ヨハネの黙示録 22章10~13節
<ヨハネの黙示録 22章10-13節>
また、彼は私に言った。「この書の預言の言葉を封じてはいけない。時が近づいているからである。」
不正を行なう者にはますます悪行を続けさせ、汚れた者は汚れ続け、正しい者はそのまま正しくあること、
聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。
見よ、わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。
自分の着物を洗って、いのちの木の実を与えられ、門を通って都(天国)に入れるようになる者は幸いである。
犬ども、魔術を行なう者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行なう者はみな、外に出される。
ちょっと硬い聖句かもしれませんが、預言者聖ヨハネによるあの「黙示録」からの御言葉です。
私が常々色々おせっかいに警告しているのも、過激派とか自己満などではなく、聖人たちが「これの予言を秘密にするな、封じるな・伝えよ」
と言っているからで、そして私自身も数々のスピ・オカルトを実体験してその悪影響を受け、悪霊の攻撃にも遭い・この世に存在する人間の姿をした
妖怪たち・魔界村をたくさん見てきたから言うのです。もはや使命感です、他のスピ先生のようにこのブログやスピ活動で収入を得ていません。会社勤務をしながら皆さんに危険・偽スピリチャルの警告、真実に気づく良い言葉を伝えています。
偶像を拝む者=偶像崇拝 神でない偽預言者を神と崇める事。 富=お金への執着をすること。
「不正を行う者にはますます悪行を続けさせ」とは、人々に危害を加えてる人を野放しにするのではなく、まずは自分の善の行いを実行し広めなさい。との事だと思います。
闇は明るみになります、現実にされてきています。なので悪行をする者は自ら破滅の道へと進んでいき、神の裁きにより地獄の釜に投げられるので、あなたは正しい事、人々に善をもたらす行いをしなさい、という聖ヨハネのメッセージと受け取れます。
不正・悪行をし人を苦しめ、貶めている人をもし見つけたなら、自ら裁くことはせずともそれを明るみに する事が私たちのできる最善と思います。その悪行をしかるべき人・所へ報告することなど。その害を警告すること、など。
困っている人がいたら助ける、見て見ぬふりをしない。など。
まずは、私たちができる小さい善の行いから始めましょう。
神の救いは求めた者にではなく、ふさわしい者に 救いの手はやってくる
<ヨハネの黙示録 22章10-13節>
また、彼は私に言った。「この書の預言の言葉を封じてはいけない。時が近づいているからである。」
不正を行なう者にはますます悪行を続けさせ、汚れた者は汚れ続け、正しい者はそのまま正しくあること、
聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。
見よ、わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。
自分の着物を洗って、いのちの木の実を与えられ、門を通って都(天国)に入れるようになる者は幸いである。
犬ども、魔術を行なう者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行なう者はみな、外に出される。
ちょっと硬い聖句かもしれませんが、預言者聖ヨハネによるあの「黙示録」からの御言葉です。
私が常々色々おせっかいに警告しているのも、過激派とか自己満などではなく、聖人たちが「これの予言を秘密にするな、封じるな・伝えよ」
と言っているからで、そして私自身も数々のスピ・オカルトを実体験してその悪影響を受け、悪霊の攻撃にも遭い・この世に存在する人間の姿をした
妖怪たち・魔界村をたくさん見てきたから言うのです。もはや使命感です、他のスピ先生のようにこのブログやスピ活動で収入を得ていません。会社勤務をしながら皆さんに危険・偽スピリチャルの警告、真実に気づく良い言葉を伝えています。
偶像を拝む者=偶像崇拝 神でない偽預言者を神と崇める事。 富=お金への執着をすること。
「不正を行う者にはますます悪行を続けさせ」とは、人々に危害を加えてる人を野放しにするのではなく、まずは自分の善の行いを実行し広めなさい。との事だと思います。
闇は明るみになります、現実にされてきています。なので悪行をする者は自ら破滅の道へと進んでいき、神の裁きにより地獄の釜に投げられるので、あなたは正しい事、人々に善をもたらす行いをしなさい、という聖ヨハネのメッセージと受け取れます。
不正・悪行をし人を苦しめ、貶めている人をもし見つけたなら、自ら裁くことはせずともそれを明るみに する事が私たちのできる最善と思います。その悪行をしかるべき人・所へ報告することなど。その害を警告すること、など。
困っている人がいたら助ける、見て見ぬふりをしない。など。
まずは、私たちができる小さい善の行いから始めましょう。
神の救いは求めた者にではなく、ふさわしい者に 救いの手はやってくる