スピリチュアリティの探求 ~心と意識の向かうところ~聖霊の導きで真実の気づきを

現代のスピリチャルブームについての真実と危険性・霊的な影響の解放をクリスチャンの視点から伝えます、神の祝福がありますよう

人を許すとは・憎悪を赦しに変える(フィリピン・キリノ元大統領より)

2016-08-23 | 意識の向かうところ
#3 「憎悪を赦しに変える方程式」新名忠臣

 前回、許すというテーマについて別の記事を書きました「許すことの他の解釈/罪を許された女」
 許せない=恨む=憎む= 責める-----> 罪に問うという例を出しました。
 聖書の勉強会でも「許す」ことについては度々議題に出てきますが、これはシスターでさえも難しいとされる本当に人類最大のテーマなのではないかと思います。

 この動画にてサンライズミニストリーにてとても良い事例を挙げ、新名さんがご説明されていたのでぜひご覧になってください。最初は少し前置きが長いので後半51分くらいから見られるとよいです。
 皆さんは、何に対して「許せない」と感じているでしょうか?
 ●裏切られたこと?
 ●バカにされた、侮辱されたこと?
 ●認められなかったこと?
 ●傷つけらたこと、愛する人を殺されたこと?
 
 この動画にて事例を出しているのは第二次世界大戦時にて日本がフィリピン・マニラにて多大の犠牲者を出した事件です。 Wikiよりマニラの戦い

 終戦を迎えたがまだ多くの日本兵がフィリピンへ残留していました、そして反日感情が残る中元大統領であったキリノ大統領が恩赦で残留兵を日本へ返した話です。
 ここでの焦点は、キリノ元大統領は妻、子供を日本兵に殺されているということです。
 しかし、キリノ元大統領はこう心境を伝えました、
「私は今まで日本人戦犯の恩赦の請願を受け入れることはできなかった、なぜなら自分の妻・子供を殺されたからです。しかしもし私がこの個人的な恨みを持ち続けるのならば、私の子供たちも次々と永遠に持ち続けることになるでしょう。将来フィリピンと隣り合わせにある日本との関係はあらゆる点において親しく助け合って、共存共栄の実をあげなければなりません。
 そのためには、私恨(個人的な恨み)を消し去らねばならぬと
決心したのです」
 Janeはこの御言葉に心を打たれ言葉を失くしました、今ではこの惨劇を知らないほど、フィリピンは親日国ですね。

 <聖書 ローマ人への手紙12章17->
 誰に対してでも、悪に悪を報いることをせずすべての人が良いと思うことを図りなさい
 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたし(神)のすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
 
 私たちは自分が許すから、赦されるのではない。私たちが許すように赦される、のである。
 わかりますか?自分が許したから偉い、のではなく、あなたが人を許すことを神に赦されるのです。そうでなければ、自分の愛する家族を無抵抗に殺されどう相手を許すことなど自分だけの力でできましょうか?
 許す/赦す 力をくださいと神に委ねなければ、自分の力だけ赦すことなどできません。(できなくていいのです、弱い自分を認めましょう)
 もしできたとしたら、それは「傲慢」になります。
「俺は・私はこんなことをされても、相手を許したどお~!どおやスゴイやろ
 自分の偉業と人にどやる=豪語・自慢することでしょう。←こういう人よく巷にいませんか?


 祈りの言葉~ 主よ憐れみたまえ、どうか私に許す/赦す力をお与えください。私達の罪をお赦しください、私たちも人を許します。あなたが真実に気づき平穏が訪れますように。
 アーメン
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