歴史と地理と修身。GHQが禁じたものは日本の国体の根幹をなすものだった。歴史を換骨奪胎することで日本を変えてしまった。
ゆえに学習は本当の歴史と修身、国語の教材として取り入れてから出発すべき。地理は歴史の中で覚えるように組み込むとよい。別々に学べば無用の負担を児童に負わせつことになる。一冊の書物にできるだけの知識を集約してそれを最初に記憶させて述べ広げるようにすれば、思考に余裕ができる。
知識の詰め込みではいかぬと言う議論が何年かに一度もりあがる。だが知識がなくてはいかんともしがたい場面がある。問題はその知識のが何かと言うことである。試験を難しくして合格者数をコントロールするために奇問難問を出すようになり、受かるためにそれを学ばざるをえなくなる。
知識は子供の中で科学反応を起こす。
いかなる知識を与えるかは重要であるが、複数の思想を持ったものが与えるので混乱する人格が成立する。
書物でもそうで、一人の人間が書いたものであれば思想的一貫性がみられるが、複数の著者がいじくり回して推敲した教科書のような産物はみるに耐えないしろものとなる。
これが学生が学問から離れるゆえんでもある
神武天皇が実在しなかったという説が当たり前になっているようだが、これなど歴史学者の妄想。神武というのは号で、今も神武期にあたる。
実証されなければ歴史がないとするから、古事記や日本書記という文献があってもそれを参考にできないでいる。
神武以前の歴史は興味深い。国家という形式が出来上がったのは神武以降ということ。
それ以前には富士に高天原があったとのこと。
富士から日向の高千穂に移ったのは外交に備えるためとのことであったが、このために和歌山のあたりで反乱がおき、日本全国が支配されそうになった。ナガスネヒコが新羅とつるんでの戦争とのこと。
太古人はエジプトのピラミッドを作るような最先端の物理学知識を持っていた。当然ながら、大災害があっても人類が再生する知識ももっていたはずである。それが古事記のような太古の伝承である。
彼らも歴史書をもっていた。
彼らは歴史書を特異な言語学とともに編纂した。
神話の形態をとりながら、歴史と事実と予言とを織り交ぜた。
ピラミッドには円周率や黄金比が随所にちりばめられており、かつての歴史や天災の予言まで含まれているという。
同様に太古の伝承古事記には太古の出来事とともにに太古人が解明した真実が隠されており、また将来のことも含まれているという。
故にこれらの一部が公家たちの和歌に読み込まれ、伝授として伝わっていると考えられる。
千早ぶる神代も聞かず竜田川からくれないにみずくくるとは
太古の昔にも聞かなかったことだ、唐韓の勢力がヤマトの勢力を締め付けるとは。
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