花と文。(暮らしと本と花と)

日々の心に残る記しておきたいこと。

読んでは閉じて。~読書のカタチ~

2018年07月15日 | 

 
 本屋さんに行けば、欲しい本がすぐに見つかり買う衝動に駆られる。

 けれど、今日はさささっと箇所箇所読んで閉じ、その場所に戻す。
 
 ・・・・

 今も数冊の本を読んでは閉じ、そして別の本を手に取り読みだす。

 その時間が10分程度、電車の中だったりする。

 今朝は新聞の切り抜きを持って出かけて読んだりした。

 新聞はリアルタイムのニュースよりも、コラムを読むのがいいと思っていて

 なぜなら、

 誰かの考えと自分の考えとを照らし、そして熟考する機会を得られると思うから。

 いつまでたっても本の巻末まで行けない

 それでも、その一行一行にぎっしりと詰まった実があれば

 もう十分読書の意義はあるというもの。

 今日は、そんな中、岸恵子さんの書いた記事を見つけ

 読み返したのだ。

 

 もう80歳は超えているであろう

 いつでも自分の言葉で語るキリリとした姿勢にいつも

 興味津津、まぶしく憧れてしまう。

 ~パリの叔母さま~

 子どもの頃に観たドラマの印象が強く、粋でやさしい女性の象徴のように

 ミステリアスでそこはかとない女性の憂いを持ちつつも

 凛として生きる自立した女性

 もうそのままの印象がある。

 以下はかつて読んだ雑誌の切り抜きから抜粋する。

 
 ・・・自由と孤独、知性とユーモア、エレガンスと男気、岸さんが多面性を複雑に併せ持つ女性で

    あることは、イヴ・シァンピ氏が、かつて書いたエッセイによく表れている。
    
    《彼女の大変パリっ子的な物事の見方、考え方のなどの底に、つねに流れる日本的な魂は

     おそらく何物によってもそこなわれない固さで、いつまでも彼女の深みに存在してゆくであろう。

     彼女のサッパリしたやさしさ、鋭い感受性、そして、ときには男性的なきっぱりとした決断力や

    行動力を、私は好む。計算や打算のまったくない、動物的な触覚だけで人生を歩く女っぽさとそれが、

    アンバランスに共存している》・・・・(2006年 Grazia ~パリの42年が私に教えてくれたこと~より)



 自分の人生に流されて埋もれてしまいそうに感じる時、

 岸恵子さんのこの文を取り出す。

 すると、すっと前を向き自分に立ち帰ることができる

 そんなきっかけをもらうのだ。

 本や読み物の役割、その貢献にいつもひれ伏したい気持ちになる。

 どなたかのブログを読んでも、そんな気持ちになる。

 読むことは生きること

 魂をなぞる、その文が身体の芯にぴぴんっと響くとき

 生きている!という実感が得られるというもので

 誰かと心が繋がって

 生きる意欲がみなぎる

 そういうものだと確信している。
 
     

 
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前の記事へ | TOP | そのタイトルに興味を持つ。 »
最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。