たたかう!?たかちゃん!行動日誌

たかちゃんの小さな小さな行動をはじめとした、様々な活動の記録です。

未来へ手渡そう!平和憲法(思い出し日記)

2005年06月15日 12時53分24秒 | 集会
6月11日14:00から埼玉県東松山市の丸木美術館で、
土井たか子さん(社民党前党首)を招き「未来へ手渡そう!平和憲法」をテーマに講演が行われました。
前宣伝の効果や時局を睨んでか、200人以上の参加者でホールはいっぱいになり、
急遽、事務局の方々が椅子を追加するといったほど盛況でした。

土井さんは冒頭に、
NPT再検討会議の不成功などに触れた後、丸木美術館で講演することについて
「原点に立ち返る機会を与えていただいたことに感謝申し上げたい。
子や孫の代に『戦争のない世の中』という責任を取りたい」と述べ講演に入りました。

この中では
なぜ、憲法を変えるのか?なぜ、そんなに急ぐのか?どこに不備があるのか?
憲法遵守の規定のある総理大臣、国会議員などが率先して憲法を守ろうとしていないと批判し、
自民党改憲案で「機運が満ちている」という表記についても厳しく批判しました。

また、自らが在籍していた「憲法調査会」の内実についても、
改憲のために意見とさせないためにも、報告書の書き方などについて
微力ではあるが修正させてきたことなどについて報告し、
一方的な報告書が作られそうになっていったことが明らかにされました。

さらに財界の改憲案に対して、財界内部にも
「平和なお付き合い」を望む有力者がいるということも述べられました。

さらに、改憲に向けて腐心しているが、「国旗・国家法」成立のときの例をあげ
「今までとは何も変わらない。強制もしない」ということが
「作った法律を守る」という視点から、教育現場でどういうことが行われているか?
この例を見るまでも無く、9条改正にもこの論法で来るのは明らかであると述べ、
知らず知らずのうちに危機は迫ってくるという点についても熱く述べました。

最後に今後の決意として、
「9条は何が何でも守る。戦争が終わったときに気持ちを忘れてはならない」
と締めくくりました。

一時間弱というたいへん短い講演でしたが、
憲法に対する愛情・造詣の深さをとても感じました。
私自身も先日、憲法の全文をWebにUPしましたが、本当に良く出来ていると思いました。
まだ、言葉とか良く解らない部分があるので勉強していきたいです。

丸木美術館INDEX

くらしと憲法を考える5・21集会

2005年05月24日 21時56分21秒 | 集会
護憲大会を秋に控え、開催地埼玉の準備運動の一環として、
川越福祉センターで『くらしと憲法を考える5・21集会』が開かれ、
川越平和センターや労働組合、社民党、解放同盟などの市民団体から、
230人あまりが集まり、憲法を守るために職場・地域からがんばることを確認しました。

池田まさよさんの司会で始まった集会は、はじめに実行委員長の沢田さんから、
集会の趣旨や情勢に触れたあいさつを受けました。
続いて来賓の、埼玉平和センター金子事務局次長と社民党埼玉県連日森代表から
それぞれの組織の取り組みなどを含めた激励と連帯のあいさつを受けました。

その後、前沖縄県知事で現社民党参議院議員の大田昌秀さんより、
「沖縄と憲法」をテーマに一時間あまりの講演を受けました。
この中で大田氏は、平和を愛し武器を待たぬ国として発展してきた琉球国や、
明治期からの琉球処分をはじめとする沖縄の差別の歴史、
それがもたらした皇民化教育の歴史ゆえの沖縄の悲劇などにも触れたあと、
自らの戦争体験を語り、体験に基づいた憲法との出会いや熱い想いにも言及し、
有事法制がいざ戦争になると役に立たないという現状と現実の矛盾を厳しく批判しました。
そして「戦争には決して勝者はいない」とまとめ、
最後に永井隆博士の二人の子供へ残した憲法への想いのしで締めくくりました。

