みなさん、色々、励ましや心配のお言葉ありがとうございました。
もんたん、昨日のお昼すぎに・・・お星様になりました。
お友達が10時すぎくらいに、心配してきてくれていました。
何か買い物ある?と言われて、ペットシーツとホカロンを頼んで
二人で静かにまっているときでした。
また胆汁をはいてしまい、おしっこもしたので
苦しくないように、上半身を起こしてあげて、シーツを変えていたら
また吐くしぐさをしたので、そのまま抱きかかえていました。
今度は、あまり出すものがなく・・・
でも、歯軋りをする感じになったので・・・
あぁ、お別れがきたかな・・と。
その間、ほんの1~2分だったと思う。
どうしてあげることもできず・・・少し痙攣した身体を抱きしめて
”私が落ち着かないと、不安がつたわっちゃう”と思いながら
名前を呼ぶことしかできなかった。
情けない限りです。
覚悟はしていても、つらかった。
ももは、二人になるのをまっていたのだと思います。
他のおともだちのにゃんこは、ほんのちょっと席をはずした間になくなってたり、その瞬間にはどこかに隠れたり・・・という話をきいていたので
私は離れるのが怖かった。
ももにしたら、ひとりがよかったのかもしれないけど・・・・。
現実をうけとめることは、とてもつらかったけれど
私の腕の中で旅立ってくれたのは、ほっとしました。
私のエゴだけど、ひとりでいかせたくなかったので。
20年一緒にいたけど、そんなにべったりな関係?ではなかったし
もんたんは、抱っこがキライでしたww
だから、私にへばりついてくるのは、病院のときだけですww
悪くなってからは、病院に何度もいったし
その度に頼られるのは、かわいそうだったけど嬉しかったりもして。
元気なころはじゃけんにもしたし、いいかぁちゃんじゃなかったよね。
でも、歳をとってくると、可愛くて愛おしくて・・・
そんな微妙な関係だったから・・・
最期に、私の腕の中で抱かれてていてくれたことは
悲しくて、でもとても嬉しかったよ。
小さくなってしまった身体、でもやわらかくて愛しかった。
わがままいって、仕事も休み、ここ数日は一緒にいました。
今までで、一番一緒にいたと思います。
いまさらだけど、本当にずっと旅行だとか、昼夜仕事だとかでお留守番が多く、一人にさせることが多かった・・・・
この数日はせめてもの、罪滅ぼしになっただろうか・・・。
最期に濃い時間をすごせたのは、ももも幸せを感じてくれたらいいけど。
お友達がいてくれたおかげで、葬儀の手配やら
なにやらは、たんたんと進められました。
一人だったら、もっと右往左往していたと思います。
にゃんこを旅立たせたお友達に電話できいたり
ネットで調べたり、私が後悔したくないので
わがままいって、父に実家のペットちゃんたちがいるお寺にきいてもらったりしました。
そこは、個別で火葬はしてくれるけど、数ヶ月したら
合同で供養するとのことでした。
私は、まだそういう気持ちになれないので
しばらくは、ももだけでおいておきたかった。(お寺に預けるにしても)
だから、個別で火葬のあと、個別で預かってくれるところを希望してました。
なかなか100%の満足できるところはむずかしくて・・・
(お参りできる場所だったり、その他ふくめて)
なので、その、実家がお世話になってるお寺で火葬してもらって
一度つれてかえってきます。
そして、私のわがままだけど、気持ちが落ち着いたら
どこに預けるか考えたいと・・・。
あまり、そういうのはよくないとかいう話もありますが
もものいた形跡をゼロにはしたくないので・・・。
自分の気持ちの整理がつくまでは、そばにおいておきたいのです。
父は、“それはどうなのかな”って納得してない感じでありますが・・・。
一応、日曜日の夜にももと実家に帰って、月曜日に父とお寺にいくことにしました。
友達とも話しをして、とりあえず、どうしたらいいか決めてたときに
病院の先生から電話がありました。
昼すぎに亡くなり、休憩時間だったのだけど・・お世話になった御礼と
この辺のペットの葬儀場もききたかったので、電話をいれておいたのです。
先生は留守だったようで、奥様か助手の方がでて、お寺の電話番号などをきいてご挨拶をしてきってたんですが、わざわざかけてきてくれたのです。
家につれてかえってからの様子、最期の様子などを話して
お礼をいいました。
でも、自分のなかには、もっと最後に検査をして数値をみて“もうだめです”といわれるまで、治療してあげればよかったかな・・・という思いもあったので、それを伝えました。
先生は、“判断は正しかったと思いますよ。ひとりで治療より一緒におうちで診て貰って、最期にちゃんとそばにいてあげたのは、ももちゃん幸せでしたよ。それが一番です”っていってくれました。
・・・胸のつかえが、とれた感じでした。
ももにとっても、よかったんだよと言って貰えて
沢山の後悔やら反省やらのうちの少しがふっときえていきました。
無理に検査を進めず、いい先生にみてもらえて、よかったです。
本当にありがとうございました。
お友達は、私の様子をみてお泊りの用意もしてきてくれたのだけど
夕方、かえりました。
本当に、いてくれて感謝です・・・・。
二人になってからは、ももをベッドに移して、お顔をキレイにしてあげました。無理やり給餌したり、ミルクや水をのませてたので・・・お口のまわりが汚れていたから。せっかくの美猫さんが台無しだしね・・・
それから、ブラッシングして、爪もきりました。
ずっとやってあげられなかったから、ちゃんとしてあげたかった。
スッキリしてくれたかな。
まだ、現実逃避してる気持ちと、ときおり襲ってくる悲しさとが
いりまじっています。
本当の虚無感はこれからやってくるのだと思います。
でも、ももに心配をかけないように・・・頑張らないといけませんね。
あと一日、いっぱいお話して、いっぱいなでてあげたいとおもいます。
20年分の感謝と、愛と、ごめんなさいと・・・
伝えきれないとは思うけど。
長々と支離滅裂な文章ですみません。
みなさんにも、本当に感謝です。
まずは、ももの代わりに・・・ありがとうございました。
もんたん、昨日のお昼すぎに・・・お星様になりました。
お友達が10時すぎくらいに、心配してきてくれていました。
何か買い物ある?と言われて、ペットシーツとホカロンを頼んで
二人で静かにまっているときでした。
また胆汁をはいてしまい、おしっこもしたので
苦しくないように、上半身を起こしてあげて、シーツを変えていたら
また吐くしぐさをしたので、そのまま抱きかかえていました。
今度は、あまり出すものがなく・・・
でも、歯軋りをする感じになったので・・・
あぁ、お別れがきたかな・・と。
その間、ほんの1~2分だったと思う。
どうしてあげることもできず・・・少し痙攣した身体を抱きしめて
”私が落ち着かないと、不安がつたわっちゃう”と思いながら
名前を呼ぶことしかできなかった。
情けない限りです。
覚悟はしていても、つらかった。
ももは、二人になるのをまっていたのだと思います。
他のおともだちのにゃんこは、ほんのちょっと席をはずした間になくなってたり、その瞬間にはどこかに隠れたり・・・という話をきいていたので
私は離れるのが怖かった。
ももにしたら、ひとりがよかったのかもしれないけど・・・・。
現実をうけとめることは、とてもつらかったけれど
私の腕の中で旅立ってくれたのは、ほっとしました。
私のエゴだけど、ひとりでいかせたくなかったので。
20年一緒にいたけど、そんなにべったりな関係?ではなかったし
もんたんは、抱っこがキライでしたww
だから、私にへばりついてくるのは、病院のときだけですww
悪くなってからは、病院に何度もいったし
その度に頼られるのは、かわいそうだったけど嬉しかったりもして。
元気なころはじゃけんにもしたし、いいかぁちゃんじゃなかったよね。
でも、歳をとってくると、可愛くて愛おしくて・・・
そんな微妙な関係だったから・・・
最期に、私の腕の中で抱かれてていてくれたことは
悲しくて、でもとても嬉しかったよ。
小さくなってしまった身体、でもやわらかくて愛しかった。
わがままいって、仕事も休み、ここ数日は一緒にいました。
今までで、一番一緒にいたと思います。
いまさらだけど、本当にずっと旅行だとか、昼夜仕事だとかでお留守番が多く、一人にさせることが多かった・・・・
この数日はせめてもの、罪滅ぼしになっただろうか・・・。
最期に濃い時間をすごせたのは、ももも幸せを感じてくれたらいいけど。
お友達がいてくれたおかげで、葬儀の手配やら
なにやらは、たんたんと進められました。
一人だったら、もっと右往左往していたと思います。
にゃんこを旅立たせたお友達に電話できいたり
ネットで調べたり、私が後悔したくないので
わがままいって、父に実家のペットちゃんたちがいるお寺にきいてもらったりしました。
そこは、個別で火葬はしてくれるけど、数ヶ月したら
合同で供養するとのことでした。
私は、まだそういう気持ちになれないので
しばらくは、ももだけでおいておきたかった。(お寺に預けるにしても)
だから、個別で火葬のあと、個別で預かってくれるところを希望してました。
なかなか100%の満足できるところはむずかしくて・・・
(お参りできる場所だったり、その他ふくめて)
なので、その、実家がお世話になってるお寺で火葬してもらって
一度つれてかえってきます。
そして、私のわがままだけど、気持ちが落ち着いたら
どこに預けるか考えたいと・・・。
あまり、そういうのはよくないとかいう話もありますが
もものいた形跡をゼロにはしたくないので・・・。
自分の気持ちの整理がつくまでは、そばにおいておきたいのです。
父は、“それはどうなのかな”って納得してない感じでありますが・・・。
一応、日曜日の夜にももと実家に帰って、月曜日に父とお寺にいくことにしました。
友達とも話しをして、とりあえず、どうしたらいいか決めてたときに
病院の先生から電話がありました。
昼すぎに亡くなり、休憩時間だったのだけど・・お世話になった御礼と
この辺のペットの葬儀場もききたかったので、電話をいれておいたのです。
先生は留守だったようで、奥様か助手の方がでて、お寺の電話番号などをきいてご挨拶をしてきってたんですが、わざわざかけてきてくれたのです。
家につれてかえってからの様子、最期の様子などを話して
お礼をいいました。
でも、自分のなかには、もっと最後に検査をして数値をみて“もうだめです”といわれるまで、治療してあげればよかったかな・・・という思いもあったので、それを伝えました。
先生は、“判断は正しかったと思いますよ。ひとりで治療より一緒におうちで診て貰って、最期にちゃんとそばにいてあげたのは、ももちゃん幸せでしたよ。それが一番です”っていってくれました。
・・・胸のつかえが、とれた感じでした。
ももにとっても、よかったんだよと言って貰えて
沢山の後悔やら反省やらのうちの少しがふっときえていきました。
無理に検査を進めず、いい先生にみてもらえて、よかったです。
本当にありがとうございました。
お友達は、私の様子をみてお泊りの用意もしてきてくれたのだけど
夕方、かえりました。
本当に、いてくれて感謝です・・・・。
二人になってからは、ももをベッドに移して、お顔をキレイにしてあげました。無理やり給餌したり、ミルクや水をのませてたので・・・お口のまわりが汚れていたから。せっかくの美猫さんが台無しだしね・・・
それから、ブラッシングして、爪もきりました。
ずっとやってあげられなかったから、ちゃんとしてあげたかった。
スッキリしてくれたかな。
まだ、現実逃避してる気持ちと、ときおり襲ってくる悲しさとが
いりまじっています。
本当の虚無感はこれからやってくるのだと思います。
でも、ももに心配をかけないように・・・頑張らないといけませんね。
あと一日、いっぱいお話して、いっぱいなでてあげたいとおもいます。
20年分の感謝と、愛と、ごめんなさいと・・・
伝えきれないとは思うけど。
長々と支離滅裂な文章ですみません。
みなさんにも、本当に感謝です。
まずは、ももの代わりに・・・ありがとうございました。