出口王仁三郎が農村座談会で日本の天皇は独裁でいいと言ったということは大変わかりやすい答えだった。
皇道大本の答えはこれに集約されている。
日本人や欧米人の大半は独裁政治をヒトラーやムソリーニのファシズムを連想させるものとして忌み嫌う。
ところが問題は独裁という体制にあるのではない。
誰がどのように独裁を行うかということに焦点を当てられていない。
古代の天皇制はシャーマニズム、つまりは神に方向性を伺う事によって政治を決めてきた。
その方法が存在した。
ところがシャーマニズムが異常心理ととらえらえる今日にあっては、機構のみをもってなんとかまとまりを付けていかなければならない。
そこで民主主義を発明し、憲法を発明した。
今の社会では神は否定されているから王権神授ける説はばかばかしく思われるだろう。
皇権は神授である。
皇道を理解するにはいったん信じてみなければ理解ができない。
我が国の皇道は世界最大最古のシャーマニズムである。
信託によって政治を決め、祭と政治と思想教育を一致させるもので、天皇を中心とした実在のシステムである。
経済と軍事は神に権威を与えられてこそ正当化される。
明治は王政復古まではいったが神政復古に失敗した。
実体は形式的な祭祀と人為的な国学で神僞官を固めたせいで、当時しかるべき人材がいなかったというほかない。
王仁三郎が現れた時には明治政府は祭政を分離していた。
神政復古の開始時期は、神の側が天皇に意思を伝えなければ始まらない。
今時それが行われているとみるべきかどうか。
先ほどの立憲君主説にしても、昭和天皇が天皇機関説に反対しなかった立場は出口王仁三郎の意見とは異なる。
しかし天皇陛下の大御心には時代が反映し、そうでなければその時代は治まらなかったのかもしれない。
二つの考え方がある。
1、天皇陛下は家臣の影響を受けて立憲君主に固執したがために英断できずに軍部が台頭した。
2、天皇陛下は時代の心を映し出され、国民に歩調を合わせ立憲君主すべく運命づけられた。つまりが陛下が立憲君主に固執するようになったのも、その時その時点ではやむを得なかった。
出口王仁三郎のいうことは理想ではある。だがそれは上下がそろったときの話で、下々が反抗すれば天皇とていかんともしがたい自体は起こりうるであろう。
あの時代あの時点で天皇陛下が立憲君主としてふるまわざるを得なかったのは、やむを得なかったことではなかったろうか。
そして終戦時に終戦を決めた立場は立憲君主には限界があり、議会が紛糾して結論が出ない場合、君主が超法規的に物事をきめることがありうることを示してはいないだろうか。
独裁というと聞こえは悪いが、日本の天皇陛下がなさる独裁は議会を無視し、憲法をなくした独裁ではない。国民の意思を尊重し、皇室の先祖の意思を尊重し、大臣や議会の意見を尊重し、強調しながら歩む独裁ではないか。
出口王仁三郎は議会や大臣、国民が皇室をリスペクトし、天皇陛下の御意志を利用するということではなく、純粋に従うようになった時に天立君主立憲が実現し、日本は政治形態をヨーロッパの模倣ではなく、日本独自のものとして完成させることを言っているのではないか。
今の日本はヤマタノオロチに飲み込まれた草薙の剱である。オロチの尻尾に引っ付いている。これを引っ張りだすのは、日本以外の存在かもしれない。
崇神天皇は三種の神器を分離して奉るようにした。このことから日本の威力は落ちたといわれている。日本に世界中のものが流れ込むようになったとも言われている。
三種の神器というのは鏡、玉、剱であるが、言霊、陛下、国土であるという。
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