引き続いて参加している5団体からそれぞれ取り組みの報告を受けました。

最後に、比企地区憲法を暮らしに生かす会の江原会長から、
比企地区での取り組みや護憲大会成功に向けた決意のあいさつを受け集会を終了しました。

『くらしと憲法を考える5・21集会』のお知らせ

2005年05月07日 21時05分05秒 | 集会
5月21日(日)に『くらしと憲法を考える5・21集会』が
埼玉県の川越福祉センターで14時から開かれます。
沖縄選出の大田昌秀参議院議員の記念講演や、各団体からの報告等が主な内容です。
多くの方々の参加を呼びかけるところです。

詳しくはビラをご覧ください。

施行58周年憲法記念日

2005年05月03日 21時24分51秒 | 集会
施行58周年を迎える憲法記念日に、
シンポジウム「憲法と平和を考える」が憲政記念館で、
「市民版憲法調査会」と「フォーラム平和・人権環境」主催で開かれ、
会場に入りきれないほどの750人の参加で開かれました。

シンポジウムは公演2本とパネルディスカッション2本で構成されました。
しかも、13時から17時過ぎまでぶっ続けという強行軍(爆)

内容的にというと、私自身は勉強になった部分もありましたが、
主催者側の狙いと参加者側(動員者)の立場や考え方が上手くかみ合っていませんでした。
というのも、主催者側はタブー視の傾向のある憲法問題に幅広い議論を求めたのに、
参加した人の多くが「バリバリの護憲派」(かく言う私もだが)(苦笑)。
これでは、話がかみ合うわけも無く、
枝野民主党衆議院議員に「憲法改正と国民投票」というテーマで一般的な話をさせておいて、
会場のヤジ、司会者に至っては「民主党を縛るんだ」ということを言い出す始末…
あたしに言わせりゃ「呼んでおいて失礼な話」だと思います。

「改憲をするには国会議員の3分の2、さらに国民投票で過半数の賛成が必要だということに自民党が気づいて、改憲よりも『解釈の拡大』で集団的自衛権の行使を認めさせようとしている」
という彼の話などは、若い人に聞いてもらいたい話だと思いました。

そういった意味では、いろんな人の意見を聞くということは悪くないし大切なことだと思います。

今日のシンポジウムで改めて感じたのは、自らの勉強不足ということでした。
アメリカではひとり一人が憲法を自分のものにしていて、権利意識が確立されているそうですが、
恥ずかしながらあたしは、第何条がどういうことを言っているかということすら、ごくごく一部しか解りません。
それでは国民主権の何たるかという部分も行使できるはずがありません。

そういうことに気づかされただけでも、今日行った甲斐がありました。

明日は休み時間に日本国憲法を改めて読んでみようと思います。

メーデー

2005年05月03日 20時51分17秒 | 集会
思い出し行動日誌 5月1日(日)

今年は故あって(笑)館林のメーデーに参加しました。

そもそもメーデーとは
1886(明治16)年、シカゴの労働者が「8時間労働制」を求めてストやデモを行ったことを記念して、
1889(明治22)年の第二インターナショナル創立大会でこの日が国際的な
労働者の祭典・万国労働者団結の日と定められたのを起源とします。
そして翌1890(明治23)年には第1回メーデーが開催されたということです。
ちなみに日本でのメーデーは1920(大正9)年5月2日に上野公園で行われたものが最初で、
その後全国に広りましたが、1936(昭和11)年に政府によって禁止され1946(昭和21)年まで中断されていました。
この事実を見ても日本の民主主義の立ち遅れというのは明らかです。

さて、館林メーデーはメインスローガンに
働くものの連帯で『ゆとり、豊かさ、公正な社会』を実現し、自由で平和な世界をつくろう。をかかげて行われ、
実行委員長や市長、社民党、新社会党などからの激励の挨拶を受けたあと、
プラカードの審査やお楽しみ抽選会を行い、市内をデモ行進しました。
近隣の組合から日曜日ということもあって450人あまりが参加しました。

参加して驚いたのは、
連合系メーデーではない地域メーデーなのに共産党がいないこと(爆)
いや~これは珍しいことではないですか?