今年は異常気象続きです。
北半球は春先以降、まさに沸騰という言葉が相応しい高温状態です。
NYCも例外ではなく、NY都市圏は史上最高の暑さに見舞われています。
というわけで、日中は外出するのは極力避けて屋内で過ごしています。
屋内で過ごす時間が長くなった分、久しぶりに本でも読もうかと、
先日、書店で何気なくタイトルにひかれて買ったのがこちら↓。
奥付けを見ると初版は今月10日で、まさに発売されたばかり。
最近、AIが大変な勢いで現実のビジネス等々に導入されているのはみなさまご存知の通りかと思います。
特にChatGPTは、私はまだ使った事はないですけれど友人にも
「文章考える時めっちゃ便利!!」とよく勧められます。
実際、先日とある商品が店頭で買えるのか問い合わせようと公式サイトを見ていたら、
電話番号の記載がなく、メールで問い合わせても返事がなく、
そのサイトのAIのChat機能を使って下さいとありました。なので、
「商品番号xxxxxの商品名⚪︎⚪︎という商品は、そちらの⚫︎⚫︎店の店頭で買えますか?」
と質問したところ
「はい、⚪︎⚪︎は⚫︎⚫︎店にあり買えます」
と返事が来たのですぐさま店に行ってみたら、お店の人に
「この商品はオンラインのみの販売です。配送には7日間かかります」。
店頭在庫が切れたとかではなく、店頭販売ですらない商品だったのでした。
Chatと言うてること違うやん。。。結局店に行ってスタッフに聞かんと、わからへんのかいな。
という経験をしたので、本当のところ、AIてどのくらい賢いのかな〜と思っていたところに
この本と出会いました。
そういえば「人工知能」という言葉は目につきますが、
「自然知能」という言葉は目にしないですね。
(以下、斜体は引用)
「人工知能があらわれてようやく、自然知能が存在しなくてはならない、
ということがわかるようになった。それにもかかわらず、自然知能という言葉もない」(p12)
作者の外山滋比古先生は1923年生まれで、4年前の2020年7月に逝去。
本書の内容が書かれたのは7年前の2017年だそう。まさに慧眼と言えましょう。
大変読みやすい文章で3日ほどでスイスイ読了しました。
ここからは超個人的な感想です。
私が特に印象に残ったのは、自分が歳をとっていわゆる「物忘れ」が
身近になってきたこともあり、「忘却」に関する内容です。以下引用です。
「一般には、記憶力が強く、いつまでも、忘れないでいるほど頭がよいように考えられているが、本当にすぐれた頭脳は、不要なことをさっさと忘れる。いくら忘れるといっても、すべてが忘れられるわけではない。
忘れ切れなかったことから、新しいものが生まれる、記憶した通りを再生すれば、模倣ではあるけれどそれを抜け出せない。忘れて忘れ切れなかったことの中から、新しいことが生まれる。」(p77)
「幼いときに、頭が重いとか、頭がすっきりしない、ということがほとんどないのは、忘却作用がよく働いて、頭がいつもきれいに片付いているためであろう」(p103)
♪疲れを知らない子供のように〜(『シクラメンのかほり』小椋佳さん)という歌詞がありましたが、
それは
「幼い子どもの頭の中がいつもきれいに片付いているため」
そんな発想はなく、なるほどそういうことなのかも、とハッとしました。
洪水のような情報に晒される上、自然知能に備わった忘却力(=不要なことをさっさと忘れる力)を
弱める方向に世の中が進んでいるから、
頭が重く辛く感じることが増えている、一理ありますね。
と、自分の物忘れに上手い言い訳を見つけたわけではありませんけれど、
忘れることは必ずしも悪ではないことに元気づけられています。
まだまだたくさん感想はありますが、長くなりそうなので「老害」と言われないよう
「悪質なおしゃべりを避ける心得」を3つ。
・身近な人を固有名詞付きで話題にしない
・なるべく、現在形、未来形の動詞を使う
・人から聞いた話の受け売りはしない (p166)
これが出来ないなら「聞き役にまわればいい」とのことで
年配者の私、昔話や受け売りばかりにならないよう気をつけます。
人間が生来持つ「自然知能」の潜在能力と可能性、引用したい部分が多すぎるぐらい面白かったです。
最近は、人工知能はここまで進化した、生身の人間が人工知能に取って代わられる、
といった論調の記事をよく見ていたように思います。
しかし、自然知能が備わる『人間』とは、なんと魅力的な存在なのでしょう。
この本を読んで、改めて多くの気づきがあったのでした。