本屋さんに行けば、欲しい本がすぐに見つかり買う衝動に駆られる。
けれど、今日はさささっと箇所箇所読んで閉じ、その場所に戻す。
・・・・
今も数冊の本を読んでは閉じ、そして別の本を手に取り読みだす。
その時間が10分程度、電車の中だったりする。
今朝は新聞の切り抜きを持って出かけて読んだりした。
新聞はリアルタイムのニュースよりも、コラムを読むのがいいと思っていて
なぜなら、
誰かの考えと自分の考えとを照らし、そして熟考する機会を得られると思うから。
いつまでたっても本の巻末まで行けない
それでも、その一行一行にぎっしりと詰まった実があれば
もう十分読書の意義はあるというもの。
今日は、そんな中、岸恵子さんの書いた記事を見つけ
読み返したのだ。

もう80歳は超えているであろう
いつでも自分の言葉で語るキリリとした姿勢にいつも
興味津津、まぶしく憧れてしまう。
~パリの叔母さま~
子どもの頃に観たドラマの印象が強く、粋でやさしい女性の象徴のように
ミステリアスでそこはかとない女性の憂いを持ちつつも
凛として生きる自立した女性
もうそのままの印象がある。
以下はかつて読んだ雑誌の切り抜きから抜粋する。
・・・自由と孤独、知性とユーモア、エレガンスと男気、岸さんが多面性を複雑に併せ持つ女性で
あることは、イヴ・シァンピ氏が、かつて書いたエッセイによく表れている。
《彼女の大変パリっ子的な物事の見方、考え方のなどの底に、つねに流れる日本的な魂は
おそらく何物によってもそこなわれない固さで、いつまでも彼女の深みに存在してゆくであろう。
彼女のサッパリしたやさしさ、鋭い感受性、そして、ときには男性的なきっぱりとした決断力や
行動力を、私は好む。計算や打算のまったくない、動物的な触覚だけで人生を歩く女っぽさとそれが、
アンバランスに共存している》・・・・(2006年 Grazia ~パリの42年が私に教えてくれたこと~より)
自分の人生に流されて埋もれてしまいそうに感じる時、
岸恵子さんのこの文を取り出す。
すると、すっと前を向き自分に立ち帰ることができる
そんなきっかけをもらうのだ。
本や読み物の役割、その貢献にいつもひれ伏したい気持ちになる。
どなたかのブログを読んでも、そんな気持ちになる。
読むことは生きること
魂をなぞる、その文が身体の芯にぴぴんっと響くとき
生きている!という実感が得られるというもので
誰かと心が繋がって
生きる意欲がみなぎる
そういうものだと確信している。