2020年10月29日 October 29, 2020
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天守閣は1657年の明暦の大火にっよって焼失。城の守りに天守は必要ないということと、江戸市街の復興が優先されたことで、結局再建されませんでした。
明暦の大火…振袖火事とも呼ばれ、関東大震災や東京大空襲を除くと日本史上最大の火災。ローマ大火、ロンドン大火とともに世界3大大火とする場合もあるとか。
外堀いないのほぼ全域、天守を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半が焼失して、死者数は3万~10万と記録されているそうです。
隅田川にかかる橋は当時千住大橋だけだったそうですが、両国橋や永代橋などが架橋され、防災への取り組みもこの後進んだようですが、「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるように、大火はこの後も続いたようです。
現在も残る御影石の天守台が加賀藩主の前田綱紀によって築かれた(高さは6間に縮小)。
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