偶然にチケットをいただいたという縁で、訪れた美術館。
日頃、そういうことはよくあること。とはいえ、それもまた出合い、縁というのは
どこからやってくるのか、自分が何に敏感で、何を求めて生きているのか
引き寄せるのかなと、ずっと感じてきたことです。
川村悦子さんというお名前は、存じ上げていませんでした。
そして、美術館に一歩踏み入れて、そこにある一室に少ないけれど洗練された
その人ならではの(見たことのない)作品は、空間に溶け込み、そのものを際立たせて
どこまでも品よく、観るものの心は掴まれました。
~今から11年前、イタリアのミラノで半年を過ごした。誰も知り合いのいない秋のミラノは落ち葉が美しく
夜の仄暗い照明の中で人々も建物も温かく輝いていた。
季節は秋から冬へ、そして春が巡った。・・・・・
若い恋人達も思い思いの場所で語らい、緑の樹々群を背景に彼らのシルエットや衣服の彩りが美しく、
まるで「生きた絵画」を見ているようだった。・・・・・・・
「ありふれた季節 川村悦子さんの文より」
蓮のこと
・・・・こだわって描きたいのは蓮の葉っぱのきめ細やかさ。そこに降り注ぐ光と影。・・・・・
屋内から外を描いている。窓の曇る感じ、結露が出来ている。1988年の作品です。
単純に面白い作品だと思ったのです。
~色鮮やかなイタリアの街並みを、ある種のフィルター越しにしか感得できない自分がいる。イタリア美術への
果てしない憧れを抱きながらも、それを無自覚に内面化できない葛藤が、この半透明のガラスという形象に視覚化されて
いるのではないか。・・・・~展覧会の説明文より抜粋
BELLINI 1998年
《道》2012年 東京オペラシティー アートギャラリー蔵
ぽっと行って、少しの時間拝見し、それをこんなふうに勝手に書いてしまっています。
恐縮しつつも、この美しい絵画への感動は、たしかなものとして私の心に残ったのです。
・・・・・
そっと染まらずにいたいと、思うことしきり。きっと誰しもあるのかなと感じていますが。
このような展覧会に足を運ぶとき、ある一つの、あるいは何か、大小さまざまな世界を見つめた一人の人が
深く広く、どこまでも追及していくこと、その生きる姿勢に、心洗われる・・・
感動とはそういうところからいつも生まれるように感じています。
✳︎(今回の展示は、個人使用に限り写真撮影がOKとのことでした。)