みゆきな日々

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ヒグマの惨劇 【三毛別羆事件】

2012年04月25日 | 2012年ブログ
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1915年(大正4年)12月9日、北海道留萌支庁の苫前郡にある苫前村三毛別(さんけべつ)というを舞台に幕が上がります。下のイメージは現苫前町の位置図) 正確な地名は、苫前村大字力昼(りきびる)村三毛別御料農地六号新区画開拓六線沢、その名が示すとおり、明治20年頃から政府が盛んにおこなった移民政策(北海道開拓)によって入植した、開拓移民といわれた人たちの開拓村



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主人公となったヒグマは、推定7~8歳のオスで、体長2.7

日本の家屋の天井が、だいたい2.1m程度

その運動能力も驚くべきもので、巨体にも関わらず時速50㌔ほどで走ることができるうえ、泳ぎも得意


明治45年には、利尻島(利尻富士町)まで海を泳いで渡った熊がいたと記録が残っている


前後の脚には鋭利で長い5本の鉤爪をもち、牛や馬を殴り倒すほどの腕力


また大きな犬歯は、捕食した動物の骨や木の根を噛み砕く咀嚼力、咬力。聴覚や嗅覚にも優れ、人には分からない遠方の獲物や敵の気配を察知する


午前10時半ごろ、苫前の開拓村に突如として一頭のヒグマが現れます。一般的に、野生のヒグマは11月中旬あたりから翌年の3月、4月あたりまで「冬ごもり」をするのですが、この空腹を抱えた若いオスグマは、一説には【穴持たず】(時機を逸して冬ごもりをしない)また一説には開拓による山林伐採の影響で(100k㎡ともいわれる)広範な行動圏が人里と重なったゆえ、餌を求めて開拓村に侵入しました。そして、とある家屋の窓辺に吊られたトウモロコシを食害した後、屋内にいた2人の人間を発見します


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すぐさまヒグマは、窓から家屋のなかへ躍りこむや、目の前の囲炉裏端にいた6歳の男児の頸部を一撃のもとにえぐり、即死させ、続けざま傍らの主婦(34歳)に襲いかかりました。主婦は燃える薪やまさかりをもって死に物狂いで抵抗しましたが寝室に追いつめられた末、撲殺。それからヒグマは主婦の衣服や頭髪をはぎ取ったうえ、身体の一部を捕食し、残りをくわえたまま、ふたたび侵入してきた窓から林の方へ去っていきました


人食い熊の等身大↓
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明けて10日、開拓民とマタギらで構成された捜索隊は、朝から新雪の林内で主婦の遺体の捜索を開始しますが、夕刻となってようやく発見されたのは、足袋と両膝下、頭髪をはがれた頭骨だけだった。


その夜、犠牲となった2人の通夜が営まれまてる席上、傷ましい遺体が安置された寝室の壁をぶち破り、ふたたびヒグマが開拓民を襲います。ヒグマは棺桶をひっくり返し、悲運な死を遂げた2人の遺体は、無残にも転げ、辺りに散らばります


参列者たちは色を失い、大騒動となりましたが、かれらの怒号と銃声とにひるんだのか、ヒグマは屋内から跳び出し、一目散に暗闇のなかに逃げ去りました。参列者一同、どうにか事なきを得たのです。


ところが、そのわずか十数分後、通夜の営まれた家から500m程離れた家を、同じヒグマが襲います。皮肉なことに、この家は、比較的に安全と言われており、わざわざ避難してきた他家の母子を含め、当夜は10人が集まっていました。今度もヒグマは、とつぜん窓から侵入しました。そして、囲炉裏にかけられた大鍋をひっくり返し火を消し、さらにランプをたたき落とし、室内を完全に暗闇と化した後、手始めにまず、当家の主婦(34歳)に襲いかかります。


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主婦は1歳の男児を背負っていましたところ、ヒグマはこの男児の頭部に咬みつき、主婦にまつわりついた8歳の男児ともども、居間へ引きずります。そして、主婦に馬乗りになったかと思うと、顔面、頭部と咬みつきますが、あわやという時に、通夜が行われた家の寄宿人であった人物が玄関から戸外へ逃走しようとし、期せずしてヒグマの注意を引いてしまいます。ヒグマは主婦を残し、あっという間にこの寄宿人へ躍りかかりました。そして、かれの腰部、臀部から大腿部に咬みつき激しく傷害します。


傷害された寄宿人が、痛みのあまり絶叫しますと、かれを解放し、おもむろに今度は室内に残った人たちの方へ向かい、初めに当家の3歳男児を一撃で撲殺、続けざまに他家の3歳と6歳の男児を襲い3歳男児は同様にただちに撲殺されました。そのとき、わが子の悲痛な叫びを聞いた他家の主婦(34歳)は、思わず隠れていた場所から姿を見せてしまいます。するとヒグマは、今度はその母親に向かっていった



