先日、「藤田嗣治展」(ふじた つぐはる レオナール・フジタ)に行った。
あくまでも主観。自分の中での藤田嗣治についての感想を書いてみることにします。
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いつだったか、藤田嗣治を知ったのは。いついつ知って、どこで何を見たのか
遡る記憶は頼りない。
ただある時、藤田嗣治を知った。
~洗練の人~
1886年に生まれて、1968年に亡くなっている。私が生まれた一年後にこの世を去っている。
この時代に、この風貌。
なんてアカヌケタ人なのだろう。以来、私の中では‘洗練の人’。
センスの良い人。生きるスタイルのある人。
うまく言えないけれど、日本人にはない何かを感じる。
そして、藤田嗣治の絵を観る機会を得るたびに、私はやっぱりこの人を好きだなと思うのだ。
藤田嗣治展 2016.7月16日(土)-9月22日(木・祝)
兵庫県立美術館
~・・・・・・27歳で初めてフランスに渡って以来、81年の生涯の半分近くを、フランスを中心とする
異国で送った藤田の芸術は、まさに東と西の文化の上に誕生したものです。しかし、藤田自身は
二つの文化に引き裂かれる苦しみを味わいます。エコール・ド・パリの寵児として大成功を収めた
後も繰り返される毀誉褒貶。戦中に描いた戦争画を巡る責任論。その結果・・・・~
(展覧会チラシより抜粋)
たまたま以前BS番組で藤田嗣治の歴史を紐解くものを観る機会があった。
‘洗練の人’が纏う、洗練は、やはり稀有の人であること。運命の画家であるからこそ
この雰囲気を纏っているのだ。
妙に納得したのだった。
≪貝殻のある静物≫1924年 高知県立美術館
~・・・愛用品に自分自身を重ね、静物画を自分のように仕上げた。
フジタのお得意の手法である・・・・~ (キャプションより)
≪人形を抱く少女≫1923年 群馬県立近代美術館
≪二人の祈り≫ 1952年 個人蔵 ≪小さな主婦≫ 1956年 個人蔵
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気に入ったポストカードとA4版のカードを買いました。実際に見る画の美しいこと。彼独自の描く手法は
彼ならではのもの。目を凝らしてじっと見つめてみる。細い輪郭線の美しさ、清潔な色気
彼独自の絶対的な美しさを見つける目、そして表現力、そういったものに感じ入ってしまいます。
以前大阪市の美術館で「こども展」という展覧会に行ったことがあった。
その時に買ったポストカード。 (レオナール・フジタ ≪フランス48の富≫ 1960-61年 パリ市近代美術館に藤田君代夫人が寄贈)
この展覧会の最後に、この絵が大きく展示されていた。
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どんなものでも好みというものが人間にはあります。
好きか、嫌いか
これは実はとても重要で、なんとなく好き、何かが違うとか
自分の気持ちに忠実であろうとすればするほど
そんなふうに、向かう方向は決められていくような気がしますね。
あまり何も考えずに生きるのもひとつだし
何か自分の生きる道を決めて進みたい
と思うのなら、そうしたらいい。
その人物を醸す何かは、やはりそういうものでも違ってくる
それだけは言えるような気がします。
時代は巡って、藤田嗣治は、日本人が彼の作品に会いたいと思う、そういう画家の一人だと思います。
一人の人間を見る時、複雑な感情が入り混じるのは、そうだけれど、魅力を感じます。
彼の人生を振り返ったものをみると、さらにその思いは深まりました。