映画『ブルージャスミン』をdvdで見まして、これはいわゆる躁病の人の話をウッディ・アレンがコミカルに描いたアメリカンあるある!ストーリーでした。
主人公ジャスミンは、美貌と頭脳明晰を持ちながらも悪仕事で金儲けしてる魅力的な男と大学卒業前に若くして結婚し浮気されながらも、
周りの目や自分のプライドで、築いた贅沢な暮らしにしがみつき、夫から離れられずいるが遂に、夫に捨てられそうになり逆上し夫の悪仕事を通報してしまう。(*この夫はモラハラの典型的な例です、詳しくは別で説明します)
そして夫は刑務所で自殺し自分も一文無しの借金塗れになる。
しかし彼女は一文無しになっても自分の現状を認めることができず自分を良く=金持ちで優雅なように演じ続け、借金しながらも高級品をまとい
実際には家無しになったので妹夫婦の家に居候させてもらうことに。
だが、その移動の飛行機までもファーストクラスに乗り、高級バックで行く⇒妹、唖然
そして妹の家にての生活をしていくが、もう既にその時点で上記の奇行があり頭がおかしくなっている状態ではあり更に彼女の奇行は悪化していく・・ 独り言が激しくなり、昔の幸せだった時の話を道端で一人で話していたり、知らない人に一方的に話したりするようになる。
躁病の症状(ウツとは逆で、外に向かおうとする心・誰かと頻りに接したがる症状)ですね。
結局この主人公は現実を受け入れないまま自分を偽り続け、新たにできた恋人にも自分はインテリアデザイナーだという嘘や夫についての嘘もバレ、新たな出発も崩壊します。
そして最後は自分を全く見失い独り言を言いながら雨の中に一人、妹にも愛想を尽かされる。。
・・・完全に精神が崩壊する
<この話をまとめると、、>
①自分をよく見せようと偽り続け → 自分で自分が何なのか?誰なのか?完全にわからなくなり混乱し、
➁遂には自分を偽る程の思考も出来なくなり、自分を完全に見失い、路頭に迷い、精神が崩壊する
そして現実を見ない為にしていた行為が俗でいう依存症の行為であり飲酒だったが、一般には他にドラック、Sex依存、買い物依存=借金してまで、誰かへの依存(お金を使い貢ぐ)などがあるでしょう。
ここで言えるのは、タイトルに揚げたように自分を駄目だと言える強さがなかったということです。これだけめちゃくちゃな実生活なのに・・
夫の悪仕事 →そのお金での贅沢生活、
浮気をされて裏切られてるのに→ 気にしてないふりして離れない自分
夫に捨てられ裏切られ悔しい為に→夫を通報
散々自分も悪仕事に荷担し甘い汁を吸った共犯だったのに、夫だけを悪者にする
夫は刑務所行きになり、自殺 →自分も収入源が無く、財産を失う
もしこれのどこかの段階で何か間違っていると立ち止まって考え、夫から離れる事ができたなら → 自分をごまかす必要もなく、
自分の悪事を隠すための負のスパイラルには陥らなかったでしょう。
もしこのどこかの段階で立ち止まって断ち切ることができたなら・・
夫の仕事が悪事だっと知り、それに落ち込む→ なんで私はそんな男を好きになってしまったんだろう。。
と、仮に落ち込んで鬱になったとしても その後の災難はやって来ず早い段階で人生をやり直すことができたでしょう
そうです、落ち込む事=鬱になることは弱い・恥じる事ではないのです。
むしろ、私大丈夫大丈夫、何でもない!と言い続ける方が弱いのです。
キリストの教えではこれを、「悔い改め」といいます。 誰でも間違った判断・行動はするものです。
しかしその自分の誤ちを潔く認め、自分は間違っていた・悪かった、と自分が罪を犯した事を(ここで言えば夫への共犯、嘘・偽り)
悔い改めることで、神の赦しを得る事ができます。
そして、間違えをした=道を失った 自分から解放され、新たな道を見つける事ができるでしょう
<聖書/ヨハネの手紙1-1:8~>
もし自分に罪がないと言うなら自らを欺いており真理は私たちの内にありません。自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦しあらゆる不義から私たちを清めてくださいます。」
だから自分の弱さ=罪を認め、その間違えをしてしまった自分をまず認めれる→自覚することはとても大切なのです。
まず間違えた事に気づかないと、悔い改めることもできず、神の赦しも清めも受けることはできません
映画 ブルージャスミン ←参考
前記事: 弱った女心にすり寄る男<元ストリッパーの証言 ←動画参照
祈り:天におられる私たちの父よ、私たちの罪をお赦しください、私たちをどうか誘惑に陥らせず、悪からお救いください。アーメン
