ミッシェル

毎日の出来事をつぶやく、日記のようなブログです。

正しい作法は知らないけれど・・

2021-10-30 17:25:00 | 日記
義母が亡くなり、かけられた言葉は、このたびはご愁傷様でした、とか、このたびは、お悔やみ申し上げます、でした。

なかなか使いなれない言葉なので、若い頃はお焼香に行っても、このたびは、もにゃもにゃもゃと言って頭を下げていた記憶があります。

今回義母の亡くなった、一連の流れのなかで、すこしあれ?っと思ったことがあります。

死亡確認に来ていただいた先生ですが、◯時◯分死亡を確認しました、と言って、後は死亡診断書の話しなどされて、お帰りになりました。合掌することもなく、お悔やみの言葉もありませんでした。終末期の患者を看取る方なのに、と少し不思議でした。これでいいのかな?私は義母へ、お疲れ様でした、くらいの言葉をかけて欲しかったです。

さすがに、葬儀屋さんはしっかりされていましたが、その関連会社のお位牌、墓石の営業の女性、義母の祭壇の前を素通りして、なんの言葉もなく営業の話をはじめたのには、なんとも違和感を持ちました。

生命保険会社の営業の方は、お線香をたてて、お供えにお線香をお持ちいただきました。電話連絡の対応も完璧でした。

訪問看護師さん、ケアマネさん、施設の相談員さんも、みなさんお線香をたてに来てくださいました。

家族にかける言葉もですが、義母が長い生涯を閉じたですから、義母へ敬意を持って言葉をかける、もしくは合掌することくらいは、するべきなのではと思いました。


シナノゴールド

2021-10-29 16:26:00 | 日記
長野生まれの🍎、秋映、シナノスイート、シナノゴールドは、りんご三兄弟と呼ばれています。

私はこの、黄色いシナノゴールドが大好き。晩秋にフジが出まわるまで、十分に美味しくいただけます。酸味があり、甘くて、みずみずしいりんごです。

りんごにも個性があるんだなあと、思います。
今年は、花が咲いてから霜が降りたりして、品薄のようですが、お友達からいつも安価でわけていただきます。

美味しいです。みなさん、長野県のリンゴを食べてみてくださいね。

ダンナさん

2021-10-28 20:53:00 | 日記
義母の癌がみつかり、それも末期癌、治療法もないと告げられて、ダンナは迷うことなく、在宅介護を選択。

なんとか、良くなって欲しい一心で介護にあたった。退院後、食の細かった義母の食欲が戻り、浮腫も無くなった時は、私ももちろんダンナも嬉しかった。

身体は良くなった、けれど、なんかおかしい…。せん妄か、認知症?
かなり、落胆したダンナでした。

お互い協力して乗り越えた3ヶ月。疲れががピークとなり、一月のショートステイを入れて、ダンナも私もリフレッシュしました。

ショートステイから帰った義母に、ダンナがまた、ショートステイ行くかって問うと、義母は、嫌だと答えたそうです。
家で最期をと義母は思っていたようです。

あっけない最期でしたが、ダンナは悔いはないと言います。

最愛の母を、あれだけ献身的に看たあなたを私は自慢に思いましょう。

いろいろ愚痴を言いました。やはり、1番はか義母がどうしたいかの確認が初めに無かったのは、いけなかったね。

これから、私たちにも訪れるときのため、予めお話して過ごしましょう。

お疲れ様でした。


私の居場所

2021-10-27 17:01:00 | 日記
昨日、仕事でお付き合いの長かった職員さんが、移動で挨拶にみえた。

彼女は初め、うちの担当で隔週で私の職場をまわって来ていた。その後、担当を外れて窓口なんかをしていたけれど、仕事ができて、なんでも問い合わせはAさんに甘えてお願いしていた。

最初の共通の話題は、お互い飼っていたネコの話だった。我が家のネコが5ヶ月で亡くなったり、Aさんの20歳のネコが亡くなったり、その後も色々共有してきました。


今の事務所には、17年いたという。とても優秀だったので、正職員の試験を受けて合格され、今回の移動となった。17年のお付き合い、長いね。

いつも、あそこに行けば会えたのに、移動したらもう会えないなと思うと、寂しい。

プライベートでは、何回か食事をしたくらいだけど、世代も違う人と友だちになれて、本当に嬉しい。楽しかった。

いつまで仕事ができるかわからないけれど、働く場所があるって幸せだな〜って思います。

義妹Ⓜ️ちゃん

2021-10-26 14:49:00 | 日記
ダンナとは、10歳離れた妹。隣の市に住んでいる。今は、教習所の教官をしています。すごいね。

私の実母は病院に1年程入院してから、病院で亡くなった。脳腫瘍で、入院前からなんとなく母ではない人になってしまい、手術をしても変わらず、普通の会話は出来ないまま、亡くなった。

だから、Ⓜ️ちゃんには、出来るだけお母さんがしっかりしている間に来てね、といっておいた。

でも、日常は忙しいね、なかなか毎週とか来れませんでした。

ショートステイから帰った翌日、亡くなる3日前に話せたことが良かったと思います。

亡くなった日も、葬儀の時もⓂ️ちゃんは泣いていました。最愛のお母さんですもの。

Ⓜ️ちゃんは、ダンナ様のお母さんのお宅のすぐそばに家を建てて暮らしている。優しい子です。

ダンナ様のお母さんは健在。仲良しに見える。

私はちょっと大変な時、Ⓜ️ちゃんに頭に来ちゃった時もあったけれど、大変だったんだね、ありがとうの言葉に救われました。

ありがとうね、Ⓜ️ちゃん。