原爆ドームが悲惨の象徴となって
そばを通るたびに、母から聞いた当日のことが思われる。
私はまだ、この世に存在してなかった
母が19の夏。
30年間中学校のなぎなたの講師をしながら
語り部としての使命を感じ
思い出したくもない思い出を
中学校の生徒に、ことあるごとに語ってきた母も
現場をはなれ、
生徒たちが作った、平和をかんがえるというDVDに残されている。
「二度と繰り返しませんから」
と刻まれた慰霊碑を、どのくらいの人が訪れ
”平和のドーム”としていく
心の連帯を持ったのだろうか
そばを通るたびに、母から聞いた当日のことが思われる。
私はまだ、この世に存在してなかった
母が19の夏。
30年間中学校のなぎなたの講師をしながら
語り部としての使命を感じ
思い出したくもない思い出を
中学校の生徒に、ことあるごとに語ってきた母も
現場をはなれ、
生徒たちが作った、平和をかんがえるというDVDに残されている。
「二度と繰り返しませんから」
と刻まれた慰霊碑を、どのくらいの人が訪れ
”平和のドーム”としていく
心の連帯を持ったのだろうか