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主人公ジャスミンは、美貌と頭脳明晰を持ちながらも悪仕事で金儲けしてる魅力的な男と大学卒業前に若くして結婚し浮気されながらも、
周りの目や自分のプライドで、築いた贅沢な暮らしにしがみつき、夫から離れられずいるが遂に、夫に捨てられそうになり逆上し夫の悪仕事を通報してしまう。(*この夫はモラハラの典型的な例です、詳しくは別で説明します)
そして夫は刑務所で自殺し自分も一文無しの借金塗れになる。
しかし彼女は一文無しになっても自分の現状を認めることができず自分を良く=金持ちで優雅なように演じ続け、借金しながらも高級品をまとい
実際には家無しになったので妹夫婦の家に居候させてもらうことに。
だが、その移動の飛行機までもファーストクラスに乗り、高級バックで行く⇒妹、唖然
そして妹の家にての生活をしていくが、もう既にその時点で上記の奇行があり頭がおかしくなっている状態ではあり更に彼女の奇行は悪化していく・・ 独り言が激しくなり、昔の幸せだった時の話を道端で一人で話していたり、知らない人に一方的に話したりするようになる。
躁病の症状(ウツとは逆で、外に向かおうとする心・誰かと頻りに接したがる症状)ですね。
結局この主人公は現実を受け入れないまま自分を偽り続け、新たにできた恋人にも自分はインテリアデザイナーだという嘘や夫についての嘘もバレ、新たな出発も崩壊します。
そして最後は自分を全く見失い独り言を言いながら雨の中に一人、妹にも愛想を尽かされる。。
・・・完全に精神が崩壊する
<この話をまとめると、、>
①自分をよく見せようと偽り続け → 自分で自分が何なのか?誰なのか?完全にわからなくなり混乱し、
➁遂には自分を偽る程の思考も出来なくなり、自分を完全に見失い、路頭に迷い、精神が崩壊する
そして現実を見ない為にしていた行為が俗でいう依存症の行為であり飲酒だったが、一般には他にドラック、Sex依存、買い物依存=借金してまで、誰かへの依存(お金を使い貢ぐ)などがあるでしょう。
ここで言えるのは、タイトルに揚げたように自分を駄目だと言える強さがなかったということです。これだけめちゃくちゃな実生活なのに・・
夫の悪仕事 →そのお金での贅沢生活、
浮気をされて裏切られてるのに→ 気にしてないふりして離れない自分
夫に捨てられ裏切られ悔しい為に→夫を通報
散々自分も悪仕事に荷担し甘い汁を吸った共犯だったのに、夫だけを悪者にする
夫は刑務所行きになり、自殺 →自分も収入源が無く、財産を失う
もしこれのどこかの段階で何か間違っていると立ち止まって考え、夫から離れる事ができたなら → 自分をごまかす必要もなく、
自分の悪事を隠すための負のスパイラルには陥らなかったでしょう。
もしこのどこかの段階で立ち止まって断ち切ることができたなら・・
夫の仕事が悪事だっと知り、それに落ち込む→ なんで私はそんな男を好きになってしまったんだろう。。
と、仮に落ち込んで鬱になったとしても その後の災難はやって来ず早い段階で人生をやり直すことができたでしょう
そうです、落ち込む事=鬱になることは弱い・恥じる事ではないのです。
むしろ、私大丈夫大丈夫、何でもない!と言い続ける方が弱いのです。
キリストの教えではこれを、「悔い改め」といいます。 誰でも間違った判断・行動はするものです。
しかしその自分の誤ちを潔く認め、自分は間違っていた・悪かった、と自分が罪を犯した事を(ここで言えば夫への共犯、嘘・偽り)
悔い改めることで、神の赦しを得る事ができます。
そして、間違えをした=道を失った 自分から解放され、新たな道を見つける事ができるでしょう
<聖書/ヨハネの手紙1-1:8~>
もし自分に罪がないと言うなら自らを欺いており真理は私たちの内にありません。自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦しあらゆる不義から私たちを清めてくださいます。」
だから自分の弱さ=罪を認め、その間違えをしてしまった自分をまず認めれる→自覚することはとても大切なのです。
まず間違えた事に気づかないと、悔い改めることもできず、神の赦しも清めも受けることはできません
映画 ブルージャスミン ←参考
前記事: 弱った女心にすり寄る男<元ストリッパーの証言 ←動画参照
祈り:天におられる私たちの父よ、私たちの罪をお赦しください、私たちをどうか誘惑に陥らせず、悪からお救いください。アーメン
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