狙われたこの主婦は臨月を迎えていましたが、無残にも頑強な鉤爪にかけられ、室内中央に引きずられます。その後の光景は、世にもおぞましいものでした。物言わぬ獣に懸命に胎児の命ごいをする主婦をヒグマは意にも介さず傷害。やがて彼女は失神、ヒグマは悠然と腹を裂き、胎児をかき出した


その後、ヒグマは意識のない主婦を、生きながらにして上半身から食べた


主婦を食い殺した後、これに飽き足らず、すでに撲殺した当家の3歳児の上半身、頭部を食べ、先に傷害された他家の6歳児を、やはり生きながらにして左股、臀部、胸部、肩部と食べ始めた。この少年は、やがて事態を察知して駆けつけた開拓民らによって救出されたが、左大腿部から臀部の肉を食べられ、骨が露出するほどの重傷、というよりむしろ骨だけ残った状態。近所の家での介抱もむなしくまもなく死亡


以上、この夜のヒグマの襲撃によって、4名(胎児を含めますと5名)が死亡。また、最初に頭部を咬みつかれた1歳の男児は、2年8か月後に、この時の傷がもとでやはり死亡しますので、この襲撃に起因する死者は、都合6名ということになります。前夜の2名を加えると、1頭のヒグマによって、8名が命を奪われたこととなります。この他、2名に重傷を負わせておりますので、被害者は、10名になります。これが、世に言う“苫前三毛別事件”あるいは“三毛別羆事件”


日本で起こった獣害史上最悪の事件といわれており熊害としては世界にも比類なきものだとか


被害に遭った開拓民たちがヒグマの行動圏を侵した、もしくは意図するとせざるとに関わりなく、この行動圏においてヒグマを挑発する行為をしたのかもしれない


北海道北斗市峩朗(がろう)の山中で山菜採りをしていた50歳の男性が、ヒグマに襲われ死亡する事件が起こっていますが、これは以前からヒグマの出没地域とされていたエリアにみずから侵入、つまりヒグマの縄張りを侵したことから、いわば野生のクマの習性的排除行動から発生してしまった


これまでに起こっている熊害のほとんどは、この排除行動に起因しています


ところが、苫前の事件に関しては、事件当日のおよそ1か月前からヒグマの方で、人里に侵入し、人家に吊るされたトウモロコシを食害するようになっていました。もっとも、一説によりますと、このクマは他の村ですでに人間を捕食していたともいわれていますので、これに味をしめ、初めから食害の目的で人里をおとずれたのかも知れない、いずれにしても、被害を受けた開拓民たちがヒグマの縄張りを侵した、あるいはヒグマに身の危険を感じさせたのかも


それ以外にも、この事件の悲惨さを際立たせる事実として、かれらが隣村や東北地方から、新開地での豊かな収穫を夢見て、開拓のためにわざわざ入植してきたということがあります。北方開拓を強力に推進したい中央政府の政策に呼応し、あえてこの過酷な新墾地に人生を賭けて身を投じた貧しい人たちが、このような未曾有の災厄に見舞わたのです。何とも傷ましく、また悲惨きわまる事件です。



通称【穴持たず】

語り上手な母の話で3カ月は1人でトイレに行けないほど怖かった、北海道出身の人なら多分?殆どの人は知ってる話だと思います


『熊が逃げた』


叫びながら75歳の女性が走るすぐ後ろを熊が追いかけていた


北海道登別熊牧場、秋田鹿角熊牧場、どちらも何度も行きました。


本来ヒグマは群れでは暮らさない、登別の熊牧場では増えすぎた理由で数年前に沢山の熊を間引きしました。


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熊は怖い、怖いもの見たさで何度も訪れた熊牧場、登別熊牧場では10㍍もの塀に囲まれてはいるが上から見ただけでも熊は大きく怖い、しかし秋田の熊牧場は5㍍程の塀


よけいに熊が大きく見えた記憶があります。エサやり担当が女性だったって言うのを始めて知った。亡くなった2人の女性が、何故死ななければならなかったのか?


今年に入り京都の桜祭りで賑わう交差点での死傷者多数事件、小学生の登校列に居眠りで突っ込んだ無免許の18歳!!


もうすぐ連休、旅行の計画を立ててる人も沢山いる事でしょう


自然災害は突然


しかし人災は防げるはず


最近、近所で火災発生


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戸締り用心


火の用心


最後まで読んでくれて有難う御座います


為になる話し満載↓


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