神は光のようなものであり、どう言っていいかわからない。
ただその存在をかたどったものが鏡である。
天照大神と素戔嗚尊は天の誓約をされた。
素戔嗚尊は白頭山に降臨し、その一族は四方に広がった。
一族の聖なる廟は 太霊(フトヒ)と呼ばれ
宮廷は 高天宮(コマヤ)
国を皇国(シウク*スク)
一族の名称を皇族(スカラ)
その民は宝(タカラ)と呼ばれた。
ウスホツのヤマト記に曰く、
ヤマトの国がいまだかつて滅亡しない理由は、深く上古の歴史や伝承を研究し、先代についてはっきりした知見をもち、神理をつまびらかにし、歴史を正確にしているためである。
素戔嗚の一族はヤオロチの一族を鴨緑江によって懲らしめ、一族を降伏させ、月支国に聖宮(ヒシヤ)を構えて統治した。
新羅国はこのヤオロチの末。
周の文王と武王は異民族である羌族を率いて出陣し、賄賂や色仕掛けで殷の内部かく乱した後、武器をもって攻撃し家臣の身分でありながら主君を殺し、食人の刑を行った。
伯族は周に抵抗したが成功せず、和族は周に遠征したが勝てず、陽族は国境付近で果敢に戦ったが、易族の裏切りで敗れた。サカイン族が決戦を挑んだが、姜族が殷都内で火を放ったために、紂王は火中で死して殷の祭祀がここで途絶えた。
ワニ族は海上に逃れ、ハンヤ族は北に退き、宛族は南に退いた。朱申族の王は賄賂に毒されて兵を出さなかった。
結果 皇家はことごとく衰えた。
武伯と智淮だけが最後にとどまった。特に智淮は、周の捕虜となっていた紂王の叔父(祭祀に造詣の深かった箕子)を奪取して 遼口河口、カレキというところに城を築いてかくまい、皇殷と称した。
周の武王はこの地を自国に組み入れようとしたが、箕子はこれを退けた。その後韓と燕に襲われ、箕子はやむを得ず遼西の閭山に移動した。
武伯族に日本からの援軍が合流した、それにより裏切り者を倒し、敵軍を撃破し、周に打ち勝つことができた。
箕子には子がなかったために 皇族の皇子を継承者にむかえた。その後300年は平穏に収まった。
ある時衛瞞という将軍が助けを求めてやってきた。当時の箕子から始まった朝鮮王は彼を快く迎えいれ、信頼して防衛線の一部をまかせた。ところが彼は敵と図って朝鮮を裏切り、国をのっとった。これを衛瞞朝鮮という。
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