満のメモ帳

忘れないうちに書き留めておこう

2014-04-27 23:13:01

2014-04-27 23:13:01 | 
他人にうれしいことがあると、ちょっとうらやましいなと思うことがありますね。人の心というものは本当に複雑です。
その「うらやましい」の「うら」は日本語では「心」の意味です。「うらやむ」とは「心病む」の意味です。白川静さんの字書「字訓」には今「うらやむ」の意味に用いる漢字として「嫉・妬・羨」が挙げられています。
その「心」を動詞化した言葉が「うらむ」です。相手に対する腹立たしい気持ちを表面に出さず、心の内に持ち続けることです。漢字で記せば「恨む」「怨む」です。「うらみ」はその名詞形、「うらめし」は形容詞形です。「うらがなし」「うらぶる」など失意の情をいうものが多いです。



『 祝 婚 歌 』しゅくこんか 吉野 弘

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派過ぎないほうがいい
立派過ぎることは
長持ちしないことだと
気づいているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうち どちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には色目を使わず
ゆったりゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そしてなぜ 胸が熱くなるのか
黙っていてもふたりには
わかるのであってほしい



勝手に解釈すればいい。ただ、笑いジルとして人生の退場の仕方として、ちょっと粋だね。

人生は歩きまわる影法師。哀れな役者だ。舞台の上で大げさに見栄を切っても、出番が終われば消えてしまう。意味なぞ何ひとつありはしない。
シェークスピア
1669年レンブラント

わたしは、絶えず装っている。何故って絶えず、自分の事を描いているからだ。モンテーニュ

露出
絞りF値
露光時間シャッタースピード
フィルム感度ISO感度

他人の自由を奪う者は憎しみの囚人であり
偏見と心の狭さという監獄に閉じ込められている
マンデラ

荒凡夫

長寿の母
うんこのように
我を生みぬ

曼珠沙華
どれも腹出し
秩父の子
金子兜太とうた

雑草も野の花も
自分流に生きるから
強くなれる

Miss Brand new day
日々新しいブランド、流行を追い求める女性

Today is a brand new day.
さぁ、新しい日が始まったぞ!

魔か般若はらみた心ぎょう

行雲流水


面白きこともなき世を
面白く
住みなすものは心なり

成功する新規事業3つの条件
①みんなが買っている商品
②お客様が不満を感じている
③大きな変化が起きている

I was born
確か 英語を習い始めて間もない頃だ。
 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと、青い夕靄(ゆうもや)の奥から浮き出るように、白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。
 女は身重らしかった。父に気兼ねしながらも僕は女の腹から目を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。
 女はゆき過ぎた。少年の思いは突飛しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと 諒解した。僕は興奮して父に話しかけた
---やっぱり I was born なんだね---
父は怪訝(けげん)そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
--I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意思ではないんだね--
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってはこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。
 父は無言で暫く歩いた後、思いがけない話をした。
--蜻蛉(かげろう)と言う虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね--
 僕は父を見た。父は続けた。
--友人にその話をしたら 或日 これが蜻蛉(かげろう)の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口はまったく退化していて食物を摂(と)るに適しない。胃の腑(ふ)を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりとした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげてるように見えるのだ。淋しい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて <卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ、お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは--。
 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつの痛みのように切なく --ほっそりとした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体--。

奈々子に
赤い林檎の頬をして
眠っている奈々子。
お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり
奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの
つややかな頬は少し青ざめた。
お父さんにもちょっと酸っぱい思いがふえた。
唐突だが
奈々子
お父さんはお前に
多くを期待しないだろう。
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか。
お父さんははっきり
知ってしまったから。
お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ。
ひとが
ひとでなくなるのは自分を愛することをやめるときだ。
自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう。
自分があるとき
他人があり
世界がある。
お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労がふえた。
苦労は
今は
お前にあげられない。
お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ。

「生命は」
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻(あぶ)の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も  あるとき
誰かのための虻(あぶ)だったろう
あなたも  あるとき私のための風だったかもしれない

「虹の足」
雨があがって
雲間から
乾麺(かんめん)みたいに真直な
陽射しがたくさん地上に刺さり
行手に榛名山が見えたころ
山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
眼下にひろがる 田圃(たんぼ)の上に
虹がそっと足を下ろしたのを!
野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すっくと空に立ったのを!
その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽり抱かれて染められていたのだ。 それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。 ――おーい、君の家が虹の中にあるぞォ 乗客たちは頬(ほほ)を火照(ほて)らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて 村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが――。

「早春のバスの中で」
まもなく母になりそうな若いひとが
膝の上で
白い小さな毛糸の靴下を編んでいる
まるで
彼女自身の繭(まゆ)の一部でも作っているように。
彼女にまだ残っている
少し甘やかな「娘」を
思い切りよく
きっぱりと
繭(まゆ)の内部に封じこめなければ
急いで自分を「母」へと完成させることが
できない
とでもいうように  無心に。

「妻に」
生まれることも
死ぬことも
人間への何かの遠い復讐かも知れない
と嵯峨さんはしたためた
確かに
それゆえ、男と女は その復讐が永続するための
一組みの罠というほかない
私は、しかし
妻に重さがあると知って驚いた若い日の 甘美な困惑の中を今もさ迷う
多分、と私は思う
遠い復讐とは別の起源をもつ
遠い 餞(はなむ)けがあったのだと、そして
女の身体に託され、男の心に重さを加える
不可思議な慈しみのようなものを
眠っている妻の傍でもて余したりする

「素直な疑問符」
小鳥に声をかけてみた
小鳥は不思議そうに首をかしげた。
わからないから
わからないと
素直にかしげた
あれは
自然な、首のひねり てらわない美しい疑問符のかたち。
時に
風の如く
耳もとで鳴る
意味不明な訪れに
私もまた
素直にかしぐ、小鳥の首でありたい。

動詞「ぶつかる」
ある朝
テレビの画面に
映し出された一人の娘さん
日本で最初の盲人電話交換手
その目は
外界を吸収できず
光を 明るく反映していた
何年か前に失明したという その目は
司会者が 通勤ぶりを紹介した
「出勤第一日目だけ お母さんに付き添ってもらい
そのあとは
ずっと一人で通勤してらっしゃるそうです」
「お勤めを始められて 今日で一ヶ月
すしづめ電車で片道小一時間・・・・・・」
そして聞いた
「朝夕の通勤は大変でしょう」
彼女が答えた
「ええ 大変は大変ですけれど
あっちこっちに ぶつかりながら歩きますから、
なんとか・・・・・・」
「ぶつかりながら・・・・・ですか?」と司会者
彼女は ほほえんだ
「ぶつかるものがあると
かえって安心なのです」
目の見える私は
ぶつからずに歩く
人や物を
避けるべき障害として
盲人の彼女は
ぶつかりながら歩く
ぶつかってくる人や物を
世界から差しのべられる荒っぽい好意として
路上のゴミ箱や
ボルトの突き出ているガードレールや
身体を乱暴にこすって過ぎるバッグや
坐りの悪い敷石やいらいらした車の警笛
それは むしろ
彼女を生き生きと緊張させるもの
したしい障害
存在の肌ざわり
ぶつかってくるものすべてに
自分を打ち当て
火打ち石のように爽やかに発火しながら
歩いてゆく彼女
人と物との間を
しめったマッチ棒みたいに
一度も発火せず
ただ 通り抜けてきた私
世界を避けることしか知らなかった私の
鼻先に
不意にあらわれて
したたかにぶつかってきた彼女
避けようもなく
もんどり打って尻もちついた私に
彼女は ささやいてくれたのだ
ぶつかりかた 世界の所有術を
動詞「ぶつかる」が
そこに いた
娘さんの姿をして
ほほえんで
彼女のまわりには
物たちが ひしめいていた
彼女の目配せ一つですぐにも唱い出しそうな
したしい聖歌隊のように

「みずすまし」
一滴の水銀のように、やや重く
水の面をくぼませて 浮いている
泳ぎまわっている
そして時折 ついと水にもぐる。
あれは暗示的な行為
浮くだけでなく もぐること。
ぼくらがその上で生きている
日常という名の水面を考えるだけで
思い半ばにすぎよう--日常は分厚い。
水にもぐった みずすまし
その深さはわずかでも
なにほどか 水の阻止に出会う筈。
身体を締めつけ 押し返す
水の力を知っていよう。
してみれば みずすましが
水の表裏を往来し出没していることは
感嘆していいこと。
みずすましが死ぬと
水はその力をゆるめ
むくろを黙って水底へ抱きとってくれる
それは みずすましには知らせない水の好意。

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