タミは中国式に民と書くべきではない。民という漢字は奴隷の目を突き刺して盲目にしてしたがわせるところからきている。
日本の「タミ」は「対身」、君主は「輝身」 つまり君主が輝く存在とすれば、その対象つまり照らし出される対象としての存在こそがタミであり、それこそが神の目的なのだ。
神は君を輝かせる電気に相当する。
カミとキミとタミにはそれぞれの役割がある。
タミはキミを想い、キミを通してカミを感じることで自分の立ち位置を理解する。
しかし、幾多の邪教と迷信が真宗教を埋没させ、人々は信仰そのものを否定しはじめ、唯一自分をカミとして生きはじめた。
これが民主主義の正体である。多数決によって「国民」という偶像を生み出し、それをあがめている。
選挙によって、国民の意思が反映されるというのは、一種の思い込みに過ぎない。つまりそう思い込ませれば、自分の意思が反映しているように見せて、結局のところ多数者が政治を動かす。
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