豊葦原 トヨアシハラ →アジアになまったというのが伝承である。
つまりアジアはスサノオの職掌であったという。このころ国家と形式はなかったという。だから、アジアが日本だったか中国だったかという議論は不毛で、土地はすべて神のものであった。
日本には神政復古を予言する声がある。神代の形式が今一度復活するというのだ。
神話の世界は何を意味するのか。現代人は基本的に否定する。
筆者も見たことはなく、信仰による。
信仰者にとって形而上の世界を心理学的に説明するのは一種の冒涜となる。しかしながら神話世界のたくさんある解釈の一つとすれば相互の理解も得られよう。
プラトンは形而上の世界が投影されて現実の世界があるという。このモチーフは日本にもあり、神々の世界が形をとって現われたのでうつし世という。プラトンはおそらく古代の宗教の片鱗をエジプトで聞き知ったのであろう。
本邦といい、任那といい、支那というは、太古の経綸の一部を表している。
つまり、日本列島が奔放であり中国はchainaつまり支那、枝国である。これは日本にまだ権威があり威光があった時代の名残である。
漢訳仏典から入ったというのは興味深い。
密教は釈迦の説ではなく、太古のアジア宗教を仏教的に構成しなおしたものである。そして太古のアジアの宗教は日本を発祥の地にしていたがゆえに空海は中国にわたって衣鉢を受け継いだのである。
つまり密教は古い神道を仏教的に焼き直したものである。
空海が密教において優れた知見をもっていたのは、空海自身の才能によるところも大きいが、空海は唐に渡る前に四国で相当な学識を積んでいたことが察せられる。
ではなぜ四国でそれほどの学識を積むことができたのか。
空海は讃岐で生まれた。讃岐にあるのはうどんだけではない。
讃岐忌部の一族がいた。実はこの一族はもともと皇室祭祀の重要な部分を司って伝承していたがいつのまにか宮廷内の勢力争いでその権力を失って讃岐で祭祀を行っていた一族なのだ。
忌部広成の古語拾遺はそれを補完するための書物であり、空海の八十八か所めぐりはその古道を潜在意識に植え付けるための一種の修業システムだったという。(まあそれが身につくかどうかは別として。)
密教の精髄が本来日本の神道密儀から出たものであるがゆえに、空海と唐の恵果和尚が出会ってすぐに灌頂ができたということだ。
密教と古神道と関連については出口王仁三郎も指摘している。
また法華経も同様太古の高天原教が伝承したものといわれ我が国でも田中智学がそれを解明し石原莞爾が傾倒した。
ただし聖徳太子が手にした当時の法華経には提婆達多品という一部が欠けていたという話がある。
ダイバダッタは釈迦のいとこでありながら、釈迦に反対して苦行をすすめ、教団を分裂させようとした、釈迦を殺そうとまでした。ところが法華経では、このダイバダッタが前世で釈迦の師匠だったという話がでている。
そもそも前世の話がでること自体、生まれ変わりの話を拒否した釈迦らしくないので、これは後世の人間が、釈迦に仮託して作った創作と考えられる。
しかしながら、そこには障害が真理を光らせるという思想が読み取れる。
バハイでも、血のつながった後継者が裏切り、大本でも、身内から第三次大本事件が起こった。
光には大きな陰がさし、悪魔がてをのばす。イエスの時も直弟子から裏切りがでた。
この光と陰の原理が世界をときあかす秘密なのかまもしれない。
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