している。とても便利な暗号だと思う。
決して国語や読書が得意ではなかった私ですが、40年以上も日本語を使っていると、感覚的に日本語を捉えてしまいます。
これがアルファベットでは出来なくて、漢字だからこそ出来るのだと思う。
特にインターネット記事の見出しなんかは「読む」と言うよりは「見る」に近い。
「読む」と言うのは黙読と言えども頭の中で音にしてから理解と言う処理をしています。
しかし音にしないで見たまま意味を捉える処理をすれば、とても速いスピードで頭にインプットすることが出来る。。。これは速読の基本らしい。。。ほほう。。。一部納得。
きっと漢字を読む人は自然と頭の中で行われている処理方法だと思う。
例えば
「大晦日は雨、三が日は再び冬の嵐」
と言う見出し。
読まなくても、チラッと見ただけで理解が可能。漢字はなんて便利なんだ。
でも、こんな見出しが並んだ場合はどうだろ。
「女優○○○○、結婚後初の公の場」
「モデルの△△△△、離婚していた」
僕のポンコツな処理機能は、女優○○○○、離婚していたんだぁと解釈してしまう...私の目はあてにならない…と言うか俺はどれだけセッカチなんだ。
ファミレスのメニューの左上と右下が売れ筋になるのがよく分かる。
更にヒドイのは
「小池都知事、国政は丸投げ」
「ステーキのあさくま、九段下店オープン」
丸投と九段が重なっちゃって、小池都知事が丸投げオープン…なんだそりゃ?結局じっくり読まないとならないことに。。。独りでボケて独りでクスクス笑っていたりする。
空耳ならぬ空目。と言うか、単なるおバカな勘違い。
言わずと知れた「あきない」と読むのだけど、全くの常用外な使い方だと思う。
日本語のこういうトンチを利かせたようなところが堪らない。
漢字って中国大陸からやってきたのだろうが、読み方が違う日本でしか「商い」と「春夏冬」を同じ扱いにはしないだろうと思う。
だが、「南足」と書いて「きたまくら」と読むのは中国人には理解してくれそうだ。
漢字はアルファベットと違って、音だけではなく意味も表している。とても便利な暗号だと思う。
決して国語や読書が得意ではなかった私ですが、40年以上も日本語を使っていると、感覚的に日本語を捉えてしまいます。
これがアルファベットでは出来なくて、漢字だからこそ出来るのだと思う。
特にインターネット記事の見出しなんかは「読む」と言うよりは「見る」に近い。
「読む」と言うのは黙読と言えども頭の中で音にしてから理解と言う処理をしています。
しかし音にしないで見たまま意味を捉える処理をすれば、とても速いスピードで頭にインプットすることが出来る。。。これは速読の基本らしい。。。ほほう。。。一部納得。
きっと漢字を読む人は自然と頭の中で行われている処理方法だと思う。
例えば
「大晦日は雨、三が日は再び冬の嵐」
と言う見出し。
読まなくても、チラッと見ただけで理解が可能。漢字はなんて便利なんだ。
でも、こんな見出しが並んだ場合はどうだろ。
「女優○○○○、結婚後初の公の場」
「モデルの△△△△、離婚していた」
僕のポンコツな処理機能は、女優○○○○、離婚していたんだぁと解釈してしまう...私の目はあてにならない…と言うか俺はどれだけセッカチなんだ。
ファミレスのメニューの左上と右下が売れ筋になるのがよく分かる。
更にヒドイのは
「小池都知事、国政は丸投げ」
「ステーキのあさくま、九段下店オープン」
丸投と九段が重なっちゃって、小池都知事が丸投げオープン…なんだそりゃ?結局じっくり読まないとならないことに。。。独りでボケて独りでクスクス笑っていたりする。
空耳ならぬ空目。と言うか、単なるおバカな勘違い。
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