最近のニュースで福島原発事故により非難をしている人々の中で学生の子供が学校で原発避難を理由にいじめにあっているというものを見ました。
まずこのいじめを受けている学生さん、避難生活を他の地域でしている方々の心の苦しみが癒されるよう私Janeと教会の兄弟姉妹よりお祈りします。ミサの共同祈願でも避難生活で苦しんでる方達に向けて皆でお祈りをしております。
なので、もし原発避難理由でいじめに合っていても「自分一人が苦しい思いを」と思わず、不当な扱いをされていることを気にかけている私達クリスチャンがいることを思い出し自分を責めずに気を強くお持ちください
災害により無抵抗に被害にあった弱い立場の人を哀れみも思いやりもせず、その立場を責める人の真意は理解できませんがこの言葉をどうか心に留めてください。↓↓
使徒パウロの ローマ人への手紙より(ローマ12章、14節~)
あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、呪ってはならない。誰に対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。
愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。(旧約聖書に)悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。
他人から理不尽な攻撃を受けても、それをされた自分の怒りと共に相手にやり返してはいけないのです。なぜなら、意地悪をされた事に[怒りを覚えること]で自分が怒りに飲まれ結局はそれを行った憎い相手と同じ種類の人間になってしまいます。
それゆえに→ 悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。
自分の中の怒り=悪と戦うのです 醜い精神の相手の思想に同調してその怒り・憎しみという世界への戦いの招待状を受けはいけません×
それは私が以前からしつこく言っているこの世にいる砂単(サタン)の罠で、いかに人間を負の世界へ引き込むかという「悪の世界への誘い」なのです。
人間誰でも、理不尽な侮辱や意地悪を他人から受ければ(相手が家族であっても)それを自分にした相手を憎み、反撃したい感情が生まれるでしょう。人間である限り当たり前の感情です。しかし冷静になり考えるべき点は、相手が罵った自分に対するその侮辱の言葉は本当でしょうか?例えば・・
お前は原発避難で国のお金を使っている→ 災害被災者であることは本当であり、その支援を公的機関から受けている事も本当だがそれがその相手にどう、具体的に何を迷惑かけているでしょうか?その状況で支援を受けるのは何も違反行為ではありません。
お前は汚い、ブサイク?など外見的な侮辱→ 確かに相手に不快を与える何か臭いや見た目のだらしなさを発していれば、それは自分が改善する必要があるかもしれません。しかし原発を原因に汚いような事を言われるのならば、それは言っているその人が思いやりなど知らず卑劣すぎる精神の人で
→そんな人間である事自体が人間としてヤバい=汚い以上に心が汚染された人間なので、その侮辱を発する人間の怒りに同調せず、憎しみ世界への招待状を受け取らず、自分が汚いなど思わないこと=あなたは決して汚れなどいません。を心を強く持ち自分で復讐しない事を心にとめてください。(By聖パウロ) 安心してください、あなたが受けたその理不尽な攻撃は、神がその怒りに満ちた人間へ復讐します。なので、あなたはその汚い精神の相手に同調するくだらない時間を作らず、自分を向上させる学びなどに時間と精神を使いましょう。
大体、一方的に誰かを理不尽に意地悪や悪口をする人というのは、その人自身が不幸で不満があります。なのでその自分の中の怒りを誰か他人を捌け口としてぶつけてストレスを解消するというもはやテロ行為なのです。相手は誰でも構いません、次々変わっていくことでしょう。Janeの会社にもいつも人の悪口を言っている可哀想なおばさんがいます。(旦那と上手くいってないらしい、捨てられるんじゃ?自分も薄毛だし。)そうなんです、意地悪をしている人自体が実は「不幸で満たされなく可哀想~」な人なのです だから心の中でその人を哀れんであげればいいのです。
前回の記事でも書きました、愛の反対は恐れ。
いじめ・他者への攻撃とは、「愛」→相手を思いやり喜びを与える行為とはもちろん反した逆の心・行為なので、その行為は「恐れ」を元に発せられる破壊の行為です。
誰かが愛情のない行動を取ったとしてもまたその行動がいかにマイナスなものであっても、その行動は恐怖心から生まれたものでありしたがって実際には存在しないという意味です。それは幻覚にすぎません。従ってあなたはそれを許すしかありません。許しとは、実在するものと実在しないものを識別することです。(奇跡のコース/マリアン・ウィリアムソンより 前回の記事参照 愛の反対は恐れ・あなたの内なる時間軸を)
もし仮に、自分がされた理不尽な意地悪に対して、相手の憎しみの招待状を受け取り自分の怒りの感情に任せて相手へ復讐をしてしまったとしたら・・ それは怒りに満ちた自分への、自己嫌悪と相手との憎しみ世界の同調をしてしまった自分の弱さを責めるようになり、自分自身に敗北した気分を感じる結果になるでしょう。
そうして本当に許せないのは自分に意地悪をした相手ではなく、その怒り・憎しみの世界へ踏み入れてしまった自分自身を責めるようになるのです。その怒りの醜い仕返しの行為をした自分に自信が持てなくなりそんな自分が許せなくなることになります。(Janeは実際この経験があります、意地悪をやり返した醜い自分を後に恥じることになる)
だから、復讐は自分でしてはいけない、神に任せるのです。
神の恵みがいつもあなたと共に。
祈りの言葉~ 主よ憐れみたまえ、私たちを誘惑に陥らせず、悪からお救いください。私達が人を自分を許すことをお赦しください。あなたが真実に気づき平穏が訪れますように。 アーメン
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まずこのいじめを受けている学生さん、避難生活を他の地域でしている方々の心の苦しみが癒されるよう私Janeと教会の兄弟姉妹よりお祈りします。ミサの共同祈願でも避難生活で苦しんでる方達に向けて皆でお祈りをしております。
なので、もし原発避難理由でいじめに合っていても「自分一人が苦しい思いを」と思わず、不当な扱いをされていることを気にかけている私達クリスチャンがいることを思い出し自分を責めずに気を強くお持ちください
災害により無抵抗に被害にあった弱い立場の人を哀れみも思いやりもせず、その立場を責める人の真意は理解できませんがこの言葉をどうか心に留めてください。↓↓
使徒パウロの ローマ人への手紙より(ローマ12章、14節~)
あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、呪ってはならない。誰に対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。
愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。(旧約聖書に)悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。
他人から理不尽な攻撃を受けても、それをされた自分の怒りと共に相手にやり返してはいけないのです。なぜなら、意地悪をされた事に[怒りを覚えること]で自分が怒りに飲まれ結局はそれを行った憎い相手と同じ種類の人間になってしまいます。
それゆえに→ 悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。
自分の中の怒り=悪と戦うのです 醜い精神の相手の思想に同調してその怒り・憎しみという世界への戦いの招待状を受けはいけません×
それは私が以前からしつこく言っているこの世にいる砂単(サタン)の罠で、いかに人間を負の世界へ引き込むかという「悪の世界への誘い」なのです。
人間誰でも、理不尽な侮辱や意地悪を他人から受ければ(相手が家族であっても)それを自分にした相手を憎み、反撃したい感情が生まれるでしょう。人間である限り当たり前の感情です。しかし冷静になり考えるべき点は、相手が罵った自分に対するその侮辱の言葉は本当でしょうか?例えば・・
お前は原発避難で国のお金を使っている→ 災害被災者であることは本当であり、その支援を公的機関から受けている事も本当だがそれがその相手にどう、具体的に何を迷惑かけているでしょうか?その状況で支援を受けるのは何も違反行為ではありません。
お前は汚い、ブサイク?など外見的な侮辱→ 確かに相手に不快を与える何か臭いや見た目のだらしなさを発していれば、それは自分が改善する必要があるかもしれません。しかし原発を原因に汚いような事を言われるのならば、それは言っているその人が思いやりなど知らず卑劣すぎる精神の人で
→そんな人間である事自体が人間としてヤバい=汚い以上に心が汚染された人間なので、その侮辱を発する人間の怒りに同調せず、憎しみ世界への招待状を受け取らず、自分が汚いなど思わないこと=あなたは決して汚れなどいません。を心を強く持ち自分で復讐しない事を心にとめてください。(By聖パウロ) 安心してください、あなたが受けたその理不尽な攻撃は、神がその怒りに満ちた人間へ復讐します。なので、あなたはその汚い精神の相手に同調するくだらない時間を作らず、自分を向上させる学びなどに時間と精神を使いましょう。
大体、一方的に誰かを理不尽に意地悪や悪口をする人というのは、その人自身が不幸で不満があります。なのでその自分の中の怒りを誰か他人を捌け口としてぶつけてストレスを解消するというもはやテロ行為なのです。相手は誰でも構いません、次々変わっていくことでしょう。Janeの会社にもいつも人の悪口を言っている可哀想なおばさんがいます。(旦那と上手くいってないらしい、捨てられるんじゃ?自分も薄毛だし。)そうなんです、意地悪をしている人自体が実は「不幸で満たされなく可哀想~」な人なのです だから心の中でその人を哀れんであげればいいのです。
前回の記事でも書きました、愛の反対は恐れ。
いじめ・他者への攻撃とは、「愛」→相手を思いやり喜びを与える行為とはもちろん反した逆の心・行為なので、その行為は「恐れ」を元に発せられる破壊の行為です。
誰かが愛情のない行動を取ったとしてもまたその行動がいかにマイナスなものであっても、その行動は恐怖心から生まれたものでありしたがって実際には存在しないという意味です。それは幻覚にすぎません。従ってあなたはそれを許すしかありません。許しとは、実在するものと実在しないものを識別することです。(奇跡のコース/マリアン・ウィリアムソンより 前回の記事参照 愛の反対は恐れ・あなたの内なる時間軸を)
もし仮に、自分がされた理不尽な意地悪に対して、相手の憎しみの招待状を受け取り自分の怒りの感情に任せて相手へ復讐をしてしまったとしたら・・ それは怒りに満ちた自分への、自己嫌悪と相手との憎しみ世界の同調をしてしまった自分の弱さを責めるようになり、自分自身に敗北した気分を感じる結果になるでしょう。
そうして本当に許せないのは自分に意地悪をした相手ではなく、その怒り・憎しみの世界へ踏み入れてしまった自分自身を責めるようになるのです。その怒りの醜い仕返しの行為をした自分に自信が持てなくなりそんな自分が許せなくなることになります。(Janeは実際この経験があります、意地悪をやり返した醜い自分を後に恥じることになる)
だから、復讐は自分でしてはいけない、神に任せるのです。
神の恵みがいつもあなたと共に。
祈りの言葉~ 主よ憐れみたまえ、私たちを誘惑に陥らせず、悪からお救いください。私達が人を自分を許すことをお赦しください。あなたが真実に気づき平穏が訪れますように。 アーメン
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