急用で 実家へ チョコット3~4日 おやすみ します。(10/6)
本日 10/12 無事帰ってまいりました。
と言うことで 無事かえるから。



そしてこの時期の花 咲き出していました。コルチカム

こんなのも

そして朝晩の冷え込みで

全て デジカメDSC-HX5
※
母の3回忌を10/14に予定しておりましたが、一週間早く帰省しました。
今年5月ころより父が入退院を繰り返しておりましたが、
先週はじめ急遽接骨の手術のため入院してたのですが、
血圧が低く治療の説明のために、姉と兄が10/5日午前中医師と打合せ中に
急に心拍が弱まって旅立ってしまったとのこと。
鉄人に近い父も90歳を過ぎて、やはりいくら心臓が強いと言っても
やはり歳相応に色んなことが起きるって言うことの実感です。
93歳6ヶ月でした。母が旅立って2年 おなじ10月一年ぶりに再会か
と思っていたのですが。
葬儀も天候の崩れもなく、すがすがしい季節の中で進めることが出来ました。
遺影は、88歳の時お祝いに写真屋さんで本人も気に入ったものを既に用意していて
参拝していただいた方々に、良い写真ですねと言っていただきました。
気難しい父、家族の前ではこんな表情はめったになかったねというくらいの良い表情。
遺影は以前には私に撮影させていたのですが、それと比べるとさすが写真屋さん
プロですからね、というよりも息子ではなかったので柔和な表情ができたのでは
ないかとの実感です。
この写真の実在は、兄は知らず、私は知っていたのですが、
写真屋に一緒に行った孫が兄に教えたということで、
親子なかなか微妙な関係かなと。
大正8年に生まれ、戦争にも行ったし、激動の昭和をそして平成、凄い時代を生きた
ものだと思います。朝から晩まで野良仕事していましたね。
稲作は、トラクターはもちろん、耕運機のない時代、
牛を引いてを田んぼを耕し、水を引き、稲を植える水田にして、
腰ををかがめて稲を植え、田の草を取り、
稲を刈り、稲杭にかけ、脱穀のために小屋まで背をい運び、夜脱穀・・・・・
そして他に、さくらんぼ、梨、葡萄、桃、りんご、野菜などなど・・・・
お陰で新鮮なものを沢山食べられたけど。
大工仕事、石垣を積むわ、聞けば編み物もしたとか。
そういえば、株もしてたな・・・・・。
お陰で色々手伝わされて、見よう見まねで色んなことを覚えた。
そんな中の一つ
りんごももう儲からないから止める事になり、りんごの木を倒すことになったのだが、
木の根っこまで取らなくてはならない。
どうやったかといえば、主要な幹と枝は残して枝葉を切り落とす。
次に、根元から1.5メートル位の円形状に土を掘り根を切って行く。
その後、残した主要幹のある枝に登り、ユッサユッサと揺らすと、幹が傾く、
そして根っこもろとも倒すことが出来る。
これで、現在の自宅の前のつげの木を倒した。結構役立っているわ。
その他もろもろあるけんど 以下 略。
来月は納骨のため再度出かける。
参考までに
山形では(実家では)骨壷がない。
火葬場での骨も直接木の箱に入れる。だから持っても軽い。
お墓に入れるときは骨を直接お墓に入れる。
結果的に土に戻るのである。
本日 10/12 無事帰ってまいりました。
と言うことで 無事かえるから。




そしてこの時期の花 咲き出していました。コルチカム

こんなのも

そして朝晩の冷え込みで

全て デジカメDSC-HX5
※
母の3回忌を10/14に予定しておりましたが、一週間早く帰省しました。
今年5月ころより父が入退院を繰り返しておりましたが、
先週はじめ急遽接骨の手術のため入院してたのですが、
血圧が低く治療の説明のために、姉と兄が10/5日午前中医師と打合せ中に
急に心拍が弱まって旅立ってしまったとのこと。
鉄人に近い父も90歳を過ぎて、やはりいくら心臓が強いと言っても
やはり歳相応に色んなことが起きるって言うことの実感です。
93歳6ヶ月でした。母が旅立って2年 おなじ10月一年ぶりに再会か
と思っていたのですが。
葬儀も天候の崩れもなく、すがすがしい季節の中で進めることが出来ました。
遺影は、88歳の時お祝いに写真屋さんで本人も気に入ったものを既に用意していて
参拝していただいた方々に、良い写真ですねと言っていただきました。
気難しい父、家族の前ではこんな表情はめったになかったねというくらいの良い表情。
遺影は以前には私に撮影させていたのですが、それと比べるとさすが写真屋さん
プロですからね、というよりも息子ではなかったので柔和な表情ができたのでは
ないかとの実感です。
この写真の実在は、兄は知らず、私は知っていたのですが、
写真屋に一緒に行った孫が兄に教えたということで、
親子なかなか微妙な関係かなと。
大正8年に生まれ、戦争にも行ったし、激動の昭和をそして平成、凄い時代を生きた
ものだと思います。朝から晩まで野良仕事していましたね。
稲作は、トラクターはもちろん、耕運機のない時代、
牛を引いてを田んぼを耕し、水を引き、稲を植える水田にして、
腰ををかがめて稲を植え、田の草を取り、
稲を刈り、稲杭にかけ、脱穀のために小屋まで背をい運び、夜脱穀・・・・・
そして他に、さくらんぼ、梨、葡萄、桃、りんご、野菜などなど・・・・
お陰で新鮮なものを沢山食べられたけど。
大工仕事、石垣を積むわ、聞けば編み物もしたとか。
そういえば、株もしてたな・・・・・。
お陰で色々手伝わされて、見よう見まねで色んなことを覚えた。
そんな中の一つ
りんごももう儲からないから止める事になり、りんごの木を倒すことになったのだが、
木の根っこまで取らなくてはならない。
どうやったかといえば、主要な幹と枝は残して枝葉を切り落とす。
次に、根元から1.5メートル位の円形状に土を掘り根を切って行く。
その後、残した主要幹のある枝に登り、ユッサユッサと揺らすと、幹が傾く、
そして根っこもろとも倒すことが出来る。
これで、現在の自宅の前のつげの木を倒した。結構役立っているわ。
その他もろもろあるけんど 以下 略。
来月は納骨のため再度出かける。
参考までに
山形では(実家では)骨壷がない。
火葬場での骨も直接木の箱に入れる。だから持っても軽い。
お墓に入れるときは骨を直接お墓に入れる。
結果的に土に戻るのである。
寂しくなりましたね。
以前私が母を見送った特に先輩に言われた言葉です。
「親を見送りてやっと大人になれるんだ」と言われた言葉を思い出しました。
親が生きてる内はどこか親に甘えるところが有るのでしよう。
私もあと22年で100歳になります。
これから何べん、まくろめさんに木に上らせていただけますやら(笑)
大正8年生まれですか~。。。
亡父も生きていたら90を越えてたんですねえ。。。
ちなみに亡父は6年生まれです(^^ゞ
これで私もやっと大人になれる?
親はやはり 母親、父親 やはり 偉大ですね。
何せ、私なんかよりずっとずっと苦労してるわけですからね。
90歳位まで生きて、それでも最後はどうしてこんな風に動けなくなっちゃうんだろうねと、元気なころに比べて、悔やんでいましたが、
やはり寿命があるということはいかんともしがたい。
我もたどる道、90歳むぅ~~~~勝てないだろうな。
と思いつつ、毎日を着実に進むしかありませんね。
ネットでお付き合いいただいていることも元気の源、
こちらこそ色々と嬉しいコメント、これからも宜しくお願い致します。
100歳基準ですね。お互い楽しみましょう。
ご丁寧いに書き込み お言葉ありがとうございます。
明治生まれも大正生まれもやはりすごい。
激動の社会を生きると、たくましくなれるのでしょうね。
食べるものにも不自由、これが色んな思考を働かせ、身体を動かす原動力になるのでしょうね。
飽食の時代の今、どうなることやら。
日々生きるですかね。
おかえりなさい。
骨をなんでツボに入れるんだろう?なんで墓の中をコンクリートで固めるんだろう?それじゃ土にかえれない・・・って、この前 家族に言ってたんです。
砥師の故郷では 土にかえれるんですね・・・。
いいな。
大地に同化して安らかにおやすみください。
合掌。
ありがとう。
埋葬の仕方は、土地、宗派でさまざまですからね。
最近は散骨もだいぶできるようになってきているみたいです。
そろそろしっかり調べておく必要がある世代に突入。
順番ですから。