真衣のブログ

たまに入院しますが前向きに生きてます(╹◡╹)♡

歴史こぼれ話、、続き

2025-01-12 17:15:00 | 日記

昨夜は久しぶりに

眠剤を飲んで寝たら、、、

効きすぎで眠いよ🥱

でも、布団の中は天国だね〜


ここからは歴史こぼれ話ですよ

大体でいいから

吉良上野介の高家とは

大体わかったと思うけど、、、

官位って事もね

この度書いてる人は

後で必ず繋がってくるからね

徳川綱吉、吉良上野介、浅野内匠頭

今から何人か出てくるから

納得が行くと思うよ

では、吉良家の事を書いたから

次は浅野内匠頭の浅野家だね

浅野内匠頭は赤穂藩藩主なんだけど

本家は芸州浅野家なんだよ

広島に行くと大きな広島城があるでしょう

あれが浅野家の本家なんだよ

では、浅野家とは、、

そもそも尾張の織田家に使えていた

身分は低い家柄だったんだけど
(足軽組頭ぐらい)

織田信長の時代に浅野長勝と言う人が

跡取りがいなくて

親戚の杉原定利から

2人の養女に

とり嫁、とり婿を貰い

家の存続をする事にしたんだよ

その杉原家から来た養女が

"ねね(おね)" と"やや"

やがて"ねね, は豊臣秀吉になるなる

秀吉と結婚して

妹の“やや"に、

浅野長勝の甥御を養子にして

とり嫁、とり婿で

浅野家を存続させたんだよ

"やや" の旦那さんになる人の名前は

浅野長政

秀吉にとれば、義理の弟になるよね

秀吉が出世するたびに浅野長政も

出世するんだけど、、、

豊臣秀吉の政権下では

五奉行のひとりだよ、、

彼も忠臣蔵には間接的に関係あるからね

浅野長政は関ヶ原では東軍につき勝組

後継は2代将軍徳川秀忠の小姓となり

外様大名としては浅野家は

優遇されて後に芸州広島42万6千石の

大大名になるんだけど、、ね

これは、、関ヶ原の戦いの時に

または大阪冬の陣、夏の陣の時も

豊臣秀吉の妻である"ねね"(高台院)は

徳川家康の肩を持ち

豊臣子飼いの大名を徳川に有利な

動きをしたから

妹婿の浅野長政親子を

優遇してたんだよね(^◇^)

その浅野長政の三男が

色んな事で藩主が変わり
(この時期は取り潰しが多かった)

赤穂藩藩主として浅野長直が
(正妻は徳川家康の養女)

本家の分家として入城したんだよ

浅野内匠頭の祖父にあたる人で

この浅野長直が明君でね

新田開発、塩田開発

また赤穂の塩をブランド化したり

江戸市中の塩の90%は

赤穂の塩だったとか

藩も民も豊かな国作りをして

幕府の評価は藩主は民に慕われていて

よく家臣団をまとめていて

問題は何もない、、と

幕府が書いた古文書があるんだよ

これも、大事な事で後に繋がるからね

播州赤穂藩は徳川家と親戚、、、

藩主妻は養女とは言え

徳川家康の娘で

浅野内匠頭は徳川家康の義理と言え

血筋ではひ孫って事なんだよね(^_^)

これで、浅野内匠頭と吉良上野介の

家と言うのが少しは理解が

出来たらと言うけどね😁

では、長くなるので

また、続きにしますね(^◇^)

真衣



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1 コメント

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Unknown (syaazunabru)
2025-01-12 17:32:22
おはよう姫‼️
ねねは僕も知ってる
有名だよね🐱
しかしなんで
そんなに
歴史に詳しいのか
不思議だけど
元々頭が良くて
記憶力が凄いんだろうね
僕は頭のメモリーカード
MB少なくて
直ぐ忘れちゃうよ🤣🤣🤣
姫のブログ見て
安心しました(笑)🐕‼